ぼくの心を照らした漫画映画

1945年4月12日【16才】

空襲と疎開でほとんど話題にならなかった戦中の国産アニメ「桃太郎 海の神兵」ですが、手塚治虫は感激し自分も「漫画映画をつくる」と誓います。

手塚治虫エッセイ集より

映画「桃太郎 海の神兵」より

映画「桃太郎 海の神兵」より

敗戦の年の春、意外な傑作が突如として現れた。

「桃太郎 海の神兵」全九巻の、文字通りの大作である。

製作費二十七万円、監督瀬尾光世(せおみつよ)(現せお・たろう)、原画桑田良太郎(くわたりょうたろう)、音楽古関裕而(こせきゆうじ)、作詞サトウ・ハチロー、美術黒崎義介(くろさきよしすけ)というスタッフは堂々としたものであり、なによりも国産動画の総決算といった作品になった。

 

ところが、残念ながら東京、大阪ともすでに焼け野原となり、日本は矢折れ弾尽きて映画どころではなくなっていた。

だいいち、観客である児童は各地に疎開している。ほとんど話題にもならずに葬られてしまった。

 

ぼくは焼け残った松竹座の、ひえびえとした客席でこれを観た。

観ていて泣けてしようがなかった。

感激のあまり涙が出てしまったのである。

全編に溢(あふ)れた叙情性と童心が、希望も夢も消えてミイラのようになってしまったぼくの心を、暖かい光で照らしてくれたのだ。

 

「おれは漫画映画をつくるぞ」

と、ぼくは誓った。

 

「一生に一本でもいい。どんなに苦労したって、おれの漫画映画をつくって、この感激を子供たちに伝えてやる」

講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集 1』より
(初出:1969年毎日新聞社刊『ぼくはマンガ家』)