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虫ん坊 2012年07月号 特集1:杉井ギサブロー監督 インタビュー

「陽だまりの樹」記者会見

 

 映画『グスコーブドリの伝記』が、いよいよ7月7日に公開になります!
   虫ん坊では、今年1月から清水義裕プロデューサー、小松亮太さんへのインタビューを掲載してきました。今月は脚本、絵コンテ、監督を努められた杉井ギサブロー監督にお話を伺いました!
 かつて虫プロダクションに在籍し、『鉄腕アトム』『悟空の大冒険』『どろろ』といった手塚治虫の漫画を原作としたアニメ作品に携わり、手塚治虫とも関わりの深い杉井監督。『グスコーブドリの伝記』の前作『宮沢賢治 銀河鉄道の夜』(1985)は強烈な印象を持つ作品ですので、当時ご覧になった方は記憶に残っているのではないでしょうか?
 今回のインタビューでは、杉井監督の宮沢賢治や、アニメに対する思いなどを語っていただきました。

 関連情報

映画『グスコーブドリの伝記』公式サイト
杉井ギサブロー監督主演・ドキュメンタリー映画
映画『アニメ師 杉井ギサブロー』公式サイト
映画『アニメ師 杉井ギサブロー』公式フェイスブックファンページ
杉井ギサブロー監督初の自伝
アニメと生命と放浪と 〜「アトム」「タッチ」「銀河鉄道の夜」を流れる表現の系譜〜 (ワニブックスPLUS新書) [新書]



■『グスコーブドリの伝記』について


市原隼人さん

杉井ギサブロー監督。

——改めて伺いますが、『グスコーブドリの伝記』はどんな作品になりますか。

杉井監督(以下杉井):  今回の作品は宮沢賢治の童話『グスコーブドリの伝記』を、僕なりの脚色でアニメーション映画にした作品です。
 『グスコーブドリの伝記』は、大切な物を失ってしまった少年の物語です。ブドリ自身が、冷害で大切な家族を失ってしまったために、同じような事態が起こった際に、「自分が身をなげうってでも何とかしなくちゃ」というふうに考えることができるのです。賢治自身、東北で暮らしている間に4回の飢饉に見舞われ、その惨状を目の前に見ています。もっとも、童話なので、ドキュメンタリーのようななまなましさはないとしても、その体験をバックボーンにしながら、物語を書いているんだと思います。あのような悲劇を二度と起こしたくない、というのは、賢治自身の素直な思いだと思うんですよ。
 この作品は一般的には自己犠牲の物語として語られますが、賢治はそんなことを語りたいのではなくて、ひとつの人間にとっての出来事、一番大事なものを失ってしまった人間が、自分ができることであればどんなことをしてでもその再発を止めたい、という思いが一番のポイントだと思います。それをなんとかして映画にしたかった。




成宮寛貴さん

——映像では、ファンタジックな夢の世界をさまようブドリが出てきます。

杉井:  映画の中では、生と死の世界を描き分けています。僕なりの解釈での賢治の死生観ですね。賢治は「生の世界」「死の世界」というふうに区別して考えているわけではないと思うんですよ。「生の世界」を三次元とすると、それに対する「死の世界」は異次元である、というほうが当たっているんではないか、と考えました。
 ブドリにとっての一番幸せな時間というのは、みんなでスープを飲んでいたあの時間ですよね。それを取り戻したい、というがブドリの思いです。
 「死の世界」に相当する異次元は、生きている人間にとっては、夢でしか体験できないものだと思います。夢のなかでは、現実で亡くなった人が出てきたり、体が浮くようなことがあったり、生と死はもちろん、時間や重力の法則なんかも簡単に超越してしまいますよね。


