子供時代、宝塚歌劇団のステージに夢と憧れを重ね合わせながらみつめていたこと。戦時下の青春時代、どれほど熱く自由にマンガを描きたいと渇望していたのか。アニメーション作品をいつか自分も作りたいと夢に見ながら、何度も何度も試作品作りに失敗して、「マンガ映画なんかとてもじゃないけど自分には作れない」と絶望したこと。そんな、手塚治虫という日本を代表するクリエーターが、どのようにして、マンガ家としてまたアニメーション作家として激動の時代を生きてきたのか。そのことを手塚治虫自身の筆で綴ったはじめての本格的な自伝、『ぼくはマンガ家』を再編集して、全集に収録したものです。『鉄腕アトム』をアメリカに売り込みに行ったさい、どのような場面で日米の文化が衝突したのか、といったエピソードなどは、同じアニメーション作品を作っても、日本とアメリカとは結局、まったく違う文化土壌を持つ国なのだということを教えてくれます。
(『ぼくはマンガ家』は1969年、朝日新聞社によって初刊行され、1979年、大幅に加筆して大和書房より、同タイトルで再出版、現在は角川文庫から文庫版(1999年)が刊行されています)