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虫ん坊 2012年01月号 特集1:『グスコーブドリの伝記』アニメ化!手塚プロダクション 清水義裕 インタビュー

「ブラック・ジャック FINAL」ジャケット

手塚プロダクション 著作権事業局長 清水義裕。

 虫ん坊読者の皆さん、明けましておめでとうございます! 先月の上旬に発表された「グスコーブドリの伝記」の劇場アニメーション制作発表のニュース、ご覧になった方も多いのではないでしょうか?

 実は「グスコーブドリの伝記」は、ビジュアルビジョン・バンダイビジュアルそして手塚プロダクションの3社が制作に携わるアニメーションで、手塚プロダクションとしても今年一番のアニメーションとして力を入れている作品です。

原作は宮沢賢治の晩年の秀作。自然災害で両親を亡くした少年・グスコーブドリがさまざまな苦難や危機を乗り越えてゆく物語です。アニメ化にあたって、作品についてや、今、この作品を発表する狙いなどを、手塚プロダクション著作権事業局長 清水義裕に聞きました。


◎ 宮沢賢治とその作品

ブラック・ジャック カルテ11 ゆりえ

手塚治虫による「やまなし」。

 —— 手塚先生も「やまなし」などの作品を漫画の短編として描かれていますが、清水さんは宮沢賢治に特別な思い入れがあったのでしょうか?

 

清水: この作品の制作にかかわろうと思ったのは、もともとグループタックという会社が作っていた、プロモーション向けのパイロットフィルムを見たためです。グループタックという会社が事情でフィルムの制作を続けられなくなったため、手塚プロダクションで残りの制作を請け負いました。それを決めた後に、原作を読み直したり、グループタックの前作の「銀河鉄道の夜」を見たりしました。


 —— それでは、たとえば手塚先生と宮沢賢治についての話をしたことなどは?

 

清水: 特別、ある作家について話をする時間の余裕は、先生の現役時代には皆無でしたね。僕はとにかく、手塚先生の仕事が上手く回るように必死で時間の調整をしたり、時々無茶をする先生を注意するぐらいですね。

手塚先生はアニメの背景画なんかも、平気ではさみを入れちゃうんですよ。二枚の背景で、一枚の背景を作ろうとするのです。背景画はふつう一点ずつしか描かないから、必死で止めないとね。

ブラック・ジャック カルテ11 ピノコ

ブドリに待ち受けるのは、過酷な運命です。

——それでは、改めて、宮沢賢治という人物、また、「グスコーブドリの伝記」という作品について、どう捉えられていますか?

 

清水:まず、宮沢賢治さんという人は、今から100年ほど前に生きた、日本の東北の産んだ児童文学者ですよね。彼の肩書きは、児童文学者ということになっているけれども、他にも自然科学や化学など、いろいろな分野の勉強をしているんです。彼自身、生前に2回ほど大きな地震や津波を経験していて、岩手の大自然や、それに根付いた人々の暮らしのを守っていきたい、そのために、自分には何が出来るのだろう? と考え、行動した人ですね。出自は質屋さんの息子で、生活に苦労はなかったようなんだけれども、逆に苦労している人を助けたい、と考えたんでしょうね。

生前に発表された作品は少なく、その中の一つが「グスコーブドリの伝記」です。この作品は、天と地、生と死を行きかう詩情が表現されていて、とても興味深い世界観を持っています。他の作品を読んでみても、宮沢賢治という人にとっては、彼岸と此岸の区別はそれほどなくて、多くの人たちが生きて、死んでいっている郷土、ひいては日本や地球といったものを大事にしたい、という大きな思いを持っています。それが彼の独自の「愛」の形というか、ある独自の思想に満ちているんですよね。


 幸せな樵の息子として生まれたブドリは、自然環境の変化——冷害というものが、世界を襲い、両親を亡くしてしまった彼ですが、一生懸命働くことや人々と協力し合うことの大事さ、また勉強して高度な知識を獲得して、技術として使うことの大切さなどを学んでいって、集大成として「人の役に立ちたい」という考えを持つ青年に成長していきます。


ブラック・ジャック カルテ11 高尾

グスコーブドリ。

「グスコーブドリの伝記」の根底に流れているテーマも、『人の役に立ちたい』という、賢治独特のあの思想ですよね。このアニメーションの監督である、杉井ギサブローさんも、原作には一言も出てこないこのセリフを、作中で3度もブドリに言わせています。  賢治の自己犠牲的な考え方は、戦後の一時期には日本の軍国主義に通じる、とされて退けられていましたが、逆に、今のように無責任や無寛容が広がっている時代にこそ、「人のために」ということをもう一度考えて貰いたいという狙いがあります。

——原作で一番心に残っているシーンやセリフはありますか?