「陽だまりの樹」記者会見

——夢の世界のほうに、現実の、昔の日本の浅草のような風景が出てくるのが印象的でした。

杉井:  鳥居が出てきたり、浅草あたりの夜店のような風景が出てきますね。あれはもともと、グループ・タックの田代敦巳さんが「ブドリをやるんだったら、浅草十二階を出してよ」と言い出したことから始まったことで、僕は、「ブドリと浅草十二階ってあんまり関係ないんじゃないの」なんて言っていたんですが、「そんな固いこと言わずに出してよ」って。プロデューサーの言うことだから、聞けるなら聞かなくちゃならない、でも浅草十二階とブドリの世界ってあんまりかけ離れているな、と。でも、夢の世界でならいいか、と思いまして。
 賢治は上京した時に浅草にも立ち寄っていますから、浅草十二階にもきっと登っているんですよ。賢治の性格からして、登らないはずない、と思うんです。ブドリの世界との整合性はなくても、夢の世界であれば、浅草のモチーフも出てきてもいいな、と思ったんです。夢ですから、ブドリが見たこともないようなものが出てきてもいいわけですからね。
 ちなみに、あの夢の世界でコトリを追っかけていくシーンに出てくるいくつかのモチーフは、『ペンネンネンネン・ネネムの伝記』という、『グスコーブドリの伝記』の習作のような、ばけものが主人公の作品から取っています。
 『グスコーブドリの伝記』には他にもいろいろな仕掛けを作っていて、前作『銀河鉄道の夜』に出てくるキャラクターが顔を出したりもします。『銀河鉄道の夜』で別役実さんがオリジナルで作った、盲目の無線技士が町中でブドリとすれ違うシーンを入れたり。
 賢治も自身の童話作品の中で、別の作品のキャラクターを登場させたり、といった遊びをやっているんですよね。そういう遊び心がある作家なので、賢治も喜んでくれるんじゃないでしょうか。


成宮寛貴さん

——あるシーンでは、杉井監督ご自身も声優として登場していらっしゃいましたね。

杉井:  はっは、あれは実は、別の方の出演を考えていたのですが、都合で出られなくなってしまったので、仕方なく僕がやったんです。どこで登場しているか、は秘密です。ご覧になる方は探してみてください。


——ちなみに、『銀河鉄道の夜』の次に『グスコーブドリの伝記』を選んだのは、なぜですか?

杉井:  『グスコーブドリの伝記』についてはプロデューサーの渡邊桐子さんの発案ですね。渡邊さんも大変な賢治のファンで、僕が『銀河鉄道の夜』を映画化したときもとても喜んでいらっしゃいました。
 『銀河鉄道の夜』の企画を進めた田代さんは、どちらかというと毎回違うことをやりたい、と考えるタイプでしたので、賢治の作品の第2弾、という考えはなかったようです。ですから、『グスコーブドリの伝記』については渡邊さんの意向が強いですね。もちろん、田代さんも反対ではなかったのですが。
 渡邊桐子さんとは30年まえから知り合いで、ちょっと変わったプロデューサーです。僕とは長い付き合いなので、「いつか杉井さんと一緒にアニメーションをやりたい」というお話をたびたび、いただいていました。



■宮沢賢治について

「陽だまりの樹」記者会見

岩手県花巻市で行われたジャパンプレミアにて

——ずばり、宮沢賢治の魅力とは、何ですか?

杉井:  宮沢賢治という作家自身がもつ特異性に、一番興味があります。賢治という人は、宗教者として、仏教に基づいた確固たる哲学と価値観を持っていながら、地学・農学を通した、科学者としての知識と観察力も持っている。さらには、詩人としての感性の高さですよね。普通の作家との違いは、常にこれらの3つの目で眺めているのが、賢治の特性だと思います。
 例えば、——朝、森の中に風がふくにしても、賢治はその中に風の“声”を聞く、と言うんですよね。作家らしい比喩表現という解釈もできるかもしれませんが、賢治はそこに、自然の中の生命現象との関わりを見出していたのではないか、と思います。
 賢治が「風の声」という時には、詩人としての目とともに、常に科学者としての自然現象を見る視点が備わっているんです。賢治はそういう多角的な視点に基づいて童話を書いているので、その作品というのは、時代を超越していますよね。
 『グスコーブドリの伝記』では、寒冷化による飢饉というものが素材になっていますよね。現代でさえ、東北の震災という、圧倒的な自然の力の前に、人間の科学が全くどうにもならないほどダメージを受けてしまって、未だに解決がつかない。原発の問題なんてまさにそうですよね。
 しかし、『ブドリ』のなかで描かれる冷害にしろ地震にしろ、地球の大きな活動の中の一現象として起こるのであって、人間はそれを「災害」と呼びますが、自然にとっては活動の中の一現象でしかない。そういう、どうしようもない中で人間としてどう生きるか、ということを、賢治はたくさんの童話の中で、いろいろな形で描いています。あるときは批判的に書いてみたり、あるときには予知的に書いてみたり。そうした、目線の幅の広さと、観察の深さ、これが賢治の最大の魅力かなあ。



