七色いんこ 〜幕間〜

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『七色いんこ』7巻 あとがき より) (前略)
 それで、芝居に関するぼくのイメージとか、ぼくが芝居を好きだからこそこうした漫画を描いているんだ、ということをわかっていただくために始めたのが「七色いんこ」なのです。今までぼくの漫画には、芝居というものを直接描いたものは、ほとんどありませんでした。…(中略)。

 「七色いんこ」というのは、今までのぼくの作品系列からいうといったいどれにあたるかわからないほど変わった作品なので、「ブラック・ジャック」や「ドン・ドラキュラ」を見慣れた人にはとっつきにくいとよくいわれます。題名にしても、なぜ「七色いんこ」というのかわからないというんです。たまたま家でインコを飼っていたので「七色いんこ」ってつけたんですがね、ただそれだけのことです(笑)。
 (中略)
 ただぼくとしては少なくとも、ぼくのなつかしさを込めて、ぼくが現在描いている漫画の方式のルーツのようなものとして「七色いんこ」を取り上げたのです。つまりぼくの漫画にはいろんなスターがいるわけです。ヒゲオヤジをはじめとして、ランプとか、ハム・エッグとか、そういうのがいろんな役をするわけです。ヒゲオヤジなんか何回死んでも生き返ってくるんです。あれはつまり俳優と同じで、ランプという俳優を今度はこういう役で使ってやれとか、ぼくが楽しんで操っているわけです。俳優というのは、ひとつの作品でやった役でおしまいなわけではありませんからね。だからぼくは、自分の漫画で、そういうことを描きたかった。それがぼくのスター・システムです。…(後略)


読みどころ:


 代役専門の天才役者、その名も"七色いんこ"。氏素性は一切謎でありながら、演技の腕は超一流、そんじょそこらの役者には引けを取らないばかりか、彼が代役をつとめた舞台は必ずといっていいほど成功を収めます。ところが、この"七色いんこ"、実は劇場専門の大泥棒。自分が出演した劇を見に来たお客から盗みを働くのが、いんこの稼業だったのです。
 一話完結、連作短編形式のこの『七色いんこ』、各話、ストーリーとサブタイトルがそれぞれ戯曲の名作にちなんだものとなっていて、その時々に劇の登場人物を演じるいんこの名演技がひとつの見どころですが、ここでご紹介する「幕間」はその名の通り、いわば劇と劇の間の休憩時間。いんこも舞台に上がらずに幕間らしくほっと一息…つくはずが、とてもほっと一息なんてつけないばかりか、とんだドタバタを演じることになります。
 すぐ前のエピソード「ピーターパン」で麻薬密輸団から大金をせしめ、追っ手から逃れるために秘密のアジトに逃げ込んだいんこの元に、妙な流し目をした小さな犬がやってきて、何度追い出してもしつこく付きまとってくるのです。
 「幕間」と銘打ちながら、このシチュエーション、作中でいんこも言うとおり、ゲーテの戯曲『ファウスト』の冒頭場面に良く似ています。ここでいんこに付きまとっていた犬、玉サブローはこの後、まさにメフィスト的な抜け目のなさで、ちゃっかりいんこの飼い犬というか相棒というか…、むしろ居候におさまり、『七色いんこ』のレギュラーキャラクターとして定着してしまいます。






 犬ながらに演技の達人、流し目でオスのクセに妙な色気があって、おまけに酒乱…強烈なキャラクターを持った玉サブローは、『七色いんこ』を語る際には忘れられない、重要なマスコットキャラクターですが、この玉サブローのデビュー作といってもいいこの作品に、手塚治虫が3度も漫画化し、生涯愛してやまなかった『ファウスト』がモチーフとして選ばれたのも、興味深いところです。
百物語

解説:

 「百物語」は 1971年7月26日号〜10月25日号 『少年ジャンプ』に連載された作品です。

読みどころ:


 ゲーテの名作「ファウスト」をこよなく愛する手塚治虫は、生涯に三度、「ファウスト」の漫画化を試みています。一番初めが、そのものずばり「ファウスト」という作品。こちらはメフィストフィレスがかわいい黒い犬に描かれるなど、少年向け。一方、晩年に描かれ、まさに絶筆となった「ネオ・ファウスト」は大人向けのハードな作品。セクシーな女性のメフィストに、学生運動、新興の総合商社などがドイツ古典の素材を見事に現代劇に味付けしています。
 以上の二作品もいずれも読み応えのある作品ですが、やはり一番読みやすく、マンガらしくもあるのはこの「百物語」であろうかと思います。
 題名こそ「百物語」とありますが、こちらも「ファウスト」を翻案にした作品。ただし、舞台は戦国時代の日本。重要キャラクターのメフィストも、妖怪(?)の少女「スダマ」として登場します。


 読んでみればすぐに分かると思いますが、日本の乱世と「ファウスト」の世界観というのは、意外なほどに親和性が高く、それぞれのキャラクターがぴったり、その役どころにはまって生き生きと動いています。それのみならずもとの重々しい各キャラクターを皮肉にひねくって、いかにも日本風にコミカルに描き変えていているところも魅力のひとつ。ファウストが恋焦がれる「究極の美女」はなんと妖怪狐の玉藻の前、ワルプルギスの夜はそのまま手塚版百鬼夜行絵巻となり、人生に絶望して毒を仰ごうとする偉いファウスト博士は、上役の汚職に巻き込まれて詰め腹を切らされるあわれな勘定方・一塁半里と姿を変えます。 


 思うに「百物語」は、舞台を日本に持ってくると同時にファウストの哲学的な悩みや苦しみをもっと形而下的な問題に——要するに卑近で生々しい姿に描きかえることで、元ネタを愛するがゆえに面白くパロディして、おちょくってやろう、という意図が一番よく出た、それゆえにマンガの魅力が最大限に引き出されたマンガ版「ファウスト」なのではないでしょうか。
ブッキラによろしく!

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『ブッキラによろしく!』2 あとがきにかえて より)
 「ブッキラによろしく!」は、TV局、ダメ女、グレムリンの三つをくっつけて考えたものです。
 本来は「グレムリン」みたいな妖怪SFものにするつもりだったんですが、それにTV局のアイディアを入れて、「ばるぼら」のようなダメ女を出したんです。三つ目のようなダメ男はずいぶん描きましたが、ダメ女は少なかったでしょう。なぜダメ女を出したかというと、スリラードラマに出てくる女性はたいてい、キャーキャーこわがるくせにわざわざこわい所に行ってみる。バカというか単純というか、そういう世間知らずのくせに何かと首を突っ込みたがる女の子を出したら面白いんじゃないかと思ったんです。


読みどころ:



 東西テレビで売り出し中というタレントの根沖トロ子はとんだダイコン。時代劇に出ても、クイズ番組に出てもろくな演技ができないどころか、酷い失敗ばかりをしています。そのくせテレビ局の人々は、そんなトロ子をやけに大切に扱います。トロ子のようなイモタレントをどうしてそんなに大事にしているんだろう? 疑問に感じた三流ゴシップ誌「クロスカウント」の記者、間久部緑郎ことロックが根沖トロ子の秘密を探りはじめます。ロックがやっとトロ子から聞き出したのは、13号スタジオに住み着いているという「ブッキラ」のこと。ブッキラは何と小さな妖怪で、13号スタジオで番組を収録するときは「恋人」のトロ子がいないと、彼が決まっていたずらを働くというのです。


 タレントどころか、何をやらせてもダメなトロ子ですが、性格はかなりしたたかで、あのロックですらたじたじ。ハム・エッグ演じる番組プロデューサー・仁古見宇呑をゆする初登場時こそ『バンパイヤ』の間久部緑郎らしい雰囲気をかもしていたあのロックが、トロ子と行動するようになってから、どうにも三枚目に落ちてしまうのだからたいしたものです。


 勇敢でかわいらしいブッキラ、可憐で小さいのに頼りになる、と言うところはアトムやレオを彷彿とさせますが、ブッキラのくしゃくしゃ頭とどんぐり眼は、前回ご紹介した『ルードウィヒ・B』のルネの小さいころにも似ているのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?