清水:原作は、たとえば「アメニモマケズ」みたいに、セリフの妙が立っている、という作品でもないんだよね。賢治特有の面白い台詞回しといえば、子取りがネリをさらっていくときの奇妙な擬音めいたセリフぐらいかな。僕はああいうほうをむしろ覚えています。


◎アニメ「グスコーブドリの伝記」について

ブラック・ジャック カルテ12 L

子取り。

——アニメ「グスコーブドリの伝記」の前作といえば、「銀河鉄道の夜」がありましたが、今回の作品は「銀河鉄道の夜」とどのようなところが違いますか?

 

清水:今回の作品は、「銀河鉄道の夜」とはまたアニメーションのスタイルがぜんぜん違うものだと思っています。「銀河」はどちらかというと作家性が勝っていて、エンターテイメント性というのはそれほど強くはなかった。今回は、ファンタジーというエンターテイメントとして作っていますから、厳密な意味では、「銀河鉄道の夜」の続編、というのはあたらないんじゃないか、と思っています。

「銀河」はある意味で杉井さんの実験映画でしたが、今回は興行を意識してちゃんと多くの人に見て貰いたい、というエンターテイメント性を重視しています。もちろん、見る人によっていろいろな解釈が生まれるだろうけれども、……エンターテイメント、といってもハリウッドみたいに、面白くて、手に汗握って……という見方はできないかも知れませんが、多くの方が見て思い思いの絵やストーリーを解釈できる作品である、と考えています。

 

——資料を拝見すると、世界観がとても魅力的でした。

 

清水: 杉井さんは賢治の研究会を主催していて、いろいろと賢治の勉強をなさっているから、この作品も、グスコーブドリ以外にも、いくつかの賢治作品の要素が挿入されています。たとえばブドリの妹のネリは子取りに誘拐されてしまうけれども、原作では近くの農村で無事に育っていたりする。監督にとっては、賢治の作品としては、どうもあのあたりが、取ってつけたみたいに思える、というわけですよ。ぼくもそれは同じ意見を持っています。当時の少年向け雑誌に発表しなくちゃいけないんだ、というので、悲劇をあえて避けたようなところも見受けられるけれども、そういったところは思い切って変更していたりもします。

 


 賢治の作品世界である、イーハトーブというのは、理想の森である反面、今回の作品では、一種の「死の世界」というふうに設定されていて、ブドリの両親もネリも、みんなそっちの世界に行ってしまいます。ブドリだけは、こっちにいたり、またあっちにいったりもできる、つまり天と地、生と死を駆け巡ることができる能力を持っているんです。両方の世界に等しく属しているんですよね。だから、ラストシーンの表現もかなり詩的な形になっている。そういうところを、監督がうまく映画化にあたって変えているところかな、と思います。


 

 詩的なところといえば、原作は、非常に生活観にあふれた作品ですよね。まじめだったり、山師のようだったりするお百姓さんが出てきたり、彼らが迷信を信じて田んぼにいろいろな細工をしてみたりね。でも、稲のことを「オリザ」だなんて学名で呼んでみたりして、そんなところはやはり詩人の賢治らしいところですね。 今回のアニメーションでは、同じセリフ・同じシチュエーションを描いても、あのますむらさんの猫のキャラクターでやると、やはりファンタジックな感じになって。やっぱり非現実性を帯びてきますよね。


ブラック・ジャック カルテ12

——原作では、森や町、農村などのさまざまな場所をブドリが放浪するところが印象的でした。

 

清水:ブドリは生まれた森から、村の田んぼに移り、やがて町に出ていきますよね。それを、「過去・現在・未来」的な区切りでもって、表現したい、というのが監督の考えです。   

「森」が象徴するのは過去の世界です。そこでブドリは両親を亡くし、一人で生きるためにがむしゃらになって働きます。

「畑」や「学校」は現在を象徴しています。ブドリはそこで、いろいろなことを学び、「カルボナード火山」というのが未来の世界で、そこには高度な技術や、科学的な考え方がある。そういうような区切りでブドリの世界を描いていきたい、と杉井監督は考えているようです。



◎アニメ・プロデューサーとは

ブラック・ジャック カルテ12 アフレコ風景

——今回の作品では、総合プロデューサーという御立場ですが、一番大変だったところは。

 

清水: まずやはり、お金集めです(笑)。この作品は、去年のちょうど今頃、グループタックから引き継いだのですが、制作は三分の一ぐらいのところで止まってしまっていました。それを仕上げるためにたくさんのお金が必要だったわけで、僕は作品のプロモーションフィルムを持っていろいろな企業を回りましたが、作品のよさもあって、たくさんの方が出資に賛同してくださり、今ようやく、目標のお金の三分の二ほどが集まったところです。

 現場での話としては、あえて挑戦していきたかったところは、グループタックのチームの、非常に厳しい、優秀な部分を手塚プロダクションの制作現場にも取り入れたかったというところです。うちのアニメーターたちがいっしょに仕事をして、どのように変化するか、ということを期待していました。クリエイターは、もっといいものを、楽しいものを、と追求していかなければ、そのために新しいことに挑戦していかなければならない、と僕は思います。言われたことだけをこなしている、ということでは、どんどん、衰えていってしまう。

僕自身は、手塚プロダクションはこういうこともやっていかなくちゃいけない、と思っている。ディズニーのような会社だって、世界中のパブリックドメインを使って、作品を作っていっている。手塚プロダクションだって、手塚先生の400冊に限らず、こういう、いいものは、いいチャンスがあればやっていかなくては。それに、賢治が「ブドリ」で描いたテーマと、手塚治虫が描いたテーマは、基本的にいっしょですからね。


ブラック・ジャック カルテ12 アフレコ風景

——ということは、今後も、手塚作品以外の名作や、パブリックドメインのアニメ化の可能性はあるのでしょうか?