「陽だまりの樹」記者会見

製作発表記者会見にて。

——宮沢賢治に惹かれたのはいつ頃でしたか?

杉井:  実は、強烈に賢治に惹かれていたのは、田代敦巳さんなんですよ。僕が旅に出ている間に、『銀河鉄道の夜』のアニメ化をしないか、という話を旅先に持ってきてくれたんです。
 僕自身はそれまで、賢治という人にはすごく偏見を持っていて。小学校の頃に『雨にも負けず』という詩は僕には遠いな、と思っていました。「そういうものに わたしはなりたい」って、うーん、あんまりなりたかないな、って。学校の先生の読み方も、なんだか「エライ人だ、素晴らしい詩だ」っていう感じで読んでくれてね。でも、小学生の僕としては、偉い人なんだけど、自分とは遠いな、と思ってね。二宮金次郎の銅像を横目で見ながら、「似たような人か」と。
 でも、宮沢賢治という作家がそういう、とても崇高な人としてだけ捉えられているのは、可哀想だと思います。というのも、宮沢賢治という人の残した作品やエピソードを知れば知るほど、実は面白い、人間味のあるユーモアのある人だったんだ、ということがわかるんです。なんだか彼の人間像は間違って伝えられているんじゃないかと思うんですよね。
 確かに、知識人としての賢治は、大変深い人です。そういうところはもちろん尊敬に値しますが、でも、賢治自身は、今一般的に思われているような崇高な人間になろうなんて、ちっとも思っていなかったんじゃないでしょうか。そういうところが見えてきて、僕も賢治を好きになれました。『銀河鉄道の夜』をやることによって徹底的に賢治に近づいてみて、僕もまた彼を誤解していたことが分かったのです。


■手塚治虫について

「陽だまりの樹」記者会見

『鉄腕アトム』(1963年)。(C)手塚プロダクション・虫プロダクション

——手塚治虫ついては、杉井監督はどのように見ていらっしゃいますか。

杉井:  手塚先生がマンガやアニメの分野にもたらした新しさというのは、大変なものだ、と思っています。
 手塚先生は作家ですから、『鉄腕アトム』というアニメ作品について、ご自身でどうしてあれほどヒットしたのか、とか、その他のいろいろな要素について研究したり、分析したりすることはありませんでした。その姿を僕は横で見つつ、いっしょに作っていきながらも、手塚先生が『鉄腕アトム』という作品を作り上げた、ということは大変なことなんだ、と思っていました。
 なにが大変か、というと、アニメ史の中で、一つの“分野”を作ってしてしまった、ということです。
 今、日本のアニメが「ジャパニメーション」と言われて世界で評価されている理由の一つに、悲劇から喜劇から、あらゆる題材をアニメーションで表現できる、ということが確立されているところがあると思います。
 手塚先生は漫画の分野でも、ストーリー漫画というものを確立しました。ぼくらが子供のころは、『のらくろ』でも『タンクタンクロー』でも子供向けのコマ漫画でしたが、そこに手塚先生は映画のような時間軸を創りだしてしまったんです。手塚先生は偉大な漫画家、というだけではなく、ある一つの文化に一石を投じましたよね。これはもう、革命に等しいんじゃないですかね。
 手塚先生はその延長線上にアニメーションを手がけていた、というお気持ちだったかもしれませんが、僕から見ると、アニメーションの世界をもまた、塗り替えたんだと思います。手塚治虫以前は、アニメーションというと、ディズニーのように、おとぎ話や冒険物などを描くものだと思われていたのを、『鉄腕アトム』では、ロボット故に悩みを抱えた主人公がでてくる。そんなドラマ性のある物語をアニメ化する、なんていうことは当時、考えられなかったんですよ。それを、アニメーションという技法で映像化する、新しい表現を作ってしまったんですよね。
 そういう、手塚先生がアニメに対してどんなことをやってきたのかをきちんと分析し、整理するのも、若い頃から一緒にやってきた僕らの仕事の一つだと思っています。
 僕は、自分の仕事としてやっているものはすべてその目的の延長線上にあって、自分の作家性でモノを作っているというよりは、アニメーション作家として、手塚先生が『アトム』で切り拓いてきた「アニメ」というものを常に作っていこうとしています。作品を通して、「アニメーションとはなにか」「アニメとはなにか」「映画とは何か」という3つの軸を常に問いかけています。



