その他その他


蟻人境

内容紹介

チベットの奥地で道に迷った探検家が、水を求めて岩壁をよじ登った。そこで彼は異様な集落を発見する。そこは人間ではない別の生物が支配する場所だった。すなわち蟻人間である。探検家はこの蟻人たちが女王を中心にした、立派な文明社会を築いているていることに感じ入るのだった。彼は思う。もしこの蟻人たちとの間に正式な交流を持ちたいと考えるなら、その者は人類の代表として、彼らに敬意と友愛の念をもって接するべきだ、と。しかし、この探検家の思いは打ち砕かれることになる。それは蟻人たちが地下から無尽蔵の宝石を掘り返していることが知れたせいだった。蟻人たちが冬眠のために使う玉子状の繭を日本に持ち帰った探検家は、宝石に目がくらんだ悪党によって殺されてしまう。さらに悪党は日本の地下に蟻人境を建造しようとしている蟻人たちと手を組み、その見返りとして彼らの宝石を我が物にしようと画策する。もし蟻人境が完成したらそのときは、地上の都会は地下からの攻撃にさらされ崩壊してしまうだろう。それを知った中学生の章くんと私立探偵の鳳俊作は、地中深くから日本侵略を狙う蟻人たちとの戦いに巻き込まれて行く--。

解説

毎日新聞社(1983年)絶版 『手塚治虫漫画全集 384 別巻2』講談社(1996年) 山間の夜道を走るタクシーの運転手が、突然道に飛び出してきた異形の人影に仰天する、という序幕部分からすでに、これはマンガで描いてもいいのではないかと思えるほど「視覚的」な面白さに満ちた作品です。地下洞窟での手に汗握る冒険、自衛隊と蟻人軍団との戦い、さらには東京壊滅と続くあれよあれよの展開も、ジュブナイルSFならではの魅力にあふれています。荒唐無稽な子供向け物語の体裁を取りながら、結果として都市計画の不備が改められないままなら、いつか日本にはこのような危機が訪れるだろうと、無秩序な公共事業で国土を荒らしまわっている政府を告発して締めくくるあたり、手塚治虫節を堪能できる一編です。

挿画 しみずふみお


ハッピーモルモット

内容紹介

ある日、五人の平凡な男女がひとりの男に呼び出される。主婦、中学生、歌手、新聞記者に国税庁の調査員。誰にも共通点はなかったが、誰もが住んでいる都会の外へ出ることもなく、マスコミが流す情報に流され、適当に幸せだ。というのは同じだった。男はその五人に意外な事実を告げる。君たちがいま暮らしているのは地球ではない。寝ている間にこの町の住人は全員、別の惑星へと連れ去られてきているのだ。さあ、一緒に地球へ帰ろう。男はそういうと、驚く五人を宇宙船に乗せた--。

解説

『手塚治虫漫画全集 384 別巻2』講談社(1996年) ショートショートらしい意外なラストがこの後に続くことになります。なんとなく退屈だけど、なんとなく幸せ。そんな毎日を生きている人間たちに対する、手塚治虫の憤りがにじみ出る作品で、「何故眠ったような毎日から抜け出そうとしないんだ!」という怒りすら感じさせられます。


傍のあいつ

内容紹介

一代で大財閥を築いた老人S氏、彼は金以外は家族すらも信用しない男だった。だが、事故で半身不随となり、視力も失ったS氏は、このままたった一人、誰も信頼できないまま死んで行くのかと思うと、とてつもない孤独感に包まれます。彼は自分の強欲のせいで壊してしまった親族の絆を再び取り戻そうと、ささやかなパーティを開く。その席上、S氏は気づくのです。自分のすぐそばに客ではない誰かがいる。目の見えないS氏だが、確かに彼はその人物の気配を感じていた。誰だ。私のそばに付きまとい、何も言わずにジッとみつめてくるこの人物はいったい誰なんだ--。

