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ミテ☆ミテ

  • 手塚マンガあの日あの時 第7回:アトムの予言─高度経済成長のその先へ─

  • (2009/10/27)

  • ●東京オリンピック開催決定!!
  •  今年2009年のオリンピック東京招致活動は残念ながら空振りに終わった。けれども、そもそも最初から醒めた見方をする人も多く、いまいち盛り上がりに欠けていたという印象だ。
     だが50年前は違っていた。1959(昭和34)年5月、西ドイツ(当時)のミュンヘンで開催された国際オリンピック委員会総会において、1964年の第18回夏季オリンピック大会の開催地が東京と決まるや、日本中が喜びに沸いた。そしてそれを機に経済復興が一気に加速し、日本は高度経済成長の時代へと突入していったのである。

  •   聖火を持ったアトムのシール。
    東京オリンピック当時の明治製菓のお菓子のオマケだ


  •  白黒テレビ、洗濯機、冷蔵庫が“三種の神器”と呼ばれ庶民の憧れの家電となった。我が家でも、このころから普及し始めた“月賦販売”を利用して、これらをひとつひとつ買い揃えていった。ぼくが子どものころの写真を見ると、最初はタンスくらいしかなかった家の中に、年を追うごとに物が増えていく様子が良く分かる。


  • 左が昭和36年ごろ、右がその10年後の我が家。ほぼ同じアングルから撮影した写真だが、物が増え、かなり見通しが悪くなっている(笑)


  •  映画『ATOM』の冒頭、ヒゲオヤジ先生の授業の中で、この作品世界の舞台となっている空中都市メトロシティの生活の様子が紹介されている。メトロシティでは、ロボットが人間の生活を助け、壊れると捨てられる大量生産、大量消費の生活が行なわれている。これは、ぼくらの世代にとってはまさしく昭和30年代の日本そのものに感じられた。

  • ●魔術師キノオには実在モデルがいた!!
     昭和30年代後半、日本中がこうして東京オリンピックに向かって盛り上がっていたころの『鉄腕アトム』の連載を振り返ると、そのころの時代の空気が如実に反映されていることが分かる。すなわち重いテーマを持ったお話よりも、読者である子どもたちと一緒になって空想世界に遊ぶような、のびのびした作品が増えてくるのだ。
     雑誌『少年』昭和36年10月号から連載が始まった「第三の魔術師の巻(原題:三人の魔術師)」では、ゲストキャラクターとしてロボット魔術師キノオが登場し、華やかなマジックショーを披露している。
  • カッパ・コミクス版『鉄腕アトム』「三人の魔術師の巻」より。サブタイトルは後の単行本化の際、「第三の魔術師の巻」に変わった


  •  キノオというのは何とも奇妙な名前だが、これは実在する“キオ”というマジシャンの名前をもじったものだ。
     レナルド・キオはソビエト連邦(当時)の国立サーカス団ボリショイサーカスに所属するマジシャンだった。昭和36年6月、ボリショイ サーカスの二度目の日本公演の際に初来日し、東京、福岡、大阪など5都市でショーを開催した。東京公演は7月から8月にかけて東京体育館で行なわれ、連日大入り満員の大盛況だったという。
     キオの大魔法と名付けられたそのショーは、周囲を客席に囲まれたサーカスの舞台で、オリの中に入れられた美女がライオンに変身する「美女とライオン」や、高い台の上に立つ美女にカゴをかぶせて火を放ち、カゴが焼け落ちると中の美女が消えているという「美女の火あぶり」など、20のイリュージョンが展開された。
  • 昭和36年の来日に合わせて三一書房から刊行されたキオの自伝と、そこに掲載された肖像写真。
    キオは1900年生まれなので当時61歳。マジシャン歴は40年以上!


  •  手塚が当時このキオのショーを見たことはまず間違いない。というのは、この時のボリショイサーカスのパンフレットには手塚もマンガを寄稿しているからだ。キオのスマートで現代的なステージを見た手塚は、そこから未来のロボット魔術師・キノオのアイデアを思いついたのだろう。

  • 昭和36年のボリショイサーカス公演パンフレット。ショーは二部構成で第二部は魔術師キオの独壇場だった。その後もキオは数回来日している


  • 同パンフに掲載された手塚治虫のショートコミック


  • ●『アトム』に描かれた当時の世相
    このころの世相を反映した『鉄腕アトム』のお話は他にもある。

  •  昭和38年の『少年』新年増刊号に掲載された「白い惑星の巻(原題:くろい惑星)」は、手塚マンガには珍しい自動車レースの話だ。これは昭和37年9月に三重県鈴鹿市に完成したばかりの、日本初の国際規格のレーシングコース・鈴鹿サーキットから発想のヒントを得たのではないだろうか。
  • カッパ・コミクス版『鉄腕アトム』「白い惑星の巻」より



  • 鈴鹿サーキットのパンフレット(昭和38年ごろ)


  •  また『少年』昭和38年7月号から連載された「ロボット宇宙艇の巻」には、アトムが外国から日本へ国際電話をかけるシーンがある。
     これは、昭和37年2月に日本の国際電電(現・KDDI)とアメリカのAT&T、ハワイのHTCの3社間で国際電話の太平洋横断海底ケーブルの敷設契約が成立したことが下敷きになっている。この太平洋海底ケーブルは昭和39年6月に開通。これによって日本=ハワイ=アメリカ本土間の即時通話が初めて可能になったのである。
     ところで手塚治虫は、こうして日々豊かになっていく日本を、アトムと読者が一緒になって楽しむようなお話を描く一方で、もう少し先の未来を見据えた辛口の物語も描いている。そして、実はそちらのお話こそが手塚マンガの真骨頂なのである!