「陽だまりの樹」記者会見

『陽だまりの樹』(2000年)。(C)手塚プロダクション/バップ/小学館/NTV

 僕は今、意識的に劇場という場を、アニメーション作品を楽しめる場にしていきたい、と一生懸命、考えています。家族で映画館に娯楽の一つとして見に行って楽しい、映画自身が娯楽として成立するようでありたいのです。僕らはそれに値する作品を作っていきたい。
 一方で、賢治作品のような文学作品を掘り起こして、楽しく見てもらえるようにしていきたいとも思っています。今の若い人達は、漫画やテレビと比べると文字からは離れてしまっている。でも、文字で書かれたものにも面白いものはたくさんあります。そこで、文字を映像化することによって、紹介する、という側面もあります。
 宮沢賢治にしてもとてもよい作品ですが、『グスコーブドリの伝記』も『銀河鉄道の夜』もちゃんと読んだ、という人は少ないかもしれないですね。あれだけ知られているのにあまり読まれていないんです。アニメーションにすることで、原作を読む人も増えた、ということはすごく嬉しいですよね。
 僕がグループ・タックでてがけた、『まんが日本昔ばなし』でもそのような現象がありました。あの頃、子供たちの親世代で、日本の民話を語れることができる人はずいぶん減ってしまっていました。そこで民話をアニメーション化して紹介することで、若い人にも楽しめる形で民話を届けられたと思っています。
 手塚先生の発想もみな、そうだと思うんですよね。科学的な素材や、大人向けの素材をどのように楽しく伝えたら良いかという工夫をしているんです。『陽だまりの樹』をアニメ化した時に感じたのですが、幕末の政変のお話を、手塚先生は革命を起こした偉人たちではなく、それに巻き込まれた人々を主人公にしました。そういう視点を持って、より多くの人に面白いと思ってもらうように工夫する視点が、手塚先生のすごいところですよね。



■アニメーションとは!

「陽だまりの樹」記者会見

ニコニコ生放送「”Promotion but Education Vol.3 サントラ収録生放送”」でも放送されたサントラ収録の様子。

——今や、テレビアニメーションでは漫画原作作品を始め、多くの作品が沢山、放送されています。杉井監督がアニメーションを作る際のポリシーがあれば、教えてください。

杉井:  僕達の仕事は、常に新しいことをやっていかないとなりません。古い作品をやるにしても、——例えば宮沢賢治の童話を原作に作るにしても、原作をそのとおりに紹介するような映画は、僕の仕事ではないな、と思いますね。エンターテイメントであるからには、賢治であろうと、手塚治虫であろうと、紫式部であろうと、映画としてどう見せたらいいのか、という姿勢はあるべきですよね。
 今は割りと、逆もあるんですよ。漫画を原作にするからには、漫画のとおりにやってほしい、というような注文の入る仕事がね。そういうお話は全部断っています。僕は若い頃からはっきりしていて、自分のしていることに注文を付けられるような仕事は、お断り。もちろん、いじわるや、嫌だから言っているんじゃなくて、そもそもそれって、変でしょう? 映画を作っている時に、ここのところはどうしましょう?とか、いちいち原作者にお伺いを立てるんでしょうか。 映画のなかでの表現については、映画の演出家の領分であって、原作漫画の出版者や作者が踏み込むところではないと思うんですよね。

