3月7日、表参道Antenna<>WIRED CAFEにて、ユニコ生誕40周年記念トークイベント、「傷つき愛する『ユニコ』のはなし〜ユニコってだれ?本当の優しさってなに?」が開催されました。
ユニコのイベントは、なんと40年の歴史の中で初めての試み!
雨宮まみさん、少年アヤさんをゲストに迎え、トミヤマユキコさんが司会のもと、たっぷりユニコトークを繰り広げていただきました。
かわいいだけではない!?ユニコの魅力を独自の切り口で読み解いてゆくようすをお届けします。
登壇者プロフィール(右より)
★少年アヤさん
作家・エッセイスト。1989年生まれ。 自らの性自認や、それにまつわる葛藤を書いた「尼のような子」(祥伝社)「少年アヤちゃん焦心日記」(河出書房新社)、春には平凡社より新刊を上梓予定。 新潮社yomyomにて小説「あれの・花園」連載中。
★雨宮まみさん
ライター。女性性とうまく向き合えない生きづらさを書いた自伝的エッセイ『女子をこじらせて』(ポット出版)で書籍デビュー。 以後、エッセイを中心に書評などカルチャー系の分野でも執筆。近著に『東京を生きる』(大和書房)、『自信のない部屋へようこそ』 (ワニブックス)がある。
★トミヤマユキコさん
ライター・早稲田大学文化構想学部講師。ライターとして『文學界』『ESSE』などでブックレビューやコラムを連載。大学では、少女マンガ研究を中心としたサブカルチャー関連講義を担当。 趣味はパンケーキの食べ歩き。近著に『パンケーキ・ノート』(リトルモア)がある。
トミヤマユキコさん(以下、トミヤマ):お二人と『ユニコ』との出会いについてお伺いします。はじめて読んだ時の事は覚えていらっしゃいますか?
少年アヤさん(以下、アヤさん):すごいことを言いますが、正直僕は手塚先生の作品にはあまり親しみがなくて。
小学生の頃、図書館で『ブラック・ジャック』を読んで、脳ミソとかグロテスクなシーンに、はしゃいでいた記憶があるくらいなんです……。 だけど、ユニコのことは、『ユニコ』が掲載されていた『リリカ』というサンリオの漫画雑誌を集めていたことがあって、知っていました。ですが、ちゃんと全体を通して読んだのは今回のオールカラーの新装版をいただいてからですね。
雨宮まみさん(以下、雨宮):私は、漫画よりアニメが先でした。小さい頃にアニメを見た記憶があって、大人になってからフリーマーケットで同じ作品のVHSを見つけたので、そういえば小さい頃はユニコ好きだったな〜という感じで買いました。
手塚先生がもともと大好きで、他の作品は色々読んでいたのですが、『ユニコ』の原作をきちんと読んだのは、大人になってからです。
トミヤマ:大人になってから読んだ方が、色々と気付くことがある作品なのかなと思ったのですが、お二人はどうでしたか?
雨宮:最初は内容がすんなり頭に入ってこなかったです。ピュアすぎるユニコにイライラしたり……。コイツ、愛してもらいたいという意識は高いけど、自分を守るリテラシーが低すぎる!って。傷つく人は自分で自分を守らないのが悪いみたいな世間の風潮ってあるじゃないですか。あまりにもユニコが無防備すぎて、普通に受け入れられなかったのかもしれません。何回か読んで、ようやく内容が入ってきました。
トミヤマ:アヤさんはどうですか?同じようにイライラすることはありましたか?
