―ところで、実は先程るみ子さんから、奥様が先生のお誕生日にお布団を贈られたとお聞きまして、ぜひそのお話をお伺いしたいのですが。
R:普通はもうちょっと、夫婦だし、ましなものを贈るだろうと思って話を聞いていたら、物なんか贈ったことないって。お父さんの誕生日だから、ご馳走作って待ってるとか、あったけれども…。それでも取材なんだから何かしら探してよって言ったら、靴下を編んだとか、なんかそういう話が出てきた流れで、最後の亡くなる前の誕生日に布団を贈った話になって。
E:60歳だから何か赤いものを上げようと思ったけれども、赤いものは着ませんから。ぜんぜん身に着けないだろうと思ったので。仕事するのに寒いからと思って、新座の仕事場の椅子に入るようなちっちゃなお布団をね。赤じゃないのですが、うっすらとピンクになってて。
―座布団の椅子用のもの、という。
E:そう。ピンク色の…もう、色あせてると思うのよ。あそこへずっと置きっぱなしになってるから。…それぐらいしか…。
R:それが亡くなる前のお誕生日のプレゼント。


新座スタジオの先生の仕事場の椅子は今でもそのままになっている。
―先生とプレゼントをあげたりもらったりという思い出みたいなものはあまりないと。
E:そうですね。私はもらったことあるけど、向こうに特別なにか品物は…。その辺はちょっと私もあまり覚えてないんですけどね。
―お仕事関係で、プレゼントを貰うっていうこともなかったんでしょうか。
R:もしかしたら手塚プロは手塚プロでお誕生日だからって何かやったのかも知れないけど、その話を家庭で聞くって言うのはなかったですね。
E:60歳のときに川崎ミュージアムで漫画展やってたんです。そのときに手塚が作った「笑い」っていうオブジェが漫画展に出てるので、ちょうどお誕生日だし、みんなで見に行こう、って言って、動画の方を何人か誘ってあそこまで見に行ったことがあるんですよ。それが最後の60歳のときのお誕生日でした。その後みんなで…お食事して帰ったと思うんですけど。
R:隣接したレストランかなにかで?
E:美術館の中でね。…なにしろもう、体力が衰えてますから。見に行っても、みんなはご自由に見てください、って言って自分はこういうソファーに寝転がって、みんなが見てくるのを終わるまで待ってたんです。それがほんとに、最後のお誕生日ですね。
 …ほんとにもう、体力もなくてくたくたなんだけれども、自分の誕生日に皆さんと一緒に行こう、っていうのを楽しみにしていました。
―最後に、先生の誕生日のお写真があるということで、見せていただきたいのですが。
E:(アルバムを見ながら)これもね、11月3日と書いてあるから誕生日だと思うんだけど、…子供たちをつれて、上野の動物園にみんなで行ったことがあるんです。
―この辺は先生のお父さんが撮られた写真ですか。
E:そうですね。このころはほとんどそうですから。この時の写真はもう、みんながそろったのはないの。11月3日で写真撮ったの、一生懸命探してみたけど、…これは自宅で家族と撮った写真ですけど。井荻に移ってからの…昭和50年ですからね。
R:井荻の家のお茶の間かな。
E:このころは、虫プロがつぶれた後ですから。もうこちらに引越しして。
―こちらの写真だとケーキを囲んで…
E:ケーキありますでしょ? たしか、主人の妹がケーキ持って来てくれたんです。それで妹家族と一緒にお祝いして。それで、さっきの話のように母のアコーディオンでみんなで歌を歌って。ケーキに火がついていて、お祝いしてる感じになっていますでしょう。
―まさに「誕生日のお祝い」という感じですね。本日は貴重なお話をどうもありがとうございました。


井荻にて妹さん御家族と一緒の写真。右端が先生。

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