小学館の青年向けマンガ雑誌『ビッグコミックスペリオール』で、ちょっと変わったマンガの連載が始まったのを皆さん、ご存知でしょうか? その名も『チェイサー』。“漫画の神”を追う男とは?!、というキャッチフレーズのとおり、主人公は手塚治虫……ではなく、手塚治虫を『マネする』男!
戦記マンガを得意ジャンルとし、3本の連載を抱え、……そしてなぜか、何かと手塚治虫の行動を“マネ”してしまうという漫画家・海徳光市を通して、“手塚治虫”を描く!? という挑戦作。今月の虫ん坊では、作者のコージィ城倉さんにお話を伺い、今後の見所や作品にかける意欲、さらにはご自身の「手塚治虫愛」について語っていただきました!
——城倉さんというと、『砂漠の野球部』や『おれはキャプテン』、また、別ペンネームの森高夕次として原作を提供されている『グラゼニ』というように、野球漫画にお強いイメージがありますが、今回は手塚治虫という漫画家をテーマにされていますが、着想のきっかけを教えて下さい。
城倉:
漫画家ならきっと、多くの人がそうだと思うのですが、手塚治虫という漫画家の存在には、何らかの興味があると思うんです。僕は竹内オサムさんや、中野晴行さん、夏目房之介さんなど、多くの漫画研究者が出しているいわゆる「手塚本」を読むのが、以前から大好きだったんです。
あれほどの本が出るということは、皆さんが手塚治虫という人物を研究対象として意義深い、と考えているんだと思うのですが、それを超えても、人柄ひとつ、行動ひとつとってもたくさんのエピソードがあって、ご自身そのものがネタの宝庫というか。
こんな漫画家は他にはいないと思うんですよ。もちろん、トキワ荘出身の諸先生方や、僕も大好きな梶原一騎先生にも、破天荒なエピソードがたくさんありますが、逸話の面白さ、数ともに群を抜いています。そんな、いわゆる「手塚本」をいっぱい読んでいるうちに、こういう作品を書きたくなってしまって。
もう一つ、手塚治虫の才能の「ものすごさ」を伝える本って、活字ではたくさん出ているのに、漫画ではまだまだ出ていないと思っていて。手塚作品のリメイクは何作品か描かれています。ですが、それは手塚治虫の凄さそのものについて描かれているわけではもちろんありません。宮本克さんと吉本浩二さんによる『ブラック・ジャック創作秘話』が「この漫画がすごい!大賞」に選ばれてヒットしましたが、この作品はノンフィクション作品です。フィクションの漫画という形式をとって迫っていく、というジャンルはまだ無いと思うんです。
——城倉さんは、梶原一騎を尊敬し、「梶原派」を自認されている、と伺っていましたので、てっきり、アンチ手塚治虫なのかと心配していました。
城倉:
確かに僕が生まれてはじめて買った単行本は『巨人の星』で、それ以来ずっと梶原一騎の大ファンですが、もちろんそんなことは全くありません! むしろ、梶原一騎の『巨人の星』を、かの手塚治虫が、「これのどこが面白いのか、説明してください!」と言ってアシスタントに意見を迫った、というようなエピソードで、手塚先生の人物像に、より興味を持ちました。ああいうエピソードはわくわくしますね。
僕は、現在の日本の漫画の出版形態だったり、ノウハウやいろいろなものを作り上げたのは、やっぱり二大巨頭である手塚治虫と、梶原一騎だと思っていますからね。
——連載第1回に登場した『ライオンブックス』は、いわば「玄人好み」な作品ですが、同じ年代でも『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』じゃないわけですね。
城倉:
確かに『ブラック・ジャック』や『鉄腕アトム』も面白いですが、そういういわゆる「代表作」はかえって、手塚治虫という作家の評価を狭い範囲に閉じ込めちゃっているように思うんですよ。『ブラック・ジャック』は確かにいまも人気ですが、あんまり漫画に興味のない一般人にとっては『ブラック・ジャック』の手塚治虫、と思っている人もけっこういると思うんです。
手塚先生も『鉄腕アトム』が売れた後、「それだけがぼくの作品じゃない」と嘆かれた、といいますが、『チェイサー』の中ではそういう代表作に埋もれてしまった作品を取り上げたいんですよね。
と、同時に、主人公の海徳光市は表向きには「アンチ手塚治虫」。「手塚治虫って言うほど面白くねえよな」というあえて否定的な立場を取らせつつ、一方で作品の肯定的な評価についても取り上げる。そのほうがさらに元ネタになった作品が引き立つし、興味を持ってもらえるんじゃないか、と。
——取材はどのような形で行なっていますか? また、印象的な「手塚ネタ」は?
