今回のゆかりの地見て歩きでは、先生と生前お付き合いがあり、また小さい頃から先生の大ファンであった日本アニメーション協会事務局長を努める片山雅博さんにお話を聞きました。


↑片山さんによる手塚先生像。




↑こちらはアトムに扮した片山さん自画像。


片山 雅博氏
プロフィール:
1955年2月7日生まれ。多摩美術大学・グラフィックデザイン学科助教授、創形美術学校グラフィック・デザイン科非常勤講師、日本アニメーション協会事務局長。
  漫画家、イラストレーターとしても活躍する傍ら、大学で教鞭をとるなど、活躍の範囲は多彩。
 手塚治虫の残したアニメーションフィルムの名場面を集めたメモリアル・フィルム作品『フィルムは生きている 手塚治虫フィルモグラフィー1962-1989』では、脚本、構成、編集、演出を手がけている。



――初めて先生に会われたのはいつ頃ですか?

片山:先生との初めての出会いは、1968年だと思います。社団法人日本漫画家協会の初めてのイベントで、池袋の西武百貨店で「日本漫画100年」展という展覧会が開催されたのです。そこに先生がサイン会に初めていらっしゃるということだったんです。ただ、先生がなかなか来なかったんですね。手塚先生を、今や遅しと人々が十重二十重で待っていて。僕は中学生だったんだけど、一緒になって待っていたんです。そして・・・先生が現れました。
 大変身長が高い方で、見上げるように大きかった印象を持ちました。ああ、神様は本当にいるんだと思って、どれだけ幸せだったか。もちろん色紙は欲しかったんですけれども、とてもとても自分の番なんて回ってきません。200人くらいは周りを囲んでたんじゃないかな。押すな押すなで先生が描くのを見てたんですよ。
 先生はサファイヤを筆で丁寧に描いていました。サファイヤの服装って凝ってるでしょ? そこをまた丁寧に塗るんだ。服を青に塗ったりしていたのをずっと覚えていますね。「うわあ、丁寧だなあ、上手いなあ」ってね。神の手から生まれる絵を、息を呑みながら見ていました。今でもそのときの光景は絶対忘れられないですね。結局サインは頂けなかったのですが、まあ希望者が沢山いましたし、一枚描くのにものすごい時間かけて描かれてましたから。
  その後あるイベントがきっかけで、漫画家協会事務局に入りまして、先生とは、漫画家協会の中でじょじょにお話するようになりました。

 ――片山さんから見て、先生はどんな方でしたか?

片山:
ファンとの触れ合いを大変大切にする方で、いつもファンの人たちにどうしたら喜んでもらえるかって、そればかり考えていて。また、創作者としての良心に誠実に、真剣に取り組んで描いていく姿勢もあり、お付き合いしていて、特にその厳しさみたいなものを、先生の中からひしひしと感じましたね。やっぱり、そんな風に誠実だからこそ、どうしたらもっと面白いものを描けるかっていつも考えられて、だから時間もかかるし、色々ご苦労されたのではと思いますね。 みんなが「神様」「大天才」っておっしゃいますけれど、その根底にはそれなりの努力をされた方なんじゃないかと私は思いますね。…私は思います、じゃなくて、少しですけれど事実として垣間見たような気がします。
 先生にとっては、漫画を描くことは自分が天から授かった天職と共に、描くことが一番好きだって言うのもあったんじゃないのかなっていう気がするんですね。

 

 ――アニメーション協会事務局長ということですが。

片山:
僕、アニメーションがすごく大好きなのね。子供の時からずっと、先生のも含めた各国の様々なアニメーションを観ていて、先生も、あのとおり様々なアニメーションが大好きで。その中で色々お話する機会もできたんですね。先生に面白いアニメ―ションを教えて頂いたり、逆に、今これやっていますよって話すと興味を持たれて、お忙しい中でも観に行かれたりしていました。

