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ミテ☆ミテ

  • 手塚マンガあの日あの時 第6回:アトム誕生の時代─焼け跡の中で─

  • (2009/10/09)

  • ●アトムの忘れ物とは?
     アトムが手塚治虫の作品に初めて登場したのは、昭和26(1951)年4月から雑誌『少年』で連載が始まった『アトム大使』だった。その一年後の昭和27年4月、アトムが主人公となり新たに『鉄腕アトム』がスタートする。
     そのアトム誕生から間もなく60年の歳月が経つ。その間、アトムはずっと多くの読者を魅了し続けてきた。また時代の節目節目にはなぜか世間の注目を集め、その度に新たな価値を見出され再評価されてきた。今回のアメリカ版CGアニメーション映画『ATOM』もそんな節目のひとつだろう。
     だが、そうした作品の普遍性とは別に、アトムが長い時の流れの中に置き忘れてきたものもある。それはアトムが当時の時代とどう関わってきたかということだ。
     今回は皆さんと一緒にアトム誕生の時代を見てみよう。それによって、21世紀の現代に読む『アトム』とはまるで違う、この作品のもうひとつの素顔が見えてくるはずだ。

  •   鉄腕アトムのメンココレクション。丸型のメンコが比較的初期のものだ

  • ●赤シャツ隊の恐怖!!
     アトムが生まれた昭和26年という年はどんな年だったのだろうか。
     太平洋戦争の敗戦からわずか6年目。日本はいまだ復興に向けて必死にあがいている時代だった。
     この前年の昭和25年6月に始まった朝鮮戦争は、鉄鋼や繊維などの莫大な需要を生み、日本の復興に大いに弾みをつけた。
     だがその一方で、日本は朝鮮半島へ出撃するアメリカ軍の前線基地となり、ふたたび世界戦争に巻き込まれる不安も広がっていた。
     そんな中、朝鮮戦争の開戦と前後して、日本に駐留していたGHQ(連合国軍総司令部)は、日本国内での労働運動の激化を危険視し、マッカーサー元帥の指示で“レッドパージ”を断行する。レッドパージとは、共産党員とその同調者たちを公職や企業から強制的に追放することだ。
    『アトム大使』の中には“赤シャツ隊”という科学省のスパイ警察が出てくる。この部隊は実質的に天馬博士の私兵部隊のような存在で、天馬博士の命令に従って宇宙人たちを容赦なく縮小していく。
  • 赤シャツ隊は、天馬博士の残酷な命令を忠実に実行する恐ろしい存在である(『アトム大使』第9回)


  •  現実にレッドパージが吹き荒れる中、人々は戦時中の特高警察(政治・思想犯を専門に取り締まる特別警察隊)を思い出し恐怖していた。そんな時代の読者にとって、この赤シャツ隊の恐ろしさは、今のぼくらの想像をはるかに超えた生々しいものだったに違いない。

  • GHQ司令官D・マッカーサー元帥は、昭和26年4月、突如司令官を解任され離日した。
    在任中、絶大な権力をふるったにもかかわらず、日本人は彼を愛し、別れを惜しんだ
    (『毎日グラフ』昭和26年5月1日号)


  • ●焼け跡で見た夢の未来世界
     だが、手塚治虫はどんな悲観的な状況を描いても読者を決して絶望させはしない。むしろ現実がつらく厳しいときにこそ、ぼくらを励ましてくれるのが手塚マンガなのだ。
  • コンクリート製らしきタマオ家の豪邸の背後には、そびえたつ超高層ビル群が見える(『アトム大使』第5回)


  • 『アトム大使』に登場する高層ビル群やスマートな流線型の都電、銀座の真ん中でサーカス興業を行なうマンモス劇場など。今ではこれらを見ても特別に驚くことはない。だが昭和26年という時代の中で見ると、この風景に対する印象はまるで違ってくる。
     昭和26年4月、新聞は銀座に戦後初めて街灯が復活したことを報じている。このころになっても街のいたるところに廃墟が残り、夜ともなれば都会の駅前でさえ真っ暗になった。


  •  上野駅周辺には、およそ1,300人の浮浪者がたむろし地下道をねぐらにしていた。男女比は男8:女2、そのうちおよそ1割が子どもで、しかも浮浪児の数は、地方では減少していたものの、都市部では逆に増えていた。
  •   上野の地下道で生活する浮浪者たちを取材した写真ルポルタージュ記事。
    ノガミとは上野の隠語である(『アサヒグラフ』昭和23年6月2日号)



  •  手塚は、そんな過酷な時代を生きる子どもたちに向けて『アトム大使』を描いていたのだ。子どもたちは、それをきっと夢中になってむさぼり読んだことだろう。そしてほんのひととき、つらい現実を忘れてアトムとともに夢の国に遊んだのである。
  • 渋谷で靴磨きをしながら真面目に生きようとする10歳から15歳の浮浪児3人を追ったルポ。
    彼らがもし健在ならば現在69歳から74歳。彼らのその後の人生は幸福だっただろうか
    (『サンデー毎日』昭和25年1月15日号)

  • 地球の習慣を学び取ろうとする宇宙人たちの珍妙な行動が楽しい(『アトム大使』第2回)