  • ●ロボットガロンは都市破壊の象徴だった!
    『少年』昭和37年10月から連載が始まった「アトム対ガロンの巻(原題:アトム対魔神)」は、これまで紹介した作品とは少し雰囲気が異なる。
     ある日地球に謎の巨大ロボットが落ちてくる。実はそのロボット・ガロンは、異星人が星を改造するために作った惑星開発用ロボットだった。ガロンは星の地質や大気の成分から重力まで、あらゆる環境を意のままに改造できる。だがひとたび改造を始めると、もう誰もそれを止めることはできない。猛烈な勢いで地球を死の星に改造し始めたガロン。アトムはそれを止められるのか!?
     このガロンというキャラクターは、手塚が、雑誌『漫画王』に昭和34年7月号から37年7月号まで連載していた『魔神ガロン』の主人公だった。しかしここでは完全な悪役として登場している。
     この物語でガロンが象徴しているもの、それは無計画な開発だ。そう、ガロンは地球環境を壊す開発そのものを悪魔化したキャラクターなのである!
  • カッパ・コミクス版『鉄腕アトム』「アトム対ガロンの巻」より。
    ガロンの力に魅せられた天川博士は、ガロンに無人島の改造を命じた。
    だが当の博士自身がガロンの環境破壊によって絶命してしまう……


  •  このころ東京では一丸となってオリンピックに向けた準備が進められていた。首都高速道路やオリンピック関連施設の建設が急ピッチで進められ、東京中が建築ラッシュに沸いていた。環状七号線や放射4号線(青山通り)は、オリンピックをきっかけに建設が一気に加速したため、オリンピック道路と呼ばれた。
     これらの開発によって、江戸時代から残る貴重な石垣や、戦災を免れた古い街並みなどが次々と壊され、そこを無粋な道路がまっすぐに伸びていった。
     だが当時は、これを環境破壊だなどと訴える人は誰もいなかった。多くの都民は、むしろ近代化していく東京を誇りに思っていたのである。

  • 信号も渋滞もなく、どこまでも快適なハイウェイ=首都高速。
    その完成後の姿を、東京都の作った立体模型を見ながら空想したシミュレーション記事(『サンデー毎日』昭和35年1月24日号)


  •   東龍太郎東京都知事は、昭和36年の年頭のあいさつで「(オリンピック道路の開発が)36年中にどのくらいはかどるかということで、三年後のオリンピックを成功させるか失敗させるかが決まる」と言って、職員たちを鼓舞した。
     もちろん、いきなり立ち退きを迫られた住民たちは各地で反対運動を起こしたが、そうした声は、オリンピックを歓迎する世論にかき消されてしまったのである。

  • 渋谷区のオリンピック道路計画が、住民の反対で迂回したことを報じた記事。
    記者は、行政が毅然とした態度を示さないとオリンピック道路はジグザグになってしまうと危惧する(『週刊公論』昭和36年3月20日号)


  • ●昭和30年代のアトムから現代への警告
     ぼく自身、このころは近所に新しいビルが建ち、凸凹道が舗装路に変わっていく様子をワクワクしながら見ていた。遊び場だった空き地は次々と消えていったが、代わりに駅前にはボウリング場ができ、団地には整備されたきれいな公園もできた。
     だが手塚は見抜いていたのだ。日本が近代化していく中でも、決して壊してはいけない大切なものがあるのだということを。
     実は手塚は、これ以前にも『鉄腕アトム』で、過剰な開発による自然破壊を批判する物語を描いている。昭和28年に発表した「赤いネコの巻(原題:赤い猫)」である。これは武蔵野の自然を壊す者たちに復讐しようとする教授の孤独な戦いを描いた傑作だった。
     昭和39年秋、東京オリンピックは成功裏に閉幕し、日本の国際化を世界にアピールする大舞台となった。けれども、人々は祭りの後でようやく夢から覚めた時、自分たちが失ったものの大きさを初めて知ったのだ。環七では騒音や排気ガスによる公害が大問題となり、道路によって分断された地域のコミュニティが復活することは二度となかった。
  • 東京オリンピックから3年後、環七沿線の住民が、自動車の排気ガス、渋滞、事故、商売の不振などに悩む姿を取材したルポ。
    夢のオリンピック道路はすでに地元民にとってお荷物となっていた(『週刊言論』昭和42年5月3日号)


  • 「アトム対ガロン」では、ガロンの地球改造は、アトムの知恵と機転によってかろうじて阻止された。だが21世紀の現代、あのころとは違い、多くの人が地球環境の危機を認識しているにもかかわらず、誰もそれを本気で止めようとはしない。
     今この作品を読み返すとき、ぼくらはあらためてガロンの恐ろしさを実感する。壊れゆく地球を止めてくれるアトムは、果たして現れるのだろうか。


     それでは、ぜひまた次回のコラムでお付き合いください!!

    協力/財団法人大宅壮一文庫
    参考文献/『昭和二万日の全記録』(講談社刊)


  • 黒沢哲哉
    1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出合いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番

    このコラムでは
    「マンガは風刺だ」日ごろからそう語っていた手塚治虫先生のマンガには、作品を発表した当時の”時代”がリアルに、そして独特の視点から描かれています。けれども、作品の発表から年月を経るにつれて、そうした作品の生まれた背景というものは、いつしか忘れ去られてしまうものです。
    このコラムでは、手塚治虫先生が作品の中で時代をどう描いてきたか、手塚マンガが時代とどう関わりを持ってきたかを振り返ります。
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