アヤ:僕はものすごく感情移入をしてしまって、はじめからボロボロ泣いていました。
まみさんもおっしゃっていますが、「愛されたいけど、自分を守るリテラシーが低い」というギリギリ感が、他人事に思えなくて。
自分が何者かもわからず、他人に愛される、承認されるために、なんでもしてしまう、ちいさな獣の話。
雨宮:ユニコが西風の精に記憶を毎回消されて、違う場所に連れ去られるっていうストーリー展開になっているので、各話ごとに国も違えば時代も違うんです。前にいた世界でどんなに良い思いや悲しい思いをしても、すべてその記憶を消されて次の場所に連れて行かれてしまうから、自分が何者かわからないし、普通の動物じゃないし……かわいそうなんだよね。
トミヤマ:毎回、ゼロからのスタートなんですよね。お前は何者だ?って言われるところから始めないといけない。
アヤ:そう。まったく知らない世界で、不気味だとか言われても、他者に依存しないと生きていけないから、愛してくれと懇願してしまう。
「普通の動物でない」ということも、僕は自分に重ねてしまいましたね。
トミヤマ:単なる共感だけではなかったということですね。
アヤ:当時はどうだったかわからないですけれど、すごく「今」の話だなあと感じて、びっくりしました。僕だけじゃなくて、皆さんもユニコに通ずるところがあるんじゃないでしょうか。
雨宮:ユニコは魔法が使えるけど、守りたい人とか、願いを叶えてあげたい人にしか使うことができない。自分のためには使えないんです。
アヤ:それ、僕はユニコの思い込みなんじゃないかな……と読んでいます。本当はひとりでなんでもできるのに、愛されていた場所から引き離された欠落をとりあえず埋めることに必死で、愛してほしい、愛されないとなにもできないと思い込んでしまっている。
あと、「力を貸すから仲良くして」とか「ぼくを愛して」とか言うけど、それが心からじゃなくてもいいんですよね。愛してるよって言葉、契約のハンコが欲しくて仕方がない。
トミヤマ:愛されれば何でもできるけど、そのたったひとつの条件をクリアすることが難しいから、悲劇が起こるっていう……。
仮に愛されたとしても、結局最後は人間同士の愛がメインになってしまって、異種であるユニコの居場所がなくなってしまいます。
雨宮:それに、縋る人間を見つけたとしても、メインで愛されることは一度もないんだよね。愛し合うふたりの傍にいたいとか、そのふたりの愛を叶えてあげたいというのはあるけど、あくまでも人間とユニコーンは相思相愛にはなれない。
アヤ:自分もそうだったんですけど、ユニコの愛されたさって、つまるところ保護されたい欲求なんじゃないかな。おそらくプシケという人物の、ぼんやりした記憶、与えてもらった幸福感や万能感みたいなものが根底に残っていて、それを埋めるためのものを愚直に追い求めている。
そういうユニコの切実さがすごく可愛そうなんだけど、でも可愛い。可愛いものがかわいそうで可愛いって、ちょっとねじれた欲求ですよね。僕は自分を重ねているから、というのもおおきいと思いますが。
雨宮:痛めつけられればられるほど可愛くて、いじめられるからこそキャラクターとして輝くとか、童話の根にあるものがユニコにはあるんですよね。白鳥の湖やシンデレラとかに近いです。女の子が童話に求めているものを、手塚先生はよくわかっていらっしゃるなぁと思いました。
特に、変身シーンが多いところとか。猫のチャオが人間に変身するシーンは、女の子が大好きな要素だと思います。これが見たかった!というものを存分に見せてくれるんですよね。
トミヤマ:お二人とも、はじめは素直に受け入れられなかったけれど読んでいるうちに『ユニコ』の魅力に気づいた、ということだと思うのですが、ユニコ以外に好きなキャラクターはいますか?
雨宮:私は盗人孤児の少女マーシュカですね。男装をしていて、不良で言葉遣いも悪くて、最初はユニコにきつくあたるけど結局は手を差し伸べてくれる、男気のあるキャラクターなんですが……。
そんなマーシュカが服を剥ぎ取られるシーンがあって、「バカ!!そうジロジロみるなよ!!」と言いながら胸を隠すという、「出た〜!」って感じのお色気展開なんです。
私意外にも、このシーンで何かに目覚めた人もいるんじゃないでしょうか(笑)
男性的なかっこよさも持ち合わせているけど本当は等身大の女の子で、ユニコに「一日でいいから恋をしてみたい」と願うんです。もう、キュンとしてしまいます。
アヤ:僕のお気に入りは、西風の精。
トミヤマ:ちょっと意外です!