 ザザプトン先生の妖怪の学校、日本の妖怪を操る謎の男やブッキラの正体、トロ子とロックのその後についてなど、いろいろなドラマが期待できる作品ですが、残念ながらこれも途中で打ち切りとなった作品です。
鉄腕アトム アトム大使

解説:

 アトムはもう足かけ十年ちかく書いています。わたしの作品の代表のように言われています。でも、アトムをさいしょ書きはじめたときはまさかこんなにつづくとは思いませんでしたし、またアトム自身、物語の主役ではなかったのです。
 「ジャングル大帝」をM誌に連載しているとき、光文社の『少年』の編集長の金井さんから、なにか冒険科学ものを書いてほしいとご注文がありました。それで、さいしょ原子力と未来の世界をあつかった「アトム大陸」という連載をかんがえたのですが、金井さんにお見せしたら、むずかしすぎるとのこと。それまで単行本をおもにかいていたわたしにとって、雑誌の読者は、どうも勝手がちがうようでこまりました。…(中略)…おもったとおり、さいしょにかいた「アトム大使」はふくざつすぎて、よくすじがわからないというひょうばんでした。それで、つぎに「鉄腕アトム」というタイトルで、アトムをあらためてかつやくさせることになりました。…(後略)


読みどころ:



 原作の設定上では、2003年4月7日に誕生した鉄腕アトム。誌面上のデビューはいつだったのかというと、1951年『少年』4月号で連載が始まった『アトム大使』という作品です。今日0歳の誕生日を迎えたアトムは、実は62年のキャリアを持つ、押しも押されもせぬ大御所中の大御所スターでもあるのです。


 講談社版手塚治虫漫画全集では、このエピソードは『鉄腕アトム』の第1話として収録されていますが、アトムを主人公とする一連の『鉄腕アトム』の諸ストーリーと比べてみるとこの『アトム大使』は若干異質で、連載第4回でやっと登場するアトムも、まだ脇役然とした控えめの演技を見せています。


 そんなところは『鉄腕アトム』から先に読んだアトムファンにとっては物足りない部分となるかもしれません。しかし、それもデビューしたてだったアトムの初々しさと思えば、また微笑ましく、趣き深いところとなるでしょう。


 『アトム今昔物語』などではハム・エッグが演じる、アトムが所属していたサーカス団の団長が、ムッシュウ・アンペア演じる幾分紳士風のキャラクターになっているなどの変更があるほかは、アトムを取り巻く登場人物たち——ケン一君やタマオ、シブガキ、ヒゲオヤジやお茶の水博士、そして天馬博士といったレギュラーメンバーは、この作品でもその顔を観ることが出来ます。
勇者ダン

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『勇者ダン』あとがき より)

  ぼくには動物を主人公にした物語がやたらにあります。「ジャングル大帝」のライオンをはじめ、犬、猫、ネズミ、兎、狐、象、イルカ、鳥、魚、虫にいたるまで。トラはこの「勇者ダン」と「タイガーランド」。それにテレビの「プルルくん」。
  トラは陸上の猛獣ではいちばん強いのだそうです。インドにはかつてライオンが群棲していたのが、トラのために絶滅においやられたのだという説があります。トラは大好きですが、あの絵をかくのがやっかいなために、漫画、ことにアニメでは、あまり登場はしておりません。
  「勇者ダン」はまた、アイヌを主人公にした物語です。ぼくはアイヌをきわめてロマンチックに北方の果敢勇壮な民族としてあこがれていたのです。しかし、あとで悲惨な歴史と現状を知り、深く反省をしました。だけどコロポックルをはじめとして、アイヌの神話や伝承は大好きです。
  「勇者ダン」は、「白いパイロット」に続いて、「少年サンデー」に載ったのですが、最初から読者の反響が悪く