チョコレートやビスケット、スナックなど、みんなが大好きなお菓子から、イソジンうがい薬などのOTC医薬品まで、さまざまな商品を幅広く取り扱う株式会社明治。
1963年の1月に、『鉄腕アトム』のアニメーションの放送が始まりますが、そのスポンサーだった明治製菓(株式会社明治の前身)が当時の新商品、「マーブルチョコレート」のパッケージにアトムを印刷、おまけとしてシールを入れて、発売しました。
今や子ども向けのお菓子の定番となった「マーブルチョコレート」。現在の通常版のパッケージには、アトムは印刷されていませんが、1月24日から、セブンイレブンのみの数量限定版として、復刻版「アトムマーブル」発売されています。
この商品の企画の担当をされている、株式会社明治 菓子商品企画部課長 專田崇雄さんに、詳しいお話を聞きました。
株式会社明治 WEBサイト
セブンイレブン『ALWAYS 三丁目の夕日'64』キャンペーンサイト
復刻版マーブルチョコがセブンイレブンに登場!
虫ん坊2003年4月号 「鉄腕アトムマーブルチョコができるまで」
——コンビニエンスストア「セブンイレブン」限定で発売された復刻版『鉄腕アトム マーブルチョコレート』ですが、開発のきっかけはなんだったのでしょうか?
專田(以下S): もともと、1月10日に公開された映画『ALWAYS 三丁目の夕日'64』キャンペーン向けの商品として、私たちがセブンイレブンに提案しました。私たちにとって、1964年といえばまさに『鉄腕アトム』なんです。
その時代をリアルに生きた世代は、60歳前後のシニア層ですが、まさにその方たちが懐かしがって下さるような商品を目指しました。
——他にどんな関連商品がありますか?
S:『鉄腕アトム マーブルチョコ』以外にも、『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったキャラクターでバッグを作っています。中に「マーブル」はもちろん、「カール」や「アポロ」「チェルシーバタースカッチ
」といった、昭和30〜40年代に発売され、今でも明治の定番のお菓子が入っているような商品となります。中の商品は復刻版ではありませんが、おまけに「昭和テイストのアイテム」として、メンコをいれています。
実は、『鉄腕アトムマーブル』以外にも、キャラメル商品も提案してはいたのですが、ある事情で実現出来ず、マーブル一本ですすめることになりました。
——これまでも、何度かアトムマーブルの復刻がありました。
S:そうですね。2003年のアトムの誕生日や、『鉄腕アトム』連載開始60周年企画など、折々に復刻をしています。
実は、つい先日、昨年の2月ごろにも、マーブルチョコ50周年企画として、「アトムマーブル」の復刻版の発売が予定されていたのですが、東日本大震災の影響で、幻の商品になってしまいました。
——今回のアトムマーブルの特徴は?
S:今回発売の「アトムマーブル」は、短いパッケージの3本組みですが、これは特別なラインで、より昔のパッケージに近づいた形でつくったものなんです。
実は、1960年代当時のマーブルって、パッケージの形態が今のものと違っていまして、より短めで、その代わり横幅が少しずんぐりしていたのです。今までの復刻版は、デザインなどはあわせていますが、パッケージの形までは復刻できていませんでした。
その代わり、以前までの復刻版で付けていた、外装フィルムをまわすとキャラクターが動くしかけは、付けられませんでした。短くした今回のパッケージに形が合わなくなってしまったのです。
やっぱりシールが入らないと、アトムマーブルじゃないよね、ということで、シールはついています。ただし、昔のもののように筒の中に入れるとシールが小さくなってしまいますので、大きなシールを外箱の中に入れています。
——商品企画部のお仕事で、大変なことはなんですか?