アヤ:キャラクターとして好きというか、風景として好きなんです。
ビーナスの命ずるがままに、ユニコが築き上げたものを奪っていくんですけど、いつだってユニコはとても愛おしそうに、ふわりと胸に抱かれているんですよね。されていることはひどいことで、起きていることもかなしいのに、風に抱かれて夕日に溶けていく姿は、やりきれないほどうつくしくて、ぐっときてしまいます。
雨宮:21世紀の萌えの原型はすべて手塚漫画にあるという説がありますよね。
ケモノ萌えとかロボット萌えは昔から描いていたり、男装女装萌えなどかなり早い段階で描かれてました。私が好きなマーシュカですが、男の子だと思っていた子が実は女の子で、美しく変身して舞踏会へ行く……これって『ベルサイユのばら』のオスカルじゃないですか!?
手塚先生は、独創的な部分もすごいんですが、貪欲に人が描いているものを読んで、これ僕もやりたい!って創作意欲に反映させるポテンシャルがとても高いですよね。その意識が『ユニコ』には詰め込まれていると思います。
ユニコが記憶を消されて、毎回違う場所に連れて行かれるという設定にすることで、手塚先生は自分が描きたいと思ったモチーフを毎回入れられるようにしたんじゃないかな?
トミヤマ:なぜいつも西風の精が出てきて別の時空に連れて行かれるんだろうと思っていたのですが……これは手塚先生のさしがねだったんですね!?
雨宮:そうそう。大人になってから読むと、最初はユニコが毎回飛ばされてしまうのを理不尽に感じたり、ゼフィルスのせいで話がコマ切れになってゆく!とか思ってたんだけど、これがうまい仕掛けとなって、作品の自由度を保っていたんですよね。
毎回違う舞台となると、背景や設定もガラッと考え直さないといけないだろうし大変そうですが……。
トミヤマ:お二人は小説を書かれますが、毎回違う設定で書くというのはどうですか?
アヤ:考えたくないです(ビールを飲みながら)
雨宮:人によっては大変だと思うけど、手塚先生はこのほうが描きやすかったのかもしれません。私だったら、飽きっぽいからこの設定だとやりやすく感じるかも(笑)。連載で、一話完結で読ませるための工夫という部分も大きかったと思いますが。
トミヤマ:他に手塚先生の仕掛けや工夫を感じたシーンはありましたか?
雨宮:すごく印象に残ったシーンがあります。
ユニコーンたちの主食で、食べても食べてもなくならない、幸せの象徴となっているゼリーが出てくる場面なのですが……。
このゼリーが実は地中に埋まっていて、奴隷みたいな人たちが下から押し上げているっていう仕組みになっているんですよ。ファンシーの化けの皮が剥がれたグロテスクなシーンですよね。一番、悪意を感じます。
アヤ:そしてユニコーンたちは、神様が管理するゼリーの山のうえで、「ここには不幸なことはひとつもない」と言いながら暮らしているんですよね。下で奴隷ががんばっているとも、その奴隷によって子供たちが誘拐されようとしているとも知らず……。
だけど、いわゆる楽園ではない人里に降り、艱難辛苦を経てきたユニコだけは、そんな感覚に疑問を呈するんです。
「不幸があるから幸せがあるんでしょ……」って。
雨宮:名台詞……!
トミヤマ:上では不幸をしらずにフワフワと幸せな生活をしているユニコーンがいて、その下には必死に働いてユニコーンたちの生活を支える労働者がいて……なんだか、現代社会の縮図なんじゃないかなと思ってしまいます。
雨宮:同時期で他の作品も連載していたし、たとえば『火の鳥』のほうがこういうシリアスな隠し味を入れやすいかと思うのですが、あえてファンシーで可愛い『ユニコ』の世界で描いてしまうという。だから余計にエグく感じますよね。
現代の縮図とかいわれたら、じゃあ現代のユニコは誰だって考えちゃうよね。
アヤ:愛されたいと叫んだことのある、すべての人じゃないでしょうか。
トミヤマ:『ユニコ』ってストーリー構造はシンプルですが、「やさしさ」の描かれ方についてはかなり複雑だと感じます。『ユニコ』で描かれている「やさしさ」について、どう思われますか?