城倉:
先程も言いましたが、様々な『手塚本』はいっぱい読んでいます。取材は、かつての手塚番編集者の丸山昭さん、『漫画サンデー』の初代編集長の峯島正行さん、元アシスタントで漫画家の古谷三敏さん、漫画評論家の中野晴行さんにインタビューをしました。
読んだ本では、丸山さんにご紹介頂いた、うしおそうじさんの『手塚治虫とボク』が特に生々しいエピソードが満載で面白かったですね。漫画家仲間と旅行に行った先で連載作品をどんどん上げていく驚異的なスピードの話とか、あとは、——僕は自分も漫画家だからか、やっぱり道具にすごく興味が惹かれたんですけれども、ペン先を一度も変えずに描いていた、という話があって。細い線はペンをひっくり返して描いていた…とか。
もっともこれには諸説があるそうですけれども。
——手塚治虫の魅力を一言で言うと? やはり「天才」だとお考えですか?
城倉:
手塚治虫という人物がいかにものすごい才能を持っていたか、ということですよ。おそらくまず、大脳のつくりレベルでぜんぜん違うんだと思います(笑)。
天才の能力の一つで、「速読ができる」というのはよく語られますけど、手塚治虫もやっぱり本を読むのがすごく速かったそうですね。丸山さんによれば、手塚治虫は目で写真を撮るみたいにして、脳みその中にページの内容を取り込んでいたのではないか、と。だから短時間でたくさんのことを暗記するのが得意だったんじゃないか、とおっしゃっていました。医学博士号の試験も暗記がメインらしい、と聞いたことがありますが、それをパスしちゃったんですよ。「スゴイ」としか言いようがない。
昭和三十年代を選んだのも、当時の手塚治虫が一番超人的な活躍をしていたからです。月に10本の連載を抱えているのに、さらに東映動画で9時5時で働いている! 5時に家に帰ってから10本の連載をこなすわけですよ! さらに、博士号まで…。どれだけすごい大脳を持ってるんだよ…と。(笑)
天才の条件のもう一つとして、「多作であること」と定義したいのですが、これも手塚治虫は半端じゃ無いです。多作という1点では、あるいは梶原一騎や水島新司、小池一夫もそうかもしれない。でも、あれだけ多岐にわたるジャンルで作品を描いた人は手塚先生だけだと思うんです。
丸山さんは手塚治虫を評して、他人とは違うことができる「異能の人」とおっしゃいましたが、なんだかかっこ良い表現ですよね。僕は誰かに科学的に「手塚脳」を解明して貰いたいと思っているくらいです。
現代のマンガ家でも、「天才」と称される人はいると思いますが、これほどスケールのでかい天才は今後も生まれないんじゃないか、と思ってしまいますね。
——作品についてのお話をお伺いします。今後、どのようなお話になっていくのでしょうか?
城倉:
僕は、手塚治虫がまさに超人的な活躍をしていた、昭和30年代ごろをメインに、お話を描いていこうと考えています。主人公はあくまで海徳光市ですが、海徳の目を通して手塚治虫の姿を描いていきたい。いわば海徳は狂言回しです。
——狂言回しが主人公、というと、現在「森高夕次」という別のペンネームで原作を描かれている『グラゼニ』(講談社・モーニングにて連載)という作品がありますが、それでは、海徳は『グラゼニ』の凡田夏之助ということになりますか?
城倉:
凡田ともちょっと違いますね。『グラゼニ』は主人公凡田を通して、そのチームメイトを描いていく作品ですが、『チェイサー』は海徳光市の目を通して、手塚治虫像を『浮き彫りにしていく』という感じです。海徳は手塚治虫をマネしようとする。「影」でもなし、「役者」でもなし、何といえばいいのか、漫画ではあまり描かれたことがない立ち位置のキャラクターですね。一番近い言葉で言えば、海徳は「フィルター」!
——なるほど! ……となると、描くのも難しそうです。
城倉:
今までの方法論は通用しないし、苦労をしています! やっぱり漫画の主人公は自ら動かなくちゃ話が動かないんですが、海徳自身は動いていかずに、成功していくというわけでもない。常に同じ位置で手塚治虫をマネし続けますから。
また、たくさんの「手塚ネタ」の中からの取捨選択も悩ましいところですね。漫画にして面白いか? 読者に面白がってもらえるか?