 映像を作るプロフェッショナルとしては、自分の軸で作品が作れない、というのではとても仕事になりません。おそらく皆そう思っているんだけれども、今はそれを声高に言える人があまり、いないですよね。特にアニメーションの世界は、いろいろな事情でそうした息苦しい雰囲気が作られてしまったんじゃないかな、と。
 手塚先生はね、一切そんなこと、言ったことも無いですよ。もちろん、虫プロの社長だったころは、ご自身がプロデューサーでもあったんだから、「ギッちゃん、もう少し子供にわかりやすくしてください」とか、大きなところでの方向の指示をされるぐらいでした。
 それでも僕なんかは先生とはぶつかっちゃって、結局、自分の思った通りにしか作らない、ということで通してきましたけど。
 手塚先生だって、漫画については出版社から内容についての注文を受けることなんてなかったんだと思いますが、映像の作家たちもそうなんですよ。
 漫画のファンや、一般の視聴者の方でも時折、「なんで原作通りやらないんだ」とおっしゃる方がいますが、映像と漫画では時間軸も違いますし、カット割りなんかも違って当たり前なんですよ。漫画の通りにやってしまっては、映像としては魅力のないものになってしまいます。思い切って映像的に作ったほうが、原作の魅力だって、出るんですよ。
 もちろん、映画的な脚色をした作品ですが、原作の骨子というか、作家が描きたかった趣旨を変えてまで映画にする、というのは、僕はそれはやらない。
 手塚世界も、賢治世界も、あだち充世界にしても、それぞれの作家がオリジナル作品として描く時の制作意図がありますよね。それを曲解せず、忠実に描くことは気をつけています。
 その作品の持っているメッセージを良いと思って、アニメーションにしよう、と選んでいるのですから、それを変えてまでやる、というのは、ちょっと変です。作品の持っているメッセージを、映像作品にいわば翻訳して伝えていくのがぼくらの仕事ですからね。



■次、気になる作品

「陽だまりの樹」記者会見

——次回作など、構想がありましたら教えて下さい。

後藤:  手塚漫画なら「リボンの騎士」を今考えています。パイロットフィルムまでは作りましたから、いずれみなさんにお見せできると思います。あれはいつやっても良い作品です。ただ、手塚プロダクションは慎重なので、「ブドリの結果を見てから……」なんて言われています(笑)。
 賢治の作品について言えば、僕には三本作りたいな、というイメージがあるんです。三作品を作ることで、賢治の童話世界を表現したい。『宮沢賢治 銀河鉄道の夜』では、賢治の純粋な死生観というか、仏教を通した哲学を掘り下げました。映画では、「生きるとはどういうことか」ということを軸に作っています。本作『グスコーブドリの伝記』は賢治の持っている幻想性のようなもの、幻想世界をつかって自然と人間との関係を考えていく。三作目では、賢治の面白い面を掘り下げていきたい。実は賢治という人はユーモラスな人で、楽しい童話もたくさん書いています。その、賢治の楽しい世界を映画化したいな、と思うんですね。
 それらの三部作をそろえることで、ちょうど賢治という作家の持っている資質の、大きい枠での作家性のようなものを「これが宮沢賢治の童話世界だ」というふうにまとめられたらいいですね。三作目の原作は賢治の面白い童話から何か選んでもいいし、いくつかの作品の要素を寄せ集めてもいいかもしれません。昔あった「おかしな、おかしな、おかしな世界」という映画のような、ごちゃまぜの世界観、そういう感じでも面白いな、と思います。

 ただひとつ言えることは、『銀河鉄道の夜』や『グスコーブドリの伝記』のように、無国籍な雰囲気の作品となると思います。賢治の童話には、地元岩手県の雰囲気を色濃く残したものと、広く国籍や性別も問わずに読むことができるものの二タイプがありますが、僕は後者の雰囲気で作りたいですね。『風の又三郎』なんかもいい童話なんですが、東北の雰囲気がかなり強い作品ですから、ちょっと違うかな、と。僕自身東北に暮らしたことがないので。

——お忙しい中、ありがとうございました。




映画『グスコーブドリの伝記』はいよいよ7月7日から!


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