雨宮:その人のために何かしてあげたいっていう、基本的には自己犠牲から生まれるやさしさですよね。でも、そのおかげで必ずしもその人が幸せになるとは限らず、より大きな災難に見舞われることもあって……。
アヤ:例外もありますが、本当に人のためになにかしたいわけじゃなくて、自分が愛されるためになにかしているだけなんですよね。どうなるか、ということまで考えないから、空ぶってしまったり、引っ掻き回してしまったりする……。これも、身に覚えのある話です。
そしてその欲求が切実であればあるほど、奪われたもの、プシケとの時間が幸せだったんだろうなあと考えて、ますますせつない。
トミヤマ:自分のことを認めてもらうためにがんばらないと、誰も受け入れてくれないということですよね。
アヤ:子供も大人も、みんながみんな承認されたくて、欠落感を持て余しているこの時代に『ユニコ』が再注目されていっていうことに、意味を感じたりもしています。
雨宮:承認欲求の時代だからね。
トミヤマ:他人と関わらないと生きていけないけれど、関わろうとすると良いことだけじゃなく必ず悪いことも起こる。でも、ユニコは他者と関わった結果を知らないことも多いですよね。自分が与えたやさしさがもたらした幸不幸の記憶を生きていく力にできないんです。
雨宮:そこが一番残酷なところだよね。
トミヤマ:過去の記憶をちゃんと蓄積していける設定だったら、もっと希望があったと思うのですが、そうではない。ユニコって優しいけれど業が深いというか……。
雨宮:試練を与えられている感じなのかもしれないね。純粋すぎて、異形なものとしての生を成し遂げなければいけない、みたいなね。
人を幸せにしてあげるってことが大きなテーマだと思うけど、幸せにしてあげるってなんだろうと考えちゃいますよね。
ユニコはきっかけを与えたり状況を整えることは出来るけど、その人が得る幸せって、必ずしもユニコがいてくれたから幸せってことじゃなくて。結局、ユニコは間接的なことでしか人を幸せに出来ないんじゃないのかなという気持ちになりましたね。
アヤ:ユニコなんて、本当は必要ない……。
トミヤマ:切ないですね。でも、決して切ないから嫌になるというわけでもなく。
雨宮:愛と勇気にあふれる正しくて明るいキャラクターだったら、逆にこんな風に長く愛されなかったのかも知れない。陰性のかわいさだと思うんですよね。分かりにくくてかわいそうで愚かだからかわいい。好きだけど、イラっとする。そこにグッときて、惹きつけられるんだと思います。
ストーリーの切なさとか「やさしさ」というテーマが日本人にフィットするようにうまくチューニングされているんですよね。
アヤ:尽くして尽くして……っていうのが、日本らしいですよね。やっぱり相手のため、ではないんですけど。
トミヤマ:ユニコは「聖なる愚者」だと思います。フィクションに登場する聖なる愚者というのは、聖なるものだけれど愚かであり、簡単に言うと頭が良くない。そういう生き物は社会の外側でしか生きていけないけれど、完全に外側に行ってしまうと愚かだから生きてゆけない。だから、やっぱり社会と関わっていくしかないんです。でも、決して社会の一員にはなれないという。
雨宮:ピエロ的なポジションになりがちかもしれない。
トミヤマ:そうかもしれません。繰り返し傷ついて、あるいは穢れていくことで逆に純粋さを増してくというか。ユニコは、そういう聖なる愚者・ピエロとしての運命をいつまでも背負わなければならないんですよね。
アヤ:「聖なる愚者」という点では、大好きな『セーラームーン』の月野うさぎちゃんを思い浮かべました。うさぎちゃんは、敵にも自分の孤独を重ねて見てしまったり、信念をつらぬいたら世界が終わりかけたりとか、愚直とも言えるほどなのですが、そんなうさぎちゃんが、たった一度、戦いの中で弱音を吐く場面があるんです。あたしは世界の平和なんかのために戦ってきたんじゃない。仲間の絆や、愛する人との日常を守るために戦ってきたんだと。
雨宮:すごいエゴイスティックな話なんだよね。実は。
