写真と文/黒沢哲哉 地図と絵/つのがい
手塚治虫先生の足跡と手塚マンガに描かれた作品の舞台を訪ね歩いて11年! 過去の「虫さんぽ」の中から特に思い出深いさんぽを振り返るマイ・ベストさんぽ! 前回までの東京編に続いて、今月からは3回にわたり大阪編をお届けしよう!
さて今回振り返るのは、2011年6月に公開した夏休み特集「関西さんぽ編」の中から、大阪市中央区にある玩具問屋街「松屋町さんぽ」である。
・虫さんぽ 第16回:【夏休み関西さんぽ・前編】大阪界隈:医大生時代の手塚先生の足跡を歩く!
太平洋戦争が終わった直後の昭和20年代、この松屋町周辺には"赤本"と呼ばれる粗末な娯楽本を出版する小さな出版社がひしめいていた。そして手塚治虫のマンガ家としての本格的な活動はこの赤本から始まったのだ。つまりこの町はマンガ家・手塚治虫にとって原点のような場所なのである。
「虫さんぽ」でこの松屋町を訪ねたのは2011年4月29日のことだ。その1ヶ月半前の3月11日には東日本大震災が発生、東京を含む関東以北はいまだ騒然としていた時期である。
そのためか、いつ行ってもエネルギッシュな印象のある大阪の町もこのときはいつになく静かで、ここ松屋町も子どもの日セールの真っ最中にもかかわらず何となくひっそりとしていた。
松屋町は正式には「まつやまち」と読むが、大阪人は親しみを込めて「まっちゃまち」と呼ぶ。戦前からこの界隈には駄菓子の問屋が多く集まっていたというが、戦後は駄玩具や人形などをあつかう問屋が建ち並ぶようになり、今でも70件以上の問屋さんが営業を続けているという。
またこの周辺には古紙や再生紙をあつかう業者が多くいたことから、終戦直後の紙不足の時代でも、その再生紙を使って大量に本を出版することができた。そこに手塚治虫が登場したことで、この地域が赤本マンガ文化の発信地となったのである。
この町について、手塚先生はかつてエッセイの中でこのように紹介していた。
「──松屋町──
マッチャマチと読む。大阪の玩具菓子問屋街で、東京では浅草蔵前か、アメ屋横丁のような所である。
ペッタンと呼ばれるメンコ、奴凧(やっこだこ)、紙製の面、ボール、玩具の刀、造花や花火、カンシャク玉、ブリキのピストル、風船ガム、お好みあられ、するめに塩昆布、ねじきり飴に一口カステラ、そして赤本......。
こういった雑貨食品を満艦飾(まんかんしょく)のように陳列し、リュックを背負い、買い出し嚢(ふくろ)をぶらさげた中国、四国くんだりの仕込み屋が、田舎の雑貨屋へ売るために店先に立ち、泉州なまりや京なまり、岡山弁、広島弁、高知弁がとびかい、本だろうが煎餅(せんべい)だろうが、一からげにしてリュックにぶち込んでは帰っていくのだった。この界隈に十四、五軒の零細出版社ができて赤本を出していたが、それはたいてい問屋あがりの、出版とは無縁な一発屋で、漫画ブームをあてこんで転業したのであった。それらのうちの一軒で、小粒なFという出版社が、ぼくの初期の大半の作品を出していた。」
(講談社版手塚治虫漫画全集『手塚治虫エッセイ集1』より。※初出は1969年毎日新聞社刊『ぼくはマンガ家』)
昭和20年代の松屋町のにぎわいが目に浮かぶような手塚先生の名文である。
そしてこの2011年のさんぽ後に、昭和31年の松屋町のにぎわいを取材した当時の週刊誌記事を発見したのでここで紹介させていただこう。
ちなみにこれは余談だけど、この週刊誌記事のトビラ写真で子どもが乗って遊んでいるのは「ホッピング」という遊具だ。スチールパイプの中にスプリングが仕込まれていて、ステップに足を乗せて体重をかけると体がピョンピョンと飛び跳ねる。この写真が撮影されたのが昭和31年1~2月ごろだとすると、ホッピングが日本中で大ブームになるのはそのおよそ10ヶ月後の昭和31年暮れごろのことなので、松屋町は流行を半年以上も先取りしていたことになる。
この2011年の松屋町さんぽの際には、ぼくは事前に手塚先生の初期作品の奥付から当時の出版社の住所をメモして持参していた。その住所をたよりに出版社の跡地を訪ねようと思ったのだ。
特に行きたかったのは手塚先生の出世作『新寶島』を出版した育英出版の跡地だ。『新寶島』は1947年、関西マンガ界の重鎮・酒井七馬との共著で出版され、当時としては異例の数十万部を売り上げる大ヒットとなった。
手塚治虫の名前はこの1冊でマンガファンの間に知れ渡り、その後、松屋町界隈の別の出版社からも手塚マンガが立て続けに出版され、それらの単行本群によって手塚マンガの人気は不動のものとなっていったのである。
ということで育英出版という会社は現存しないものの、ぜひその跡地には立ってみたい。しかしあいにく当時とは町名も地番も変わっており、虫さんぽでは、おおよその地域までは絞れたものの、正確な場所を特定するには至らなかった。
ところがである。この記事の公開後、大阪出身の漫画評論家・中野晴行さんがこの記事を読んでくださっていて、ぼくにこう言ってくださった。
「黒沢さん、赤本出版社の場所を訪ねるなら先に私に言ってくださればよかったのに。育英出版だけじゃなく東光堂の場所も不二書房の場所も分かってますから。不二書房の近くには酒井七馬先生のお宅もあって、そこも案内できますよ」
何と、こんな身近に松屋町界隈の情報に詳しい方がいらっしゃったとは! そこでぼくは図々しくも、中野さんに場所を教えていただくだけでなく、ぜひ一緒に大阪へ行って現地を案内していただけないだろうかとお願いしたところ、中野さんから快諾のお返事をいただいたのだった。
ということで新型コロナ騒動が収束したらぜひ、中野さんと歩く「虫さんぽ+(プラス)大阪編」を実現させたいと思っています。
中野さんによれば「大阪も昔とは街並みがかなり変わってしまいましたけど、松屋町周辺にはまだ昔の大阪が残っていますから、行くならそれがなくならないうちがいいですね」とのことなので急がないといけません!
黒沢哲哉
1957年東京生まれ。マンガ原作家、フリーライター。
手塚マンガとの出会いは『鉄腕アトム』。以来40数年にわたり昭和のマンガと駄菓子屋おもちゃを収集。昭和レトロ関連の単行本や記事等を多数手がける。手塚治虫ファンクラブ(第1期)会員番号364番
つのがい
静岡県生まれ。漫画を描くこと、読むこととは無縁の生活を送ってきたが、2015年転職を境にペンを握る。
絵の練習としてSNSに載せていた「ブラック・ジャック」のパロディ漫画がきっかけで、2016年手塚プロダクション公式の作画ブレーンとなった。
web:https://www.tsunogai.net/
twitter:http://twitter.com/sunxoxome/
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虫さんぽ+(プラス)
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