解説

『手塚治虫漫画全集 384 別巻2』講談社(1996年) 大金持ちだけど誰とも心の絆を持つことのできないまま臨終のときを迎えようとしている老人が、最後のときに心を許した「傍らの誰か」とはいったい誰だったのか? 星新一風のショートショートですが、手塚治虫がなぜこれをマンガではなく小説の形で発表したのか、その理由は歴然としていますね。このストーリーのアイデアは「目が見えない人物」が感じる「誰かの気配」とその正体にあるのですから。つまりマンガで書いてしまったら最初から「誰かの正体」がわかってしまうでしょ? 人間を信じられない老人が、最後に信じた「誰か」とはいったい何物だったのか。手塚治虫らしい解答に、ニンマリとしてください。


あの世のおわり

内容紹介

主人公は平凡な家庭の主婦。彼女には毎日きちんと会社に出かけて行く夫と子供たちがいて、ごく普通に暮らしている。ただこの一家が暮らしているのは普通の世界ではない。そこは「あの世」。つまり死後の世界。一家は大きな事故で死んでしまい、「あの世」へとぴょんとやってきてしまったのだった。あの世といってもそこは、生前の世界と何も変わらず、暮らしに変化があるわけじゃない。ただここには生産や消費や発展や活気がありません。新しく「こっち」へやってきた人に「あっち側」(つまりは生ある世界)の様子を聞くことが楽しみ、という世界です。生前の思い出があるからこそ、彼らは死後の世界でも「生きて」いられるのです。そしてこの世界に暮らす人々の楽しみは、新しくやってきた人から「あっち側」の様子を聞かせてもらうことだけ--。

解説

『手塚治虫漫画全集 384 別巻2』講談社(1996年) 死後の世界(あの世)とは、生ある世界(この世)があるからこそ存在するのですね。だって生があるから死があるのだし、出会いがあるから別れがあるのですから。「あの世」が元気いっぱいの世界であるためには「この世」も、もっと活気で生命力にあふれた世界でなきゃいけない。そう考えさせられる物語です。周りを見回せば、最近、この世はまるでこの物語の「あの世」みたいに元気がありません。せめて死後の世界でぐらい「天国のような毎日」を過ごしたいなら、この命ある世界を目いっぱい楽しまなきゃいけないと、手塚治虫はそう伝えようとしているのかもしれませんね。


妖蕈譚

内容紹介

40過ぎてアパートに一人暮し、玩具メーカーに商品アイデアを提供する、というのが一応の仕事だが、最近ぱっとしたアイデアもなく、日々が怠惰に流れて行く。これではいけないと、彼は趣味の昆虫採取に山へと出かけてみた。11月の末に昆虫採取など世間から見たら、馬鹿げたことだと笑われるだろう。--そんな男がこの物語の語り部です。そして彼は山の中であっと驚くものを発見してしまうことになります。それはキノコ。なんとも異様なその新種のキノコは、ひと目で見るものを不快にした。40男はこのキノコを思わず叩き潰してしまうのだが、そのことが彼だけではなく、日本全土を前代未聞の騒ぎへと巻き込んで行くことになるのだった--。

解説

『手塚治虫漫画全集 384 別巻2』講談社(1996年) 『キノコの不思議』光文社(1976年) 主人公が季節外れの昆虫採取の際に見つけたこのキノコを、手塚治虫は次のように描写しています。 「坊主頭さながらのぬるりとした皮嚢に並んだ二つのくぼみが、あたかも怨念をこめた三白眼さながらに、こちらを向いていたのだ。皮嚢はどこかで腫れ上がった茎につながって支えられており、ご丁寧にも茎の先端は皮嚢を突き抜けて、ちょうど三白眼の下に切断された豚の鼻のような形に露出しているのだ」ピン! と来ましたか? そう、この40男は山の中でヒョウタンツギを発見したわけです。手塚作品数あれど、ヒョウタンツギが物語りのメインとして語られているのはこの作品だけでしょう。さらにこのヒョウタンツギについて「これほどまでに不快極まる攻撃力を具えた怪物は居るまい」とさえ描写されていて、ファンにはもうたまらない楽しさを与えてくれます。物語はこのヒョウタンツギの胞子を浴びた40男が東京に戻り、彼が運んだこの胞子が繁殖して東京はおろか日本中を覆い尽くして行く、というそらおそろしい展開となって行きます。ヒョウタンツギ出生の秘密にまで言及した、手塚ファン必読のショートショートです 。


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