 ――多摩美術大学の助教授をされているということですが。

片山:やはり生徒たちに先生からいただいたもの、受け継いだものを伝えていきたいな、と思って、多摩美術大学の授業の中でも、先生の作品なども時々参考に上映させて頂いていますし、思い出話も含めながら先生の作家としての、表現者としての側面を読み解くような講義をしております。最近では東京造形大学のデザイン科の映像の講座で、先生のことを7回にわたって講義しております。先生の作品、漫画とアニメーションの業績、それから先生の作家性を読み解く講義をしております。
 多くの漫画家の方たちとお付き合いしていると、先生がいかに素晴らしい人だったか、いかに影響を受けたかっていう事を、本当にたくさんの方たちが話しています。さまざまな人たちに多大な影響を与え、それから、豊かな心を育む作品を提供していらした先生の偉大さは今まだ生きていると思います。
 来年以降、テレビアニメや、劇場アニメや、出版なども含めてさまざまな媒体で、また再び、いや三度、四度、『鉄腕アトム』がまた、世の中のいろんな人に、とりわけ若い人たちに見てもらえる、というのは、僕もとってもうれしいです。こうして先生の漫画はずっと残って行くんでしょう。まあ、先生の漫画っていうのはやっぱり、読めば読むほど面白いし、これからも残っていって欲しいし、先生の作品を読むことが、その人にとってのとってもいい時間、楽しい、大切な豊かな時間になることは、間違いないわけですから。

――来年の4月7日がアトムの誕生日ですが、もし先生が生きていらしたら、この日をどう迎えられると思いますか?

片山:
覚えてないんじゃないでしょうか(笑)。僕は、先生は絶対アニメーションをまた作ると思いますね。で、ひょっとしたら、新たなアトムを連載始めるとかね、新しい21世紀のアトムを描かれるでしょうね。いまはほら、混沌とした時代じゃないですか。相変わらず、先生が予言したとおり、世界で争いごとがまったく減らないしね。だから、先生は多分、今もし生きていたら、もっと命を大切にしなきゃいけないというメッセージを、平和を願うことを、漫画やアニメーションといった表現でもってうったえられるんじゃないかと思いますね。

――みんなに読んで欲しい漫画・アニメーションを一つあげるとしたら何ですか?

片山:
『ジャングル大帝』も、『鉄腕アトム』も、『リボンの騎士』も、『ブラック・ジャック』も、本当に素晴らしいものだし、「一つ」っていうのはやっぱり難しいね。あげたらきりがない。それでも、「何か」って言われたら、『スーパー太平記』かな。凄く好きな作品ですね。
  アニメーションは、『ジャンピング』。大好きですねぇ。聞くところによりますと、先生がカナダのオタワのアニメーション映画祭に行ったときに、コンペ作品の中に、ハンガリーのヘレン・クロフシュという監督の『フライ(蝿)』という作品がありまして、家の中でぶんぶんうるさいハエを人間が追っかけまわすんですが、そのハエの一人称で描かれているんです。それを見て「自分はこういうんじゃなくて、もっとこういう目で」ってひらめいたらしいんですね。先生のすごいところは、そこにちゃんと物語をつけて、それからある種のジャーナリスティックな、漫画家としての目をもってそこにテーマや風刺、ユーモアなども入れてあるんですよね。
  あれは女の子がジャンプをしていて、止まらなくなってしまって、どんどん自分の街や、海の上も飛び越えて、戦争のシーンもあってね。…それは先生に言わせると、破滅に向かう人類の行く末をちょっと揶揄したような、風刺したものなんですね。あれは1984年かに出たんですが、まだそのころ世界は資本主義と社会主義で対立していて、米ソの対立がまだ生きていましたし、核というものが一つその間にあって、緊張がありましたね。いつ終末に、カタストロフィに向かうか分からない中で、人類の行く末を漫画家としての眼から見て、このままじゃこんな風になっちゃうんじゃないか、っていう視点をぜんぶテーマの中に入れて、実はあの短い中にそういう壮大なテーマが入ってるんですね。でも、最後ちゃんと救いがあって。ちゃんと救われるところがやっぱり先生の先生たるゆえんじゃないかと思うんです。この『ジャンピング』、是非見てみてください!

 ――では、最後に、いま先生にもし会えたら伝えたいことはありますか。…天国にいる先生に向けてでもいいですし、何かメッセージは。

片山:何でしょうねえ…「もう少ししたら、みんなで行きますから、待っていてください。またお会いできるのを楽しみにしています」かな(笑)。やっぱり、先生の漫画が載っていない本は、読む気がしないんですよね。だから「早くそっち行って読みますので、たくさん描いておいてください、きっとそっちでは完結してるんでしょうね、『グリンゴ』、それに『ルードウィヒ・B』。それから、作ってるんでしょうね『森の伝説』第二楽章、第三楽章。楽しみにしていますからね」って言いたいかな。

 ――今回はありがとうございました。