現時点での決まりごととしては、まず、手塚治虫本人の「姿」ははっきり描かないことにしています。1話を見ていただいても分かる通り、影になっていたり、後ろ姿だったり。今後話の展開によっては、もしかしたら二人が邂逅するシーンもあるかもしれませんし、手塚治虫がしゃべっているシーンも出てくる時もあるかもしれませんが、その時も、後ろ姿かシルエットで読者の想像を掻き立てていく手法で。実際にその「行動」を演じるのはあくまで海徳です。
——海徳光市という人物像も、謎に包まれています。手塚治虫の行動をついつい真似てしまう、という「奇癖」以外では、手塚治虫とは作風が違い、当時月刊誌の連載を3つ抱えている戦記漫画作家、という紹介でした。当時の中堅どころの作家といったところでしょうか。
城倉:
海徳という人物は、おいおい紹介していこうと思っているのですが、手塚治虫とは才能はもとより、出自も全く正反対の人物、という設定です。手塚治虫はハイソサエティな家柄でいわゆる「ボンボン」。環境も才能も申し分なく整っているような人物ですが、海徳はもっと、庶民的というか、叩き上げです。名前の中にちょっと匂わせているんですが、第2話で登場するネタをちょっとだけばらしてしまうと、彼は実は特攻隊の生き残りなんです。
——確かに風貌もワイルドですよね。特攻隊の生き残りというと「一度は死んだ体だ」と言って焼け跡を凄んで歩いていた、という人物像が浮かんで来ます。
城倉:
そうです、まさに梶原一騎の世界の登場人物みたいな男で。でも、手塚治虫と同じ年で、同じ漫画家です。第1話で彼は戦闘機乗りを主人公にした戦記漫画の連載を3本抱えている、という紹介をしましたが、彼が戦闘機マンガを描くのは、一番よく知っている世界だからなんです。
——海徳にモデルはいるのでしょうか? ちょうど戦闘機のマンガは戦後しばらくして流行っていた、と聞いたことがあるので、似た人がいないか、と思って探してみたのですが分からなかったです。
城倉:
ズバリこの人! という人物はいないです。冒頭「この人物は実在した!」と描いていますが、これは読者を引き込むためのフックのようなもので、ラストで何となく匂わせているとおり、じつは全くの架空の人物です。あえて言えば、海徳は僕自身ですね。僕が昭和30年代に生きていたら、もしかしたら海徳と同じ事をしていたかもしれない。だから、「実在している!」(笑)
今も昔も、才能のある人に嫉妬する気持ちは誰にでもよく分かると思うんです。昭和30年代にも、きっと手塚治虫に嫉妬していたヤツがいたんだと思う。口ではけなしているけど、実はそういう人ほど、嫉妬の対象が大好きだったりするんですよね。
——久しぶりの小学館「ビッグコミック系」でのお仕事となりました。
城倉:
こういう作品はやはり、小学館でやりたいんですよね。『ビッグコミック』は、手塚治虫が創刊当時からご本人が亡くなるまでずっとコンスタントに作品を描いていた雑誌ですから、そういった意味でも感慨深いです。僕自身、『奇子』とか『きりひと讃歌』といった『ビッグコミック系』が好きなんです。
——先ほど失礼にも、「実はアンチ手塚派では?」と心配していた、というふうに申し上げましたが、実際ちなんだペンネームをつけるほど、梶原一騎好きな城倉さんですが、漫画家になったのはやはり、憧れた先生方の影響でしょうか。
城倉:
いいえ、実は特に漫画家になろうとは思っていませんでした。変に大人だった、というか、「漫画家なんてなれるわけないや」と斜に構えていたところもあって。確かに絵は得意にしていましたので、デザインの仕事を選んで、サラリーマンとして働いていたのですが、幸か不幸か、務めていた会社が経営難になって潰れそうになりまして……(笑)。
このまま務めていてもいつ何時、会社が潰れてしまったりするかも知れない、という状況で、それならいっちょ漫画でも投稿してみるか……と。それが、なぜかいきなり入選して、それから半ば成り行きのようにこの道に入ることになりました。手塚治虫みたいに、子供の頃からなろうと決めていた、というタイプではないですね。
あの頃は2作、3作と作品を出していくと、編集者にいっぱいダメ出しをされるんですよね。そうすると負けず嫌いというか、頑張って編集者をびっくりさせてやりたい、と思うようになって、また作品を描いて持って行く事を繰り返しているうちに、気がついたらもうもどれないところまで来てしまいました(笑)。
——子供の頃から野球はお好きだったそうですが、漫画を描いたりすることはありましたか?
