この本に収録されている『日本の児童文化を考える』という講演記録の中で、手塚治虫は次のように語っています。 子どもたちは大人が「これはタメになる」と押し付けたものには反発するし、 むしろ「これはダメになる」と隠そうとしたものにこそ興味を持つ。 そのことを嘆かわしいと憂えるのではなく、それはそういうものなんだという前提に立った上でなければ、 子供たちをどのような文化状況で育めばよいのか、といったことは語れない。手塚治虫はそう論じます。 その上でマンガ本の値段と映画の値段の比較、キャラクーグッズ商法の是非、 ブームという名の、一種の宗教的な無意識への強制といったことにまで話しが及んで行きます。 それはそのまま「子どもになにを与えればいいのか」という議題の難しさを教えているようです。手塚治虫は語ります。 なにが「子供のためによいものか」なんて、誰にも判断はできない。 だから大人たちが自分が心から「これは面白い」と思ったものを素直に差し出すしかない、 という結論にはかなりの説得力があります。 つまり、問題にしなければならないのは破壊や差別や虐待を描くことが面白いと感じ、 それを平気で世に送り出している大人たちのほうの文化状況なのだ、と 。
『未来人へのメッセージ』では、自身のいじめられっ子だった幼少時代や戦争体験について語り、 そういう中で覚えた「耐える」ということが、いまの自分の力になっていると語ります。 もちろん、だから戦争も捨てたもんじゃないもなどと語っているわけじゃありません。 どんな体験の中からも人は必ず自分のプラスになるものを見つけることができる。 それだけのバイタリティーがすべての命にははじめから備わっていると語っているのです。 たいせつなのは周囲の粘り強いはげましと、きちんと指針を示してくれる大人の存在なのだ、と手塚治虫は語っているのです。 そうして、現代の豊かな世界で過保護に育てられている子どもたちに対しても決して悲観するのではなく、 いまの子どもたちもまた、自分がおかれた環境の中で、たくましく新しい独自の文化を築いて行くだろうと期待すると続けます。 この「期待し続ける」という意思表明こそ、子どもたちを正しく未来へと導くための唯一のキーワードなのかもしれません。
ほかに 古代文明にはせる思いと、答えのないなぞにときめくことのできる人間のすばらしさを語った『失われたロマンを求めて』 高度情報化社会が人間をどういう方向に導いて行くのかを考察した『科学技術の進歩と人間の生き方』 アトムやジャングル大帝をアメリカに売り込んだときに感じた日米の文化摩擦と、その文化的背景の違いを超えて、 互いに共感できるアニメーションのすばらしさを語った『国際社会における共通言語としてのマンガの役割』 可愛い子だからこそ旅をさせましょうと語りかける『はじめてのひとり旅』 マンガの現在と未来を論じた『映像とマンガ』『共通言語としてのマンガ』『文化の花咲かせ豊かな人間関係を』 21世紀に生きる、ということの意味を考察し、子どもたちを「がんばれ」と励ます『未来へのファンタジー』 以上の講演記録が収録されています。
『未来人へのメッセージ』岩波書店 岩波ブックレット(1986年)
『未来へのファンタジー』富山県教育委員会 精神開発叢書(1987年)