まずはこの言葉。これこそがBJって人間が存在してることの裏付け、みたいなものだ。 免許を持たないモグリの医者で、オペの代わりに莫大な報酬を要求するアウトローだからな。 アウトローが「正義」なんてものを信じてたらおかしいだろう。 奴は正義なんてものは信じない。だから勧善懲悪、なんて善悪二元論にも与しない。 奴が信じてるのは正義でも悪でもない。奴はいつだって生命そのものの神秘を信じてる。 生命に正義も悪もない。 ライオンに食われるシマウマの、どっちが正義でどっちが悪だとは言えないだろう? 生命はただ互いに関わり合い、この星の生態系の存続に貢献しようとする。 BJはそのシステムを信じ、それゆえに苦悩してもいるのさ。 |
どんな病でも治せる、と豪語するBJが唯一、白旗を揚げるのがこの《心の病》という奴なのさ。 つまり精神科の治療は苦手分野ってことだな。 けれど体の病も心の病から発症してるなんてことも確かにあるし、プラセボ、という偽薬は、薬を与えられた、という思い込みがその人の病を治していく、という事実に即して実際の医療現場でも使われる治療行為のひとつにもなっている。 そしてBJ自身、そのプラセボ効果を使って治療することもある。 だから人の心が持つ強い力にBJは白旗をあげてるばかりでもないんだけどな。 |
どんな命も救う、というのがBJって奴の建前だけどな。 奴にだって価値基準がある。それがこの台詞でよくわかるだろ。 生命そのものがBJの信仰だと言ってもいい。だから地球という生命のゆりかごが奴の神殿だ。 そして生命という名の神を冒涜する奴らをBJは許さないのさ。 |
これもまた生命そのものが何よりも優先されるBJの価値観を表してる言葉だとは思わないか? 奴はその命に生き延びたい、というモチベーションを与えようとしてる。 生きよう、という意思が生まれるならたとえそれが憎しみから生まれるとしても構わない。 善も悪もない。すべては「生命」に奉仕するのさ。 自分自身が憎しみの対象となることも、だからBJはいとわない。 他者の命が長らえるなら、自分はその犠牲になってもいいとさえ思っている。 つまり殉教者気取りなのさ、BJって奴は。 |
BJはこう思ってる。命ある者にはすべて平等の権利があるのだ、と。 そこに血を流したり病に冒されたりしているものがあれば、それが人間だろうと動物だろうと、あるいは異星人だろうと常に同じ「救うべき命」として存在している。 だから人間が動物に対して理不尽な行いをすることを奴は許さないし、人間の犠牲になる動物たちも看過しない。 奴にとっては、人間も動物も同じ生命を有するもの同士であって、決して優劣はないのさ。 それが如実に示されたのが連載最終回だった『オペの順番』でもあったのだから、この、すべての命あるものは平等に扱われる権利がある、という思想はブラック・ジャックという作品全体を貫く大きなテーマのひとつなのだともいえるんじゃないかね。 |
生命を長らえさせるためなら自分が悪者になる。それは構わない。BJって奴はそう思ってる。 けれど他の医者が自分の真似をして医師という職業そのものが持つ気高さが失われることは認めがたいらしい。 命を救う医者という職業は生命という神殿を守る天使に等しい。BJはそう思ってるのかもしれない。 だからこそ、堕天使はひとりでいい。 生命の輝きのために自らを闇とするような、そんな医者はひとりいればいい。 BJはきっとそう思ってるんだろうな。 |
BJのことを見ていると、その禁欲的で世俗の恋愛を超越した姿が、まるで聖職者みたいだと思わせられる。 命を救った女性から愛を打ち明けられ、結婚して欲しいと言われたBJが彼女に対して答えたこの言葉にもそれを感じるね。 ……わたしは愛されるような人間じゃないよ。 自らを、正義を信じない無免許医という犯罪者で闇の堕天使だと任じている彼は、だから光ある世界で幸福を願う女性を受け止めることは出来ない。そう思ってる。 聖職者が神への愛を貫くために世俗の欲望に背を向けるように、生命への愛に殉じる彼には普通の女性との恋愛など最初から無理なのさ。 |