  • ●子どもをめぐる厳しい現実
    『アトム大使』のアトム初登場シーンにも、そんな当時の子どもをめぐる厳しい社会状況が反映されている。
     ある日サーカス団に児童省の役人がやってくる。彼らは、サーカス団がタマオ少年とロボットを決闘させるという話を聞き、査察に訪れたのだ。役人はサーカス団の団員にこう言って詰め寄る。
    「あなたは児童憲章を知らないのかね」
     これは、昭和26年5月に日本政府が児童憲章を制定したことを背景にしたセリフだ。児童憲章は「児童は人として尊ばれる」「児童は社会の一員として重んぜられる」など、子どもの人権を高らかに謳ったものだった。だが現実はその理想に遠く及んでいなかった。
     昭和22年ごろに社会問題化し始めた子どもの人身売買は、その後、いったんは下降線をたどったものの、25年ごろから再び増加。昭和26年8月には、厚生省(当時)が、被害児童の数を全国で推定5000人と発表した。
     宇宙人のタマオが山道で見知らぬ男たちと出会い、そのまま銀座へ連れて行かれてサーカスで働かされる。そんな異常なことが普通に起こるような時代だったのだ。
  • アトム初登場エピソード(『アトム大使』第4回)。この回は『少年』昭和26年7月号に掲載された。
    それからちょうど60年後というと2011年7月。テレビ放送が地上デジタルに完全移行する予定の月である。覚えやすい

  • ●児童省配給の“いいガム”とは?
     ちなみにこのアトムと役人との対面シーンで、役人がアトムにガムを食べさせる。役人は「児童省のガムはおもちゃじゃない」から、人間には絶対にふくらませられないと主張する。ところがアトムがそれを楽々とふくらませて役人が驚くというオチだ。
     実はこのギャグは、当時の風船ガムの流行を下敷きにしている。
     終戦直後、米や小麦、砂糖など、お菓子の原料となる食品は厳しい食料統制化にあった。そのため菓子製造業者は思うようにお菓子が造れない。そこで目を付けたのがチューインガムだった。統制品ではない松ヤニや酢酸ビニール樹脂に、サッカリンやズルチンなどの人工甘味料で味を付ける。松ヤニや酢酸ビニール樹脂には柔軟性があり、風船のようにふくらませることができる。これを風船ガムとして売り出したところ、お菓子とおもちゃに飢えていた子どもたちに大評判となったのだ。
     そこでたちまち多くの業者が参入し、昭和23年ごろには、大小さまざまのガム製造業者が全国に350〜400軒以上もひしめいた。しかし中には悪質な業者もいて、精製していない松ヤニを使ったことで、口の中がかぶれて腫れあがるというトラブルも頻発していたのだ。
     児童省の役人は、それを指して児童省配給のガムは「おもちゃじゃない」「いいガムだ」と言っているのだが……子どもからすれはそんなのは大きなお世話だ。子どもにとって「いいガム」は、より甘くてより大きく「ふくれる」ガムに決まっているのだから。

  • ●子どもたちがアトムを仲間と認めるとき
     ということで、アトムが権威をふりかざす大人を一瞬で凹ませたことに、当時の読者は快哉を叫んだことだろう。そしてこの無口で無表情なロボットを、子どもたちはごく自然に自分たちの仲間として受け入れたのである。
     そういえば映画『ATOM』にも似たシーンがあった。自分の居場所を失ったアトム(トビー)が、スクラップの山となった地上世界で、身寄りのない少年少女と出会う。彼女たちは当初、アトムをよそ者として警戒している。だがアトムが、彼女たちが大切にしている壊れたロボット・ゾグを直してくれたことで、アトムを初めて仲間として認めるのだ。

  •  自分たちにとって何が大切かという価値観を共有できること、それが子どもたちが新参者を受け入れる重要なイニシエーション(通過儀礼、入団式)となっているのである。
     昭和26年、アトムは焼け跡だらけの日本に生まれ、すべてを失った子どもたちの仲間となって、その心に明かりを灯した。それから60年、世の中は大きく変わったが、家庭や社会から疎外されたり、大人に利用される子どものニュースは後を絶たない。そんな現代社会において、子どもたちの代弁者であり、理解者であり、大切な仲間であるアトムの存在は、今後もますます重要になってくるだろう。

     さて次回は、日本が戦後の混乱期を抜けて、高度経済成長へと猛進しはじめた時代の『鉄腕アトム』を振り返る。『アトム』の中に描かれた未来世界に現実が追いつきかけたとき、手塚はアトムをさらに一歩先の未来へと向かわせた。その一歩先の未来とは一体……!? ぜひまたお付き合いください!

    協力/財団法人大宅壮一文庫
    参考文献/串間努『特集チューインガム戦後編』(『日曜研究家』Vol.11 扶桑社刊)、『昭和二万日の全記録』(講談社刊)

    (C) 2009 Imagi Crystal Limited
    Original Manga (C)Tezuka Productions Co., Ltd.



  • 黒沢哲哉
    1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。手塚マンガとの出合いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番

    このコラムでは
    「マンガは風刺だ」日ごろからそう語っていた手塚治虫先生のマンガには、作品を発表した当時の”時代”がリアルに、そして独特の視点から描かれています。けれども、作品の発表から年月を経るにつれて、そうした作品の生まれた背景というものは、いつしか忘れ去られてしまうものです。
    このコラムでは、手塚治虫先生が作品の中で時代をどう描いてきたか、手塚マンガが時代とどう関わりを持ってきたかを振り返ります。
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  • コメント一覧
  • あらまんちゅ さん  2010/01/18 07:55:34
  • 久しぶりの投稿です。
    今回のコラムはとても深いですね。当時のレッドパージなどの事件などを考えずに読んでいました。アトムはマッカーサーの退任とともに登場したということなんですね。焼け野原の中からアトムが生まれ、日本の希望となった重要なポイントですね。
    資料のアトムは、昔の光文社版ですか?気になります。
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