宝塚市立手塚治虫記念館は、手塚治虫が唱え続けてきた「自然への愛」「生命の尊さ」をテーマに、青少年の夢と希望を未来へ広げていく施設として、兵庫県宝塚市に設立されました。
外観は、ヨーロッパの古城をイメージしてデザインされており、 手塚治虫のエッセイ「ガラスの地球を救え」をモチーフにしたガラス製の地球がシンボルとなっています。
館内では、手塚マンガの1ページを再現した空間の中で、手塚治虫のゆかりの品や数々の作品を見たり、 実際に作品をつくる体験などをしてお楽しみいただけます。
手塚治虫の心、そして世界を見て、触れて、感じて・・・
おもしろいこと、嬉しいこと、ふしぎなこと、たくさんの発見をしてください。
手塚治虫は1928年、大阪府豊中市で生まれましたが、物心がつき始める5歳から多感な少年時代、そして大人への入り口に差し掛かる24歳までを兵庫県の宝塚市で過ごしました。
今もオシャレでハイセンスな宝塚ですが、手塚治虫が暮らしていた当時もオシャレでモダンな宝塚大劇場や宝塚ホテルなどがあり、またすぐ近くに山や川といった豊かな自然が息づいていました。
そういう街で手塚治虫はモダンでロマンチックな建物を見上げながら、『鉄腕アトム』で描いたような未来都市をイメージしたのかもしれません。また宝塚少女歌劇団と親しく接することで『リボンの騎士』に代表されるような王様や妖精やお姫様や盗賊といったファンタジーを自分の中に育んでいったのでしょう。近隣の豊かな自然の中に暮らす小さな昆虫や生き物たちを観察しながら、どんなものにもかけがえのない、そしてはかない命のきらめきを見出して行ったのです。それが『ジャングル大帝』の礎となったことは間違いありません。
そして、この街で手塚は戦争も体験します。社会の矛盾や理不尽さ、そういった手塚漫画で繰り返し描かれる大人社会の歪みや平和への切望もやはり、この街で青春を過ごした手塚治虫だからこそ、だと思います。
美しいものが破壊され、奪われ、焼き払われてしまう。その絶望。けれど焼き払われた大地から芽吹く、新しい命の力強さ。
手塚治虫は、そういうことを漫画の中に描き続けました。
たんに手塚治虫が暮らしたことのある街、というだけではなく、すべての手塚漫画の根底に流れるテーマを与えた街として、彼の業績を記念するミュージアムがこの宝塚市に作られたのです。
G階展示ジオラマ「手塚治虫昆虫日記の宝塚市」