患者というのは病や怪我の苦しみから逃れたくて、もう死にたい、などと弱音を吐くことがある。 けれどそんな「生きようとする意思」を挫けさせた患者にBJはことのほか厳しい。 なにしろ「生命」こそが神であり、「生きること」こそが、すべての生ある者への至上命令なのだと思ってるのがBJなんだ。 死にたい、とか、もう駄目だ、なんて弱音やあきらめは絶対に許さない。 そんな弱気になった者の、その体の中ではしかし免疫細胞が損傷した部位を直そうと懸命に働いているし、細胞たちは生き延びるためにせっせと新陳代謝を続けている。 その無言の努力はひとえに「もう死にたいよ」などと泣き言を言っている体の持ち主を、それでも生き延びさせるために続けられているのだ。 そんな「からだ」という精密機械の不断不休の重労働に常に敬意を払っているBJだからこそ、生きることを諦める患者は許さないのさ。 そしてそれゆえに、安楽死を提供する俺と敵対してるってわけさ。 |
世俗の恋愛には背を向け続けるBJから「君は私の最高の妻だ」と言わしめさせたのは、BJによって作り上げられた人造人間ピノコなのである。 神が自分の作品である人間たちを愛するように、BJも自分の作品への愛をここで表明する。 しかしBJがピノコへの愛を表明するのは、自分の最高傑作だから、ではもちろんない。 本来人間という姿を持ってこの世に生まれることが出来なかった奇形嚢腫。 それゆえにピノコは普通に生きようとすれば、普通以上の努力と根気と、何よりも生きようとする強く揺るがない意思が必要な少女なのだ。 だからこそ、そんな姿がBJの胸を打つのだろう。 生命そのものを愛するBJゆえに、生きようという意思の塊であるピノコこそが、愛するに値する特別な存在たり得たのだろう。 |
その命を救いたければ5000万円いただこう。 なんていうのがBJの決まり文句だし、高い治療費を請求することで患者自身に金銭には換算できない命の価値を気づかせる。それがBJって奴の行動基準ではある。 だからBJは金の亡者なのだ、という批判は真実ではない。 BJはその患者に生きる意思がある限り、そして生命そのものへの敬意を持っている限り、「じゃあラーメンでもおごってくれりゃあいいですよ」なんて微笑むことだってある。 ここに紹介した台詞もそんなBJの一面をよく表してるんじゃないかな。 どれだけ金を積もうと、ひとつの命は他の何者にも置き換えることが出来ない。 いま目の前にある命、それは世界でたったひとつの命なのだ。 そしてこの地球の歴史上、はじめてこの地に生まれ、そして二度と生まれることのない唯一無二の存在なのだ。BJは常にそのことを忘れずに患者と向き合っているのさ。 |
BJは本人にその自覚があるのかどうか知らないが、かなり《少女》ってモンにやさしいし、彼女たちの恋愛指南、人生指南を図らずもしてしまうことも多い。 大人の女性にはけっこう厳しいのに、少女にはかなり寛大なのは、BJ自身が本当はロマンチストだからなのだろう。少女たちの中に、神聖な生命の躍動を感じているのかもしれない。 |
BJ自身の言葉ではないが、やはりBJを語るならこの言葉は無視できないだろうね。 どんな病も治せると豪語していた若き日に、しかし恩師の命を救うことが出来ずに挫折するBJに対して、恩師が語りかける最後の授業としてのこの言葉。 これは自信にあふれた天才外科医が、しかし生命に対して謙虚にならざるを得なくした言葉でもある。 この言葉がそれからのBJをより「生命に対して真摯に向き合う」人間に育てたのだと、俺はそう思う。 |
BJだって人の子だから恋もするし、男なのだから女性を愛することもある。とはいえ彼が生涯で女性を本気で愛したのはこの如月恵という女医に対してだけだろう。 だからこそこの「永遠」という言葉が重く印象に残る。 人を本気で愛する時、誰もが「永遠に君を愛す」みたいなことを思うし、誓いも立てるだろう。 けれど正真正銘、ただ一度の愛を永遠に心にとどめ置く人間なんて、そうそういるもんじゃない。 その意味では自分が発したこの「永遠」という言葉を自分の愛の墓標としたBJを俺は、なかなかの人物だ、と認めてやってもいいと思ってる。 |