S:私たちの会社では、全く新しい製法や食感を狙ったものから、既存商品のマイナーチェンジまで、新商品を年間400点出しています。毎日1点以上、登場している計算になりますよね。とにかくたくさん生み出して、流通や、消費者に淘汰されて、生き残るのはごくわずか、という生存競争の厳しい世界です。
たくさんのお菓子が並んでいる売り場の棚から、お客さんがどれを選んでくれるのか、それを分析し、見極めていくのがやはり難しいです。
ちなみに、スーパーやコンビニで、新しいお菓子が棚に並ぶのは毎週火曜日です。その火曜日に、華々しくデビューしたお菓子が仮に売れたとしても、喜びは本当に、ほんのつかの間です。「やった! よかった!」と思った次の瞬間には、もう売れなくなります。それはなんとも苦しいですよね。せめて、1週間ぐらいは、喜び続けたいな、と思いますよ。
だから、結果が出ないうちに、次の手を考えていきます。そうしないと、せっかく売れているものでも、すぐに忘れられてしまったり、他社の類似商品がたくさん出ることで、ブランドイメージが確立されないまま、埋もれてしまったりすることになります。
——一方で、ロングランで売れている商品もありますね。
S:「マーブルチョコレート」のような、会社の看板で、歴史のある商品って、やっぱり、長く愛されて、選ばれる理由が絶対にあるんですよね。
たとえば、1970年代に登場してロングセラーとなったシリーズで言うと、『きのこの山』『たけのこの里』っていう商品がありますが、これの3番目のラインナップを作ろう、というのが実は、われわれ商品企画部の長年の課題なんです。
一生懸命、日夜研究に研究を重ねて、3番目の商品を考えるのですが、いくら考えても思いつかない。ロングランの商品ってそういうものなんですよ。
「マーブルチョコレート」も、いまやあの形の商品としては、不動の地位を築いています。多少、他社の類似商品もありますが、もはやまねをしても意味のない商品になっています。
商品としての魅力はもちろんですが、新商品の頃に、鉄腕アトムを付けて売り出したことで、絶対的な認知度を得ることが出来たことが、今の「マーブルチョコ」につながっている、と思っています。当時の担当者に見る目があったんでしょうね。マーブルは、いまやうちの会社の大切な財産になっています。
——株式会社明治って、どんな会社ですか?
S:もともと、砂糖を精製していた明治製糖と、キャラメルやビスケットを製造していた東京菓子が合併して1924年にできたのが、明治製菓です。さらに、2011年4月に明治乳業と経営統合し、株式会社明治となりました。
キャラメルといえば、『鉄腕アトム』とは、マーブルよりも前にキャラメルの商品を作っていたりもしたんですよ。
私たち、菓子商品企画部は3つあります。チョコレート商品を中心に開発するグループ、ガム・キャンディ・グミ・ラムネを開発するグループ、スナック類を開発するグループに分かれています。
——私たちが食べているお菓子は、どこで作られていますか?
S:株式会社明治の直系の工場というと、埼玉県の坂戸工場、静岡県の東海工場、大阪府高槻市の大阪工場があります。埼玉ではチョコレート、ガム、グミの商品、静岡ではキャンディーとチョコレート商品を、大阪ではチョコレート、焼き物商品、それに「マーブルチョコレート」を作っています。
それぞれ、商品は基本的には1つの工場で作ったものが全国にでまわる仕組みになっていますが、「カール」だけは、運ぶコストが大きいので、工場ごとに担当地域が決まっていて、それぞれの工場で作って、売っています。
そのほかにも、グループ企業や子会社が製造しているケースもあります。——『鉄腕アトム』とマーブルチョコの御付き合いは長くなりました。
S:今でも、うちの会社の中では、大阪工場が出来たのは、アトムマーブルのおかげ、と言われています。なにしろ当時、年間3億個が売れたそうですよ。日本人の人口がまだ、1億人前後だった時代ですから、すごいですよね。また、プレミアムキャンペーンを実施したところ、900万通を超える応募があったそうです。今じゃちょっと、考えられないことですよ。
何せ、トラックが外で待っていて、作ったらすぐ持っていく、という感じだったそうです。高槻の工場は大規模ですが、それもひたすら、マーブルを作るために拡大した結果だったんです 私たちにとって、アトムというのは特別な存在です。もはや、マーブルとアトムを切り離して考えられないぐらいです。
だから、マーブル誕生50周年の年に何をしよう? となったら、「アトムをやろう」と当然なります。今回のお話だって、アトムと『ALWAYS』は直接は関係ないのですが、あの年代であればやっぱり、アトムマーブルだろう、と即決で決まりました。
今流行のキャラクターとも、さまざまに御付き合いをしてはいますが、50年ものあいだ、人々に愛され続けているキャラクターなんて、稀有ですよね。
『鉄腕アトム』というキャラクターが持つ世界観には、安定感というか、安心できるものがありますよね。たとえば、おじいちゃんおばあちゃんとの思い出とか、小さい頃、お母さんが買ってくれたお菓子のような、温かくて、優しい記憶のようなものが。そういった世界観って、どんなに時代が進んでも、否定されないと思うんです。だからアトムも、いつまでも生き続けているんだと思います。それはどこか、「マーブルチョコレート」のような定番商品の持つ温かみに通じるものだと思うんです。
私たちの大切な「親友」アトムとはこれからも末永く、御付き合いしていきたいですね。