 

清水: それはもちろん、いい企画であればやっていきたいです。手塚プロダクションのプレゼンスは世界中でけっこう評価をいただいていて、今回も「ああ、話を聞いてみようかな」とか「出資してみようかな」という、たくさんの方とお話ができました。手塚先生のものでなくても、いい企画であれば、いくらでも売れると思います。手塚先生のものであろうが、他の先生のものであろうが、関係ありません。きちんとした企画を組み立てることによって、評価される映画作りができる会社であると思っています。

 

——プロデューサーの仕事とは?

 

清水:もちろん、先ほど言ったお金集めも重要な側面ですが、異業種とか、異能力をつなぎ合わせていくことが一番の仕事だと思います。この人はこういう能力があり、この人はそれとはちがった、こういうリテラシーがある、それらをくっつけたら何が起こるか、化学反応がちゃんと予測できる、ということでしょうか。だから、僕には、うちのアニメーターたちの特性が全部わかっています。彼らは何でもできる、って、制作のプロデューサーは言うんだけれども、やっぱりどうしても得意と不得意があって。ある人間は、デザインが非常に優れていて、ある人間は動きをつくるのが良いし、ある人間は演出の腕がいいし、ある人間はストーリーをつくるのが上手い、というふうに、やっぱり分かれるんですよ。いろいろな個性ををうまく利用して、どういうふうに作品に人を置いていけばいいのか、というのを考えるのが、プロデューサーの一番の仕事です。

 そのためには、業界の中のさまざまな業種の人をよく知っていなくてはいけません。知らなくても、探っていけなくてはいけない。


ブラック・ジャック カルテ12 アフレコ風景

——将来、アニメのプロデューサーになりたい、という人は、ではどのような勉強をすればよいでしょうか。

 

清水: 動画協会が発行している「アニメの教科書」の第1・2巻をよく読んで、頭に入れてください。あれを読むと、日本のアニメーションの歴史と、いまのテレビアニメーション界がどのように動いているか、というのがわかりますから。著作権法の基礎も書いてありますので、業界の基本がわかると思います。

 資質としては、いろいろなものに広く、専門家ほど深くなくても、ある程度の深度の知識と関心を持たなくてはなりません。新しい分野にも積極的に手を上げ、首を突っ込んでいけるフットワークの軽さと、自分に垣根を作らないことでしょうか。

 「うずくまる虎」っていう、エーリッヒ・フロムの概念があるけど、「獲物が来るぞ」といつもうずくまった状態で待っている、というか。そういう希望を持って、自分をそれに備えていく。だから、ぽん、と「ブドリ」のプロモーションを見たときに、「これをやりたい」ってチャンスをつかめるわけです。

プロデューサーに才能は必要だと思いますが、それは、生まれつき備わっている天才というよりは、意識的に、後天的に磨くことが出来る才能だと思います。そういった意味では、誰もが目指せる職種だと思いますよ。


◎ご覧になる方へ

——では、締めくくりに、「グスコーブドリの伝記」をご覧になるかたにメッセージを。

 

清水:去年、2万人もの方が亡くなるような大災害が、まさに賢治の故郷の岩手県を含む東北地方で起こりました。こんな大災害は、どんなに理不尽な事態でも、自然が起こした力ですよね。そんな中で人々はどうしようもなく、歯を食いしばって、砂をかむような味気なさを味わい、無気力に陥ってしまう。そんなときに、世界がどうあろうが、自分が同生きるか、ということを考えていただければと思います。

 このメッセージはまさに、手塚治虫が『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』などで訴え続けたメッセージでもあります。去年、うちは『ブッダ』の映画化をしましたが、まさにおしゃかさまの時代から、こういうテーマは普遍的に存在していました。おしゃかさまを初め、古今東西の哲学者が考えつづけ、宮沢賢治も、手塚治虫も考えつづけた「世界がどうあろうが、自分がどう生きるか」——つまり、どんなに悲惨な状況に陥っても、生きている人間として、どう生き生きと生を謳歌するか、という問いを受け取っていただき、ぜひ、「私はこう生きたい!」という答えを見出していただきたいです。

  杉井監督は多様な解釈もできるちょっとふしぎな作品、とおっしゃいますが、僕はプロデューサーとしてこういうメッセージを込めたい。それはまさに、僕自身が追い続けてきたテーマでもありますしね。

 

——お忙しい中、ありがとうございました!

(C)2012「グスコーブドリの伝記」製作委員会/ますむら・ひろし




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