6月号の投稿のテーマは、「これはぐっときた 手塚キャラのことば」。手塚作品には名言がたくさんありますよね。今回は、みなさんの心に残ったあのセリフ、あのシーンを教えていただきました。
今月投稿作品をおよせいただいた方々には、以下の写真のプレゼントをお送りいたします!
このエピソードを学園ものに見立てるとは、なんともユニークな発想です! いつも、面白い視点や、思いがけないキャラクターを描いてくださるので、今度はどんな絵になるのかな?とひそかに楽しみにしています。
ジャングル学園、ライヤとリョーナのセーラー服がまぶしい!
2匹ともよくお似合いです。レオ、罪な男…。
『ブラック・ジャック』の「刻印」より、間久部緑郎と間黒男の会話
緑「おれが きみに一度だってウソをいったかっ おれを信じてくれ」
黒「ああ……信じるよ 気の毒したな間久部」
緑「いや……これでいいんだ」
あのブラック・ジャック先生が、「信じる」なんて何というレア…!!
という意味での「ぐっとくる」です。こんな理由でいいのか…
このやり取り、ずっとサングラスだった緑郎が真摯な瞳で黒男を見つめるのも、それに対して黒男が笑うのも、切ないですが凄く良いシーンだと思います。ここの二人は、暗黒街の皇太子でも、ブラック・ジャックでもなくて、小学校の時から親友の緑郎と黒男という関係に戻ってるんですよね。そしてそこには濃い信頼関係があるという…
「気の毒したな」という台詞も、親友がこれ以上堕ちていくのを放っておけないという部分があって、悩んで出した結論だからこそなのだと思います。親友が死刑になってしまって、しかもそれに自分が噛んでいるなんて、普通辛いですよね…
そして緑郎の「これでいいんだ」は、相手が黒男だからこそ出てきた台詞なんだろうなと。
普段ブラック・ジャック先生が孤独を抱えていることを考えると、親友の距離感というか、理解しあっている感じが、悲しい最後ではあるけれども、少し希望のある終わり方のようにも見えます。
画面下の子供時代の二人をシルエットにすることで、画面上の描きこまれた手の絵との釣り合いが取れています。小さく描かれた二人の細部を描きこんでしまうと、大きな手の絵との線の密度のバランスが取りづらいように思いますので、技ありな選択だとおもいます。
コメントで引用していただいたセリフのところ、原作をチェックすると、案外に小さいコマで描かれているんですよね。僕の記憶だと、もっと大きいコマだったかのような気がしていました。それだけ、ドラマチックなシーンだということでしょうね。
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夢を語り合う黒男と間久部のシルエットにグッときます。
普段語られることのないBJの友情を垣間見ることのできる、貴重な回です。
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『ブラック・ジャック』の「ふたりの黒い医者」から、ラストのBJの叫び「それでも私は人をなおすんだっ。自分が生きるために!!」を選びました。
せっかく治した患者が事故で亡くなってしまったときにドクター・キリコに対して放った言葉ですが、彼の信念と生きざまが痛々しいほどに伝わってくる言葉だと思います。
画像はBJファンの神無月さんと京都へ旅したときに写したものです。原作ラストシーンに似た場所を探して常寂光寺まで行き、石段をバックに持参したフィギュアを撮影しました。観光客がいない隙を狙っての撮影にはなかなか苦労しました(笑)。
写真のBJ、等身大みたいに見えますね!! |
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「人を治すとはどういうことなのか」、BJとキリコそれぞれの理念が描かれる ストーリーと、ブラック・ジャック屈指の名台詞が印象に残る人気の高いエピソードをフィギュアで再現していただきました。再現度、とても高いです!! |
こんにちは。らくがき程度に、またまたロックを描きました。
後期の悪いロックが好きなんですが、初期のかわい〜〜い手塚先生の絵で描かれたロックも大好きで・・
あんな絵を描きたいな、と思いながらも難しすぎて描けません。
描く度に、顔が変わってしまいます^-^;
その時その時で、自分がかわいいと思える絵を描いていきたいと思います!
絵を描き慣れている筆運びです。色の選び方も統一されていますね。おっしゃるとおり、手塚先生の絵は難しいですよね。アニメーションなどでは、どこから見ても、また誰が描いても描けるように考えられていますが、漫画の先生の絵はそういうしばりからは自由ですので…。コマごとに顔つきが少しずつ違うので、僕も商品用などにキャラクターを描き下ろすときには、さてどの顔をベースにするべきか?と、よく悩んでいます。
緑のシャツに赤いネクタイ、オシャレなロックです!