テロリストが大量殺人をして逮捕されたとき、そこに居合わせたBJが言う言葉だ。 そう、人の命を奪うことはたやすい。銃で撃っても爆弾で吹っ飛ばしてもナイフで刺しても首を絞めても、人は容易く死なせることが出来る。それほどに生命というのは脆い。 だからこそ、それでも生きようとする意思が尊いのだし、だからこそ、消えゆく命の灯火を守り抜く努力が頼もしくなる。 BJのこの言葉は、俺は全霊を傾けて、命という名のガラス細工を守り抜くのだ、というBJの決意表明でもあるってわけさ。 |
唯一無二、ほかに換えの効かないたったひとつの命を、あんたや俺はみんな一人にひとつずつ持っている。 そしてその一つ一つの命が、この星の文明や歴史そのものを動かす力をそれぞれに持っている。 無駄な命、軽んじていい命、というのはひとつもないし、見殺しにしても許される命、というものは存在しない。 最も、だからこそ「歴史を動かすかもしれない命」をそうはさせじと殺してしまう暗殺や謀殺が、歴史には繰り返されるわけだけどな。 |
病気ならすべて治せる。その信念が大きく揺らいだ瞬間だ。 人口増加が地球というシステムを壊してしまう。 だから大自然は地球そのものを守るためにすべての動物の体を縮小させてしまう病原体を生み出した。 この『ちぢむ』というのはそういう話さ。 このウイルスに感染した人や動物をBJは救おうとするけれど、それは地球そのものを殺してしまうことにつながる。 そのジレンマの中でさすがのBJも医者という存在への疑問を叫んだ瞬間だ。 |
この俺様に向かって、奴がそう言い放ったのは安楽死を願っていた私の患者を、奴が奇跡的なオペで救ってやり、けれどその患者が元気になった直後に事故にあって死んじまった時だった。 結局、死ぬ運命の患者だったのさ。私がそんな意味を込めて高笑いすると、奴はこの言葉を言い放った。 自分が生きるために人を救う。 私は背中でこの言葉を聞きながら、はじめてはっきりとわかったのさ。 BJって奴は生命そのものを信じているのだと。その決して諦めない意思を。 そのひとつひとつがつねに全体とつながりながら、すべてを生かしている、という偏在性を。 そしてひとつの死が生命そのものの終わりではない、という永続性さえも、奴は信じているのだと。 まるで手塚治虫とかって漫画家が描いてる『火の鳥』と同じことを奴も信じているのだと、あの長い石段で奴がこの言葉を怒鳴ったとき、私ははっきりとそれを知ったのさ。 |
BJは繰り返し、ことあるごとに、患者の生きよう、治ろう、という意思こそが大事なのだと語っている。 それは生命に対する生きとし生きるものすべての、たったひとつの義務だからだ。 すべての命は「生きるために生まれてくる」、そしてひとつの命がそれに関わるほかの命に奉仕することで、この宇宙という生命のコスモゾーンは成り立っている。 命は「生きようとする意思」をエネルギーにして輝くのだ。 そしてほかの命を持つものすべてのためにも、その光は強く輝かなければならないのだ。 だからめげるな、だから泣き言は言うな、だから顔を上げて明日を見つめろ。 BJのメスは常にそう言いながら患者の命を輝かせるために使われている。 |
俺自身が原因不明の奇病で死に瀕していたとき、俺を救ってくれたのがBJだった。 そしてBJはその時、新種の病気を発見し、その治療法も発見したのさ。 新しい病気の発見、それを学会に発表しないのかと訊いた俺の妹に「一文にもならん」と答えたBJだが、奴がそ の時考えていたのは病気の発見者として歴史に名を残すことではなく、やはり生命の神秘に対する畏怖だったのだろう。 ひとつ星が流れて落ちても、星空そのものが無くなってしまうことはない。 ひとつ、またひとつと新たな病気を発見し、その治療法を解明して病を征圧しても、病という存在そのものを消し去ることは出来ない。 それは星を輝かせるには闇が必要なように、常に生命の周りを包み込む。 この台詞には奴のそんな畏怖が現れている。 |