城倉:
イタズラ書きはいっぱいしていましたが、ファンの集いや、サイン会に行ったりしたことはなかったです。田舎でしたから。二十歳の時デパートの催事場で水島新司先生の公開アトリエを拝見したくらいで。ですからもちろん、手塚治虫先生にも現実に会ったことはないです。
——ずばり、城倉さんにとっての手塚治虫とは?
城倉:
先程も少しお話しましたが、僕はよく、何かについて考えるときに、「誰が最初にこれを考えたんだろう??」というようなことを追求したくなるんです。
手塚治虫はまさに、戦後日本の「漫画」を作った人だと思います。今活躍している漫画家や、現役の漫画編集者で、特に若い世代は、手塚治虫についてあまり知らないとか、気に留めない、という人もいるようですが、我々がいる業界の仕組みを作った人物であることは確かなんだから、もっとリスペクトしてもいいんじゃないか、と思います。
——ちなみに、好きな手塚作品をあえて上げるとすれば?
城倉:
誰にでもオススメできて、一番すごいと思う作品は『アドルフに告ぐ』です。まさに晩年の集大成、というか、テーマも、物語も、絵も最高潮のものだと思いますね。
あの作品は手塚先生にとってのまさに真骨頂です。反戦がテーマとなっている、なんて「建前」以前に、手塚先生が描く第2次大戦とその戦後って、掛け値なしに面白い! 戦争が起こる仕組みや、現代社会まで引きずっているアラブ諸国の問題の理解の助けにもなる。
手塚研究者にもいろいろなイチオシ作品があって、『リボンの騎士』は『なかよし版』より『少女クラブ版』がいい、という方がいたり、『0マン』までが好きだったのに、それ以降はちょっと……、という方がいたり、様々ですが、僕はいつの時代の絵もそれぞれ好きです。大人向けの作品『ひょうたん駒子』が掲載された『平凡』をこの間古本屋で見つけて、即買いしたんですが、これもすごいんですよ、絵が細かくて!
——最後になりますが、『チェイサー』への意気込みを聞かせてください。
城倉:
この作品は、あくまで僕が捉えた『手塚治虫』像を物語にして伝えていくものです。だから、もしかしたら誰かにとっての手塚治虫像とは少し違うかもしれないし、読者の方それぞれに手塚治虫像があると思います。でも、歴史っていろいろな語り部がいて、虚構も真実もないまぜに発展していく。日本人にとって想像しやすいのは例えば『忠臣蔵』ですよね。確かにそういう仇討ち事件はあったらしいんだけれども、それに至る経緯や、細かいエピソードなんかは、ずいぶん脚色が入っていると思うんですよ。そもそも、初めて芝居化された『仮名手本忠臣蔵』だって、事件の50年もあとに描かれている。絶対虚実ないまぜですよね。そこからさらに小説やドラマ、あるいは漫画になって、もっといろいろなバリエーションに展開している。手塚治虫という人物も、そんなふうに語り継いで、いろんな説が展開していくような魅力があるように思います。(それぐらい、語り草の宝庫なんです)。
僕はいま、手塚治虫に実際会ったことのある方の本を読んだり、面会して取材をしたりしていますが、実際に会ったことのある方々の記憶だって、長い年月で曖昧になったり、脚色がほどこされたりします。でも、そういうところこそ面白い! あえて許容していきたい。
この先、また1世代ぐらいの時間が経って、ある若者が手塚治虫を研究する過程で、偶然『チェイサー』という漫画を発見して、僕のところに取材に来たりしたらまたさらに面白いな、と夢想しています。
作品としては、まずは手塚治虫作品をリアルタイムで読んだオールドファン向けに描いていますし、若い読者は想定していない。でも、40代以上のオールドファンから、若い読者に広がっていけば、嬉しいです。そのためにもまずは単行本1巻分の7話までは必死にがんばっていきたいです(いや、7話めまで辿り着くのは、至難の業だと思ってるんです)。
——続きを楽しみにしています! 今回はお忙しい中、ありがとうございました!
(C)コージィ城倉/小学館ビッグコミックスペリオール