↑今日はランチタイムなので。夜はまた内容が違います。


↑インペリアルバイキングの顔とも言える存在です!


↑この場所に家族でよく座りました。


↑現在の支配人と広報部の方と

 手塚るみ子さんが案内役となって手塚先生の大好物をご紹介するこのコーナー、8回目の今月は、先生がお誕生日になると必ず家族で訪れていたという、帝国ホテルのインペリアルバイキングをご紹介します。

グルメ・ド・オサムシ 8
 「帝国ホテルのインペリアルバイキング」

 11月3日は父の誕生日だ。この日は毎年、父が主催となって家族全員でご馳走を食べに行くのが、我が家の恒例行事の一つとなっていた。その多くは銀座を中心としたレストランだったが、なかでも帝国ホテルの「インペリアルバイキング」は(当時は「レインボールーム」という名だった)、何度となく利用していたところである。
  ご存知のように此処は、日本で初めてバイキング料理を紹介したレストランで(昭和33年)、それこそ「バイキング」という単語で流行語大賞もとれちゃうほど(そんな大賞は当時まだ無かったが)60年代当時は超グルメな人気スポットといえる場所だった。そんなところへ食事に連れて行ってもらえるのは、子供心にすごく嬉しくもあって、また何より"好きなものを好きなだけ取ってきて食べる"というバイキングスタイルは、子供にとっては実に楽しいシステムでもあった。
 特に小学生だった私にすれば、テーブルに貼り付けにされるより、好き放題に見て廻れるバイキングは楽しくて仕方がなかった。大概は食事そっちのけでブッフェカウンターを行ったり来たりして、母に何度も叱られたりした。どうにも落ち着きのない子供だったのだ。また「ローストビーフ」を初めて知ったのもバイキングだった。何しろ目の前で肉の塊を焼いたり捌いたりするのは、実にインパクトあったし、またそれを自分の皿にサービングして貰うのは、なんだかちょっと誇らしく感じた。聞けばローストビーフワゴンを初めて日本に持ち込んだのも、ここインペリアルだったそうだ。あのワゴンの存在がいかに印象的だったかは、そのせいもあったのかもしれない。
 今回、何十年ぶりかに訪れた「インペリアルバイキング」は、内装こそ変わってはいたものの、一段下がったフロアに客席が並んでる様子などは当時の雰囲気のままだった。あの辺りに家族7人が並んで座っていて、父の背中越しに料理が並んでるのが見えて、クリスマスには今洋子のディナーショーがあって、あそこのフロアで従妹とダンスを踊って、あっちの方で坂上二郎さんの家族を見かけて・・・・等など。なんだか自分でも驚くほど当時の記憶がフラッシュバックしていた。
 色とりどりのサラダやバラエティ豊かな前菜がズラリと並び、一方では温かな湯気の出ている料理ボードが様々に列を成す。大きなビーフワゴンではシェフが手際のいいパフォーマンスを見せ、テーブルの向こうでは甘く艶やかなデザートが私たちの来るのをずっと待っててくれている。バイキングはまるでカーニバルの会場みたいに、すごく夢のある、ワクワクとした世界を感じさせてくれた。それだけに家族で食事に行くといえば、私は必ず「バイキングに行くの?」と期待して聞くようになっていた。とはいえ帝国ホテルなのだから、今で言う「食べ放題な店」とはケタが違う。いま思えばなんて贅沢なガキだったことだろう?! (了)


↑何十年ぶりかに来たので
懐かしかったです。

■お店の詳しい情報などは、
帝国ホテル・ホームページ
にてご確認ください。