百鬼丸

 皆さんもよくご存知の「どろろ」が6月16日〜23日、新宿東口紀伊國屋ホールにて、劇団扉座の公演『新浄瑠璃 百鬼丸』として蘇ります!
 作・演出は、「陽だまりの樹」「リボンの騎士」でもお馴染みの横内謙介氏です。
 横内氏は、どの作品でも手塚ワールドを表現するだけでなく、観客をあっと驚かせる「何か」が仕掛けられた公演をされてきたわけですが、今回は、どのような仕上がりになるのでしょうか?

 虫ん坊は、本番前の稽古にお忙しい横内氏と「どろろ」を演じる山中たかシさんにコメントをいただきました。
 エネルギッシュな稽古場にもお邪魔してきましたので、その様子とともにご覧下さい。


横内謙介氏

Q:新作に「どろろ」を選んだきっかけ、理由は何ですか?

 きっかけは手塚プロさんからかな。「どろろ」に限らず何か芝居を創りませんか? ということだったかもしれませんが。
 でも「どろろ」は、以前から、やれと勧めてくれる人がいたりして、気にはしていました。 と言うのも、私のオリジナル作品には妖怪モノが結構多いんです。しかも手塚作品は今までにも何本かやってますし、次は「どろろ」だろ、なんて。
 私のオリジナル作品で、「いとしの儚」なんていうのは、百鬼丸の女版のような話で、鬼が作った絶世の美女とろくでなしの博打打ちが恋をするという物語です。元ネタは中世の「長谷雄草紙」という絵草紙なんですけど、かなり似た世界のものです。


Q:その中でも、百鬼丸をクローズアップされた理由は?

 人物としての、どろろは、とても演劇にしにくいですね。 まあ、小柄でボーイッシュな美少女とかが演じればいいのかもしれないけど、下手すると、出来損ないの児童劇になってしまいます。実は女の子なんだ、なんてあたりがね。どうしても無理がある。
 女の子が、オイラ! なんて言ったりするのも、恥ずかしいし。そもそも、大人が大真面目に子供の役やること自体が気持ち悪い。生身の人間で、どろろを表現するのは、実は百鬼丸をやるより難しいんです。
 しかし何よりも、この物語は、どう考えても、百鬼丸の物語ですよ。ドラマとしては、百鬼丸が主役だと思います。むしろ、私はこのマンガのタイトルが何で、「どろろ」なんだろうと今も不思議に思っています。どろろのチャーミングさはよく分かるんですけどね。



↑台詞の読み合わせ中。 一番右が
「百鬼丸」を演じる佐藤累央さん。

Q:これまでも手塚作品を何作も取り上げられていますが、何か理由がありますか?

 第一作目はセゾン劇場の「陽だまりの樹」ですが、これは当時のプロデューサーの発案です。
 で、たまたまそれに乗ってやってみたら、とても上手くいって、二作目の「リボンの騎士」に繋がり、そこらで何となく、横内と手塚作品は相性が良い、という感じになったんじゃないかな。
 でも、よく考えれば、私は手塚治虫で育った世代ですからね。特に熱心なファンじゃありませんけど、子供の頃から、無意識のうちにカラダに染み込んでるモノがあるんじゃないですかね。


妖怪「白眼童子」役の岡森諦さん。↑

Q:毎回、原作にひねりを加えていらっしゃいますが、今回の浄瑠璃という形式を取られての公演には、何か理由はありますか?

 コレは声を大にして申しますが、ヒネってるつもりはないんですよ。むしろ、いかにして原作の精神を歪めずに、その輝きのまま、劇場の舞台の上に乗せるか、というテーマを追求し、創意工夫をしてるつもりです。
 今回は、この物語は、神話だ、と思ったんですね。手塚治虫は、新しい神話を作ったんだと。神話では大袈裟すぎるなら、説話というかね。ともかく、人々の無意識のうちに存在するような根元的な物語です。とても骨の太いやつ。
 で、それを舞台化する際に、では演劇として、そういう骨の太い物語に拮抗し得る表現方法は何だろうかと、私なりに探した結果の答えが、浄瑠璃です。小栗判官とか、山椒大夫とか、説教節というんですがね。浄瑠璃の元になったような古い物語です。それらと、この百鬼丸の物語は、とてもよく似ていると私は思うんです。


Q:今回の作品のために全て新曲を書き下ろされたと聞いていますが、どのようなものになっているのでしょうか?

 歌舞伎の竹本浄瑠璃のスターである、葵太夫さんが、仕事にかかってくれていますが、あたかも、昔から、そういう浄瑠璃があったかのような、新曲になっています。まあ、本格的にやってくれてると言うことですがね。これはとても愉快ですね。
 何にも知らない人が聞いたら、この大元がまさかマンガだとは思わないんじゃないかな。むしろ、そういう浄瑠璃になるような、古い物語が元々あって、それを手塚治虫がマンガにしたんだろう、と思うのではないかしら。 
 それぐらい、本格的にやってます。このまま歌舞伎で出来るじゃん、て感じです。


Q:ストーリー・セット・衣装などは、どのように表現されるのでしょうか?

 前述の通り、どろろはマンガのままでは無理なので、ちょっと設定を変えさせてもらいました。
 でも、大きなストーリーは、今まで私が関わってきた手塚作品の中では、最も、そのまんまの感じだと思います。手塚治虫も出てこないし。
 ただ演出的には、いろいろ冒険をしています。お客さんを驚かせたいので、ここでは細かく言いませんが、一つ言えるのは、コスプレにはしないと言うことです。今回はコスプレとは一番遠いカタチで上演します。
 この作品の大きなテーマに『肉体とは何か』というものがあると思います。そして演劇とはまさにその肉体と言葉が織りなす芸術です。そこで、何よりも肉体を大事にしたい、と考えました。 まあ、裸でやる訳にもいかないので、衣裳は着ますけどネ。


↑「景光」役の有馬自由さん。
阿佐比との緊迫したシーンを稽古中。

Q:妖怪や本物の体ができるシーンなどは、原作をどのように料理されたのでしょうか?

演劇ならではの魔法を駆使して表現致します。 CG合成なんかの何百分の一の予算でやることですが、私はCG合成の何倍かの面白さを持つものだと思っています。妖怪も出るし、カラダもちゃんと生えてきます。
楽しみにして下さい。


Q:手塚ファンやこれから劇場にいらっしゃる観客の方へメッセージをお願いします。

 大人の芝居にすること。芝居にしなくちゃ意味のないやり方(映画でもテレビでもなくという意味)でやること。どろろをよく 知るファンにも、よく知らぬ人にも、楽しんで貰えるものにすること。
 何よりも手塚治虫の言いたかったことを歪めないこと。
 これらを肝に銘じて作っています。
 手塚プロとは、ディズニーに負けない気合いで行こうじゃないか、と語り合っております。まだまだ、あちらに比べれば、規模も小さく実験段階ではありますが、ライオンキングに負けないモノに仕上げるつもりでやっています。ま、物語の深さでは、すでにこちらの圧勝ではあるんですがね。
 どうぞ、ご期待下さい。劇場でお会いしましょう!