アヤ:男のヒーローみたいなヒロイズムじゃなくて、自分と、自分の周りの人のために世界を救いたいだけっていう。そんな動機じゃないと、逆に世界なんか救えないですよね。あれ、ただセーラームーンの話がしたいだけみたいになっちゃったけど、セーラームーンも名作なので皆さん読み直してください。
トミヤマ:たしかにユニコとの共通点がありますね。
ハウス名作劇場の『小公女セーラ』はどうでしょうか。ひどくいじめられて、何度も傷つくけどそれによってセーラの純粋性が増してくところが、ユニコに通ずるかなと思うのですが。
『セーラ』って、放送期間中はいじめのシーンが多くて、クレームも相当あったそうですが、いじめシーンを減らすことなく最終回を迎えたんですよ。私、可愛そうなセーラに萌え狂っていた時代があって……(笑)
雨宮:いじめられているセーラが一番可愛くみえてしまうし、いじめているのは所詮モブでしょ!と思ってしまいます。セーラを輝かせるための。
やっぱり寓話的な、悲観的なものに惹かれる文化的DNAがいつの時代にもあるんでしょうね。現代の少女漫画でも、核の部分にはこれがありますよね。
トミヤマ:そうですね。ちなみに、『ユニコ』が連載されていた1976から79年って、サンリオキャラクターのスターたちが一斉に登場しているんです。ハローキティやマイメロディ、リトルツインスターズなど。
アヤ:現役トップスターですね。
トミヤマ:あの時期に日本のファンシー文化がかなり発展したんじゃないかなと。
サンリオが次々とスターキャラを生み出す一方で、手塚先生もまた自分なりのファンシーな世界観をユニコで表現しようとしていたのも興味深いです。
そして、あの時代に生まれたファンシー文化は、近年原宿を拠点に流行っている「ゆめかわいい※注」ファッションの先駆けというか、基盤となっているのではないでしょうか。
雨宮:ファンシー、メルヘンだけで表現できないような陰性の可愛さというか、かわいそうで愚かだからグッとくる。そういう魅力がユニコにはあります。でもその欲望って不健全な感じがしますね。
トミヤマ:いじめたくなるというか……。
アヤ:そうですね。だけど、そんなユニコ可愛いってそう思えたときに、自分自身の愚かさを肯定できた感じがして、救われた部分もありました。
トミヤマ:そういう陰性の可愛さが、『ユニコ』のエッセンスになっていたんでしょうね。
『ユニコ』を読みながら、他の少女漫画やファンシーキャラクターと比べてみるのも楽しそうです。
トミヤマ:ユニコの持っている愛はとても豊かなものだけれど、最後の最後で、その愛のせいで他者を不幸にしてしまうエピソードがでてきますね。
アヤ:孤独な悪魔と関わることで、悪魔はようやく愛を知るんだけれど、そこでユニコがまた連れていかれてしまう。悪魔のいるところは世界の果てとも言える場所で、二度と誰も訪れないかもしれないし、誰か来たとして、悪魔を愛してくれるとも限らない。つまり悪魔は、永遠にあの場所で、孤独に身を焼かれ続けなければいけなくなってしまった……。 そこで、これは愛にまつわる業のお話だったんだ、と理解しました。
雨宮:最終回にはずっと孤独でいたほうがまだ良かったという存在が出てきてしまって、そこで物語が終わってしまうという。
アヤ:みんなで悪魔の城に行ってあげたいぐらいですよね。今から。
雨宮:豊かな愛や、やさしさを与えられることだけが良い事とは限らないというメッセージが込められていますよね。考えさせられます。
トミヤマ:最終回の後はどうなってしまうのか、気になりますね。
ユニコをいじめていたビーナスが改心して、もうユニコはどこへも行かずにに済むという、一見明るい終わり方になっていて、子どもから見たら「めでたしめでたし」な終わり方だとは思いますが……。
雨宮:この先を考えると、ここからが大変だろうなと思っちゃいますよね。大人だからこその深読みしてしまう。
これからやっとユニコ自身の人生がはじまるんだなぁと思うとね……。
アヤ・トミヤマ:うーん、深い……。
記念すべき『ユニコ』初イベントは、本作品の魅力を皆さんと共有することのできた貴重な時間となりました。
最終回の後、ユニコは一体どんな運命を辿り、彼なりの幸せを見つけるのでしょうか……。