初期の幼くかわいらしいロックも、華麗に悪役をこなすロックも素敵ですよね。
We were painting courses ... I have draw white board "Astro Boy" with my friends.
Anime-loving friends have asked me to share this work in Mushinbo. So I agreed.
That my friends, we work together:
Bircan Gokta?
Berfin Betigul Zorba
Berke Sar?kabaday?
Zubeyde Tekiner
and me, AnimeMeraklisiBlogcu...
(訳:「アストロボーイ」をお友達と、ホワイトボードに描きました。
アニメ好きの友人たちが、私に、このイラストを虫ん坊でシェアしては? と
いったので、私もそうしよう、と言いました。
一緒に絵を描いた友達です。
Bircan Gkta
Berfin Betigl Zorba
Berke Sarkabaday
Zbeyde Tekiner
あと、私。AnimeMeraklisiBlogcu... )
何人もが共同でメッセージを入れてくれたような絵をいただくのは、虫ん坊投稿コーナーでは初めてですね!
次回はぜひ、お友達にもキャラクターを描いてもらってください!
今回も投稿ありがとうございます!
たくさんのお友達と一緒に描いてくださったようで、アトムも嬉しそうです。
黒松先生とは確かにマニアックですね! 「ドン・ドラキュラ」ファンにはうれしい共演ともいえます。「トランプのジョーカー的存在」とは言いえて妙です。白と黒を隣り合わせにした構図は面白いです。アイディアが光ります。
ドン・ドラキュラとは間逆のクールな役どころ、BJの影法師として登場する黒松先生ですね!自分とそっくりな黒松先生登場に珍しくBJもうろたえていました。 ポップでデザイン的な構図の中でも、黒松先生のクールさが感じられます。
手塚先生の人外ヒロインは確かに、魅力的ですね!
どうしてあんな独特の色っぽさが出せるのか、いつも思います。
肌や岩などの質感にリアリティがあります。空も単調にならないようにグラデーションが施されていて、細かい気配りを感じますね。
チェンを案内するアーリィ、未来さんのタッチでさらにセクシーに仕上がっています! コラムもお楽しみいただけたようで、嬉しいです。手塚キャラには魅力的な人外キャラがたくさんいますよね!
◎諏訪山より望む神戸
「ちょうどその頃、神戸の三宮では峠とわかれた小城先生が駅前の喫茶店でパン屋のアドルフ・カミルとあっていた」 昭和15年(1940)正月、12歳になったアドルフ・カミルが小城先生から秘密文書を受け取るシーンの冒頭ページです。「週刊文春」の連載は毎回10ページ。このページは単行本化の際に完全に書き下ろされたページです。 上のコマのモデルであろう写真です。
海にはたくさんの船舶。海岸の東側(左側)に見えるのは新港突堤。アドルフ・カミルが、リトアニアに旅立つ父と別れ、ドイツから東洋航路で日本に亡命したエリザを迎えた港はこのあたりにあります。西側(右側)には川崎造船所(現在の川崎重工業)が見えます。
神戸の街を一望できる諏訪山公園で、エリザとアドルフ・カミルは、ユダヤ人の祖国・イスラエルへの思いを二人で語り合います。昭和15年〜16年にかけて、はるかヨーロッパから神戸を経由してアメリカへ亡命したユダヤ人がたくさんいました。今回の取材でお世話になった「港まち神戸を愛する会」の中尾嘉孝さんの伯母さんが、昭和15年当時、神戸に流入した大量のユダヤ人の姿を見たと、生前に証言していたそうです。「ある日突然やってきて、またある日突然姿を消した」と。
すなわち、神戸に一時的な滞在をし、その後アメリカへ亡命したからです。しかし、それも昭和16年12月の日米開戦(太平洋戦争)により終わりを告げました。
『アドルフに告ぐ』では、ユダヤ人の同朋を救うため、カミルの父が単身リトアニアへ向かうものの、失敗。最終的にはカウフマンによって射殺されるという展開になっています。時を同じくして、エリザがカウフマンの計らいによって、日本に亡命する過程が描かれています。昭和15年当時、リトアニアの日本大使を務めていたのが、かの有名な杉原千畝でした。人道的見地から発行した「命のビザ」により約6000人のユダヤ人が命を救われました。ただ、杉原千畝の功績が広く世に知られるようになったのは、1985年以降だったので、『アドルフに告ぐ』を描いた当時、手塚先生がこの話を背景として知っていたかどうかは解りません。(『アドルフに告ぐ』の連載は1983年〜1985年)
むしろ、『アドルフに告ぐ』で手塚先生がヒントにしたのは、父・手塚粲(ゆたか)氏の体験だったのではないでしょうか。昭和16年5月開催の丹平写真倶楽部写真展「第23回丹平展」で、戦時中の神戸に滞在していたユダヤ人一行を対象とした作品群「流氓ユダヤ」が発表されています。丹平写真倶楽部は大阪・心斎橋に拠点を構えていて、当時、手塚治虫の父・粲も会員の一人でした。これらの写真は兵庫県立美術館に所蔵され、館の図録「レトロ・モダン神戸」で手塚粲撮影の写真も見ることができます。
◎新港突堤
さて、諏訪山公園をあとにし、私たちは、アドルフ・カミルが父を見送り、エリザを迎えに行った新港突堤に向かいました。戦後、ポートアイランド、六甲アイランドなど次々に人工島が建設されて海岸の形が変わっているので、『アドルフに告ぐ』の時代に近い地図を参考資料にあげます。現在の地図と比較してみるのも非常に面白いです。高架になる前の国鉄三ノ宮駅が現在の元町駅の位置にあること、阪神電車の終点が、そごう神戸店の場所でなく旧滝道停留所で、線路も現JR線からフラワーロードを下ってくるルートであること等から、『アドルフに告ぐ』の時代より約10年前の昭和6年以前に描かれた地図と推定。先程の諏訪山からの景色はこの絵葉書の左下四分の一の範囲です。新港地区の特徴的な4本の突堤は東から順に第一突堤〜第四突堤となっていましたが、第五、第六突堤が整備された昭和10年頃、西からの番号順に名称変更されました。新港地区の突堤には、灘駅の少し東で東海道本線から臨港部へ分岐した貨物線の支線が引き込まれ、豪華客船が入港した際には、突堤から京都までの直通貸切列車が運行されていたといいます。
アングルは違いますが、船舶の規模や無数の紙テープなど、『アドルフに告ぐ』で描かれた出航のシーンに非常に似ています。旗に連載当時のアメリカの大統領・レーガンの名前が入っているところは、手塚先生特有の時事ネタでしょう。
昭和15年11月、エリザ・ゲルトハイマーは、家族と別れ、単身ドイツから神戸へ亡命します。
アドルフ・カミルがエリザを迎えにいった神戸港の様子です。このシーンそのものズバリの写真を図書館で見つけました。手塚先生の元アシスタント・伴俊男さんの話によると、手塚プロ漫画部の資料としてよく使っていたのが「日本地誌」。日本の各県を記者がまわって、面積、人口、伝統、行事などを写真で紹介した本です。ここにどういう絵を描いてというのは、すべて手塚先生が指示をしていたそうです。『アドルフに告ぐ』で参考資料となったであろう1冊が、改造社から昭和4年に発行された「日本地理体系」です。漫画と酷似する写真が少なくとも5点はありました。非常に驚いたのは、昭和4年の時点ですでに航空写真が日本国内で撮影されていたことなのですが、この話は次回にしましょう。
右写真は第一突堤から出航する箱根丸、左写真は第三突堤に着岸中の香港丸で、写真中央のアーチ型の構造物は可動電力起重機で、レールによって移動することができました。また、船の乗降用のタラップもあったといいます。なお、「日本地理体系」の解説によると当時、第三突堤は主に外国貿易客船用だったようです。
第三突堤は、神戸三宮フェリーターミナルとなっており、高松行きなど国内船が運行しています。戦前の活気とはうって変って静かな港でしたが、料金も安いことから荷物を運ぶトラックなどが船舶に乗って四国や九州へ行くようです。
前号2回にわたっての神戸「アドルフに告ぐ」舞台紹介もいよいよ第3弾ですね。諏訪山公園で街並みを望み、新港突堤で海辺に向かう、、、というさんぽ、この季節には楽しそうです!
今回も「アドルフに告ぐ」めぐり、読み込んでしまいました。 写真や当時使用した資料など、比べてみるといろいろな発見がありますね。 次回も楽しみにしています!
7月・・・7といえば・・・七色いんこ!
みなさんのステキないんこ作品を心よりお待ちしております。
ヒーロー・ヒロインに限らず、大好きなロボット、動物、宇宙人、不思議生物、むしろ無機物…何でもかんでも、あなたの大好きなキャラクター、作品などなどの絵や評論、ナゾトキ、アツイ語りなどなんでも大募集です。
イラストじゃなくてももちろんOK!!
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7月号掲載は、2015年6月15日(月)までにいただいたものとさせていただきます。7月号以降にも、いただいた投稿を掲載していきます。