10月号の投稿のテーマは、
「ブラック・ジャック」
いよいよ、「ヤング ブラック・ジャック」のアニメが放送開始です!
今回は、ブラック・ジャックのイラストを沢山いただきました。
投稿作品をおよせいただいた方々には、以下の写真のプレゼントをお送りいたします!
アイディアも面白いですが、大胆で力強く、思い切りの良い筆運びに目が行きました。
炎の中にすっくと立つ二人、という状況設定とよくあっています。
筆の力強いタッチが印象的な作品です。B・Jもピノコも似合ってます! 逆に百鬼丸とどろろがB・Jの格好をしても似合いそうですね…。
三人のキャラクターが読んでいる本がそれぞれ、イメージに合っていて、楽しんで考えたのだろうなあ、と感じました。ライバルの二人がお互い背を向けあっているのに対し、その間で真剣な表情のピノコ。図書館のしずかな雰囲気の中に漂う、コミカルさに思わずにっこりしてしまいます。
キャラクターの配置も色合いもまとまりがあり、安定感のある構図でセンスを感じます。
ピノコが読んでいる本が気になりますね…。
若かりしブラック・ジャック先生といえば、「友よいずこ」なしには語れませんよね。
今回、描くにあたって再読したのですが、大きな勘違いが判明してしまいました。大学生の黒男が同級生?から左側の皮膚について言及されるシーンなのですが、その同級生に悪意があって言っているように感じていました…というのも、同級生の台詞の前半部分をすっぽり忘れていたからです。何という杜撰な読み…
最後の同級生の台詞「とにかくそのご面相を見ると 患者が気持ち悪がって よりつかないよ」だけ読むと、なかなか酷い台詞かなと(言い訳です)。本当は親切心から声を掛けたのでしょう…今まで誤解していてごめんなさい!
『ブラック・ジャック』を読んでいて思うのが、ブラック・ジャック先生は孤独に苛まれていて、それは私達が計り知れるものではないのかもしれないけれど、割と周囲の人には恵まれているかな、ということ。本間先生はもちろんですが、タカシ、間久部、ゲラなど、成人してからも友情が消えないのは、本当は凄いことだと思います。
ただの天才外科医ではなくて、人情に篤かったり、おちゃめだったりするところに、ブラック・ジャック先生の魅力はあると思いますが、こういう友達がいたから、無機質な人間ではなくて、人間味のある、優しい人間に育ったんだろうなと思います。
ブラック・ジャックの横顔と、目を見開かせた表情が物語のテーマを感じさせます。友人・タカシの手を半透明に描いたことで、なんとなく、物語の結末も想像できます。
「友よいずこ」では、ブラック・ジャックの友人に対する義理堅い一面がみれますね。
ソービさんの言うとおり、ブラック・ジャックの本当の魅力とは、彼の人柄にあるのだと思います。
虫ん坊7月号でご紹介した大図まことさんのクロスステッチBOOKを使っての作品!
糸は3色だけれど、結構大変だったのではないでしょうか!?
次は「ヤング ブラック・ジャック」をテーマにしたオリジナル作品?に挑戦中とのことですので、楽しみにまっております。
クロスステッチBOOKのお買い上げありがとうございます!
「ヤング ブラック・ジャック」、どのような仕上がりになるのでしょうか?
完成が楽しみです。
いつも真っ黒なコートのイメージのブラック・ジャックも、ほかの作品に出演するときは意外といろいろな服を着ているものですよね。顔をかわいらしく、少年のように描くことで、ファンタジックな印象に。背景に虹色の効果線を描いて飛びだすようにしたことも、絵に楽しい勢いを感じさせます。
こうしてみるといろいろな役を演じていますね。
黒マント姿のB・Jに箒はなかなかお似合いです。
若き日の黒男の活躍も、アニメでどう表現されるか楽しみです!
絵全体のバランスが整っています。小道具や背景の紫色などが、ハロウィンらしい雰囲気を醸し出しています。B・Jの表情もおちゃめですね。
ドン・ドラキュラ顔負けの、ドラキュラ姿が似合うB・Jですね〜
「にいちゃんをかえせ!!」のエピソードでドラキュラの真似をするB・Jを思い出しました。
色鮮やかな色彩で、ポップで可愛らしい仕上がりになっています!
背中合わせで立っている二人のポーズは、まとまりがよく、落ち着いています。背景は白く残されていますが、ご自分の絵に表したいテーマに合わせて、いろいろな色を引いてみると、同じ絵でもがらりと雰囲気が変わりますよ。パソコンでの着彩であれば、やり直しもできるので、ぜひチャレンジしてみてください。
身長差がありながらも、しっかりアイコンタクトを図る姿が、
2人の関係性を表しているなと思います。
B・Jだからか、今回はテーマ投稿がいつもより多いような…?
皆さんのB・J愛をひしひしと感じました。
いつもながら、丁寧できれいに描かれています。手に仮面を持たせ、動きをつけることで、画面に変化が出ています。髪の毛の描写は立体的ですが、服をほぼ一色でまとめているので、思い切って影を濃いめに入れるなど、もう少しメリハリがつけるともっとよく なると思います。
ブルーでまとまったサファイア、凛々しさが増して素敵です。
寒色系は、未来さんの繊細なタッチをより引き立たせてくれますね!
ミュージカル、今からとても楽しみです。
いつも手塚マニアがついニヤリとしてしまう絵を描かれますが、今回もなかなかひねった絵ですね! スターシステムを大活用している「ブラック・ジャック」では過去の作品からたくさんのキャラクターがスター出演していますが、この作品の「庄造」が「一塁半里」だ、というところに目を付けたネタ、ということでしょうか。スダマと庄造の心の中で擬人化されたネコの家族たち、はた目にはどうであれ幸せそうな感じが、背景のマル模様に表れているようです。
庄造どうしようもない奴ですね、洋子を大切にしなさい!
ですが松谷中学31年生さんにデフォルメされたスダマがあまりに可愛いので、
庄造が揺らぐ気持ちもわかります…。
ノラクロがなんともキュートです。
犬上宿禰=スグルの全身をあえて描かないことで、いっそうに切ない絵になっていますね。マリモとそのセリフが中心に描かれることで、より悲しい恋心が協調されています。
マリモの必死な想いがこちらにも伝わってくるイラストです。
本人を描くだけでハロウィンっぽくなる、ドン・ドラキュラ。ネクタイをオレンジに、ハートを紫色にすることで、さらに秋らしく、ハロウィンらしくなっていますね。デザイン性の高いレイアウトが素敵です。さりげなく「Let's Girl Hunt」とかかれているところにクスリとさせられます。
ポップな絵柄の中にも鋭さのあるAyuさんのタッチが、ドン・ドラキュラにぴったりですね!
ハセガワのプラモデル「メカトロウィーゴ」をちょっとだけ改造して鉄腕アトムカラーで塗装。
付属の女の子(身長4cm弱!)はパテで髪型を変えてアクリル絵の具筆塗り、御茶ノ水ウランと命名。
ウランちゃんの通学用ロボットがメカトロウィーゴあとむということです。
手塚プロでフィギュアを作る場合、まず僕たちは三面図という物を描きます。それを業者にお渡しして、あとはよしなに…、というふうなのですが、館長さんは一から作り上げられていて、素晴らしいですね! 画力も抜群なので、ぜひ手塚作品の原型師をお願いしたいくらいです。
今回もフィギュアのご投稿、ありがとうございます。
女性らしさを強調したフォルム、優しい眼差しに母性も感じられる素敵な仕上がりですね。 怪盗Zのデザインも、フィギュア向きだなと思います(シルクハットや靡くマントなど) ので、ぜひ製作を試みてはいかがでしょうか!
メカトロウィーゴとアトムのデザインは、相性抜群ということがわかるリメイク作品ですね。売っていたら、買ってしまいそうです!
9月5日、12日と二週にわたってNHKの放送90年ドラマ「経世済民の男 小林一三」が放送されました。「経世済民」とは、中国の古典に因む言葉で、「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意味で「経済」の語源だそうです。
阪神間の一大文化圏を築いた阪急電鉄の創始者・小林一三の生涯を描いたこのドラマ。この作品自体は手塚治虫と直接的な関連はないものの、手塚治虫の人生やその作品は、阪急文化の影響なしには語れないものがあるということで、今回は「阪急文化と手塚治虫」について書きたいと思います。
◎阪急の創始者・小林一三
小林一三は、明治6(1873)年1月3日、山梨県に生まれました。阪急電鉄・宝塚歌劇団・阪急百貨店・東宝をはじめとする阪急東宝グループの創業者です。鉄道を起点とした都市開発に成功。手塚治虫が幼少期を過ごした阪急宝塚線の沿線開発に尽力しました。ちなみに、手塚治虫が通った池田師範附属小学校の跡地には、現在、阪急関連の歴史資料を集めた「池田文庫」が建っています。
明治43(1910)年、小林一三は阪急電鉄の前身となる「箕面有馬電気軌道」を開業。大正から昭和初期にかけての大阪は「大大阪」と呼ばれ、東京を抜いて日本第一の都市に成長しました。小林一三の事業の成功を支えたのは、「こういう暮らしをしたい」という庶民の夢を的確にとらえる力。「煙の都」と言われた大阪市内から、緑豊かな郊外住宅での生活を謳った鉄道事業モデルを展開していきました。そして、宝塚、神戸、京都と沿線拡大していく起点となったのが、大阪の梅田駅でした。
大阪梅田の阪急ビルディングは、昭和4(1929)年、世界初のターミナルデパート(鉄道駅を併設した百貨店)として誕生。
地上8階地下2階建のビルで、当初は阪急のマルーンカラーに近い濃紫褐色のタイルが外観に使用されていました。その後、次々に増改築を繰り返して店舗面積を拡大。戦後、外観はクリーム色のタイルに張り替えられました。
昭和5(1930)年、旧本社(旧阪急マーケット)ビルを解体撤去し、第二期の増築工事に着手。翌6(1931)年に工事が完成。この阪急ビルの第二期増築工事で誕生したのが、アーチ型天井にシャンデリアが灯る優美な空間「梅田駅コンコース」です。昭和47(1972)年に阪急梅田駅がJRの北側に移転するまでは、阪急ビル1階が阪急電車の乗降場でした。旧阪急梅田駅コンコースは、2005年に解体。現在は、シャンデリアと伊東忠太が意匠を手がけた東西の壁画が、阪急百貨店13階のレストラン「シャンデリアテーブル」に移設され、その空間を再現しています。
コンコースの東西の壁画には、中国神話の四神(青龍・朱雀・白虎・玄武)が配される予定でしたが、玄武は亀であることから、電鉄会社のモチーフとしてはふさわしくないということで、代わりにギリシア神話よりペガサスが加えられました。「阪急電車の快速と威力」を象徴するものとして、龍・鳳凰・獅子・天馬がガラスモザイクで描かれています。また、壁画中央の「太陽に住むヤタガラス(三本足のカラス)」と「月に住む兎」は、「阪急電車の日夜の運行」を意味します。
◎手塚作品に描かれた阪急ビルディング
関西で25年間を過ごし、大学時代は毎日、自宅の宝塚から大阪まで阪急宝塚線で通学していた手塚治虫にとって、阪急梅田駅近辺はよほど思い出深い場所だったのでしょう。『ブラック・ジャック』『どついたれ』『アドルフに告ぐ』『紙の砦』その他エッセイなど、作中に何度もします。
中でも、自伝的漫画『紙の砦』のラストシーンは、昭和20(1945)年8月15日の夜、「大阪の街の灯り」を見て平和を実感したエピソードとして有名です。同様のエピソードがエッセイ等で語られていますが、その場所が「阪急百貨店」とはっきり書かれているのが『COM』に連載された「ぼくのまんが記」です。
ぼくはその夜、自宅の宝塚から、阪急電車に乗って、大阪へでていった。車内はガランと
して幽霊電車のようにさみしかった。
「あっ、大阪の町に灯りがついている!」
ぼくは目を見はった。阪急百貨店のシャンデリアが目もくらむばかりに輝いている。
何年ぶりだろう!灯りがついたのは。
「ああ、ぼくは生き残ったんだ。幸福だ」
これが平和というものなんだ!
(『COM 』1968年1月号収録「ぼくのまんが記 戦後児童まんが史1」より)
手塚先生の元アシスタントの伴俊男さんが1989年〜1992年に「アサヒグラフ」に連載した『手塚治虫物語』には、阪急梅田駅コンコースに輝く初代シャンデリアが資料に忠実に描かれています。
ところが、終戦直後の昭和21(1946)年に、靴磨きの少年が集まる梅田駅を映した朝日新聞社の写真を見ると、終戦時にはシャンデリアが存在しなかったことがわかります。阪急の社史によると、戦時中は金属回収令によりシャンデリアは供出させられていたそうです。したがって、手塚治虫が灯火管制が解かれた後に見た「灯り」はシャンデリアではなく、小ぶりの照明であったものと推測されます。
ちなみに講談社版手塚全集『手塚治虫講演集』などに、同様のエピソードと共にこの絵が掲載されていますが、初出は1968年の『COM』であるため、現在、阪急百貨店で保存されているシャンデリアとは時期が異なり、直接的なモデルではありません。『COM』連載当時の阪急百貨店に存在したのは、梅田駅移転の1972年まで存在した二代目シャンデリアですが、描かれた絵とまったく形状が異なるため、写真資料などは一切参考にせずに描いた絵と思われます。
現在、阪急百貨店に保存されているシャンデリアは、梅田駅の移転に伴う阪急の第8期工事完了後の1972年、百貨店のグランドオープンの際、「ブロンズ大時計」と共に披露されました。
ステンレス板で囲まれた不思議なオブジェが御堂筋の北端の阪急百貨店前に存在します。1963年、建築家・村野藤吾によって設計された梅田吸気塔。再開発著しい梅田の中にあって、このオブジェだけが約半世紀の時を刻み続けています。この梅田吸気塔が『ブラック・ジャック』「アリの足」のラストシーンに登場します。小児麻痺の少年・光男が広島から大阪までの徒歩旅行の末、たどり着いたのがこの場所という設定。吸気塔の背後には、当時の阪急の社章がかけられた阪急ビルディング、阪急航空ビル、黒光りする富国生命ビルが描かれています。
この社章は「京阪神急行電鉄」を意味します。1943年〜1992年まで使われていた阪急電鉄の社章。京都・大阪・神戸の市章を組み合わせたもので、阪神急行電鉄時代(1918年〜1942年)は、外側の丸と内側の 6 つの三角はなく、京阪電気鉄道を合併する際に京都が加えられました。
◎『アドルフに告ぐ』で描かれた阪急電車
ドラマ「経世済民の男 小林一三」では、阪急電鉄の神戸線開業をめぐって、ライバル阪神電鉄との熾烈な競争が描かれていました。昭和5(1930)年、阪神間を最短時分で結ぶ、神戸線の特急車両900系が登場します。900〜919の20両が製造され、昭和53(1978)年まで運行されていました。現在、阪急の正雀工場には900系の車両が復元保存されており、年に2回程度開催される鉄道イベントの際には乗車することもできます。写真は阪急の正雀工場で鉄道イベントの体験運転の際に撮影した900系。(前1両のみ。筆者の弟・高坂史章撮影)
実はこの900系が、『アドルフに告ぐ』にも描かれています。
峠草平は、仁川警部とともに小城先生宅へ向かいます。
「じゃあ、その小城先生いう教師の家へ行ってみよか」という台詞と共に描かれているのは阪急神戸線を走る900系で間違いないでしょう。
昭和10年代の阪神間を舞台にした『アドルフに告ぐ』には、こうした時代背景がリアルに描き込まれています。
また曽根崎警察署から仮釈放された峠草平が仁川警部とともに梅田駅に向かうシーンで阪急ビルが描かれています。仁川警部の「なーに、電車ン乗って二つほどむこうの駅やさかい」という台詞から、仁川邸は手塚治虫の母校・北野中学のあった十三あたりに設定していると思われます。
◎むすびにかえて
「駅の乗降場」という日常の公共空間こそ豪華にした梅田の阪急ビルディングは、ある意味「経世済民の男 小林一三」の思想であったと思うのです。優美なアーチ型の梅田駅コンコースの「灯り」に終戦の喜びを感じたという手塚治虫のエピソードは、実は阪急文化への潜在的な憧れだったのかもしれません。
手塚先生も見ていた風景だと思うと、阪急の駅の風景も感慨深いものがあります。 むかし、真夏の蒸し暑い真夜中に、「アドルフに告ぐ」のために眠い目をこすりながら電車の絵を描いていたことを思い出しました。懐かしいですね。
手塚作品のいたるところに散りばめられている阪急文化、建物には、このような歴史や由来があるのですね。
歴史を踏まえた上で、作品を読み返すと新たな発見がありそうです。
11月号の投稿テーマは「手塚先生、お誕生日おめでとうございます!」
手塚治虫先生の誕生日は、11月3日。手塚先生のお誕生日をテーマにした投稿を募集します!
ヒーロー・ヒロインに限らず、大好きなロボット、動物、宇宙人、不思議生物、むしろ無機物…何でもかんでも、あなたの大好きなキャラクター、作品などなどの絵や評論、ナゾトキ、アツイ語りなどなんでも大募集です。
イラストじゃなくてももちろんOK!!
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※作品の裏側などに、ご連絡先メールアドレス・お電話番号を書いてください
11月号掲載は、2015年10月15日(木)までにいただいたものとさせていただきます。10月号以降にも、いただいた投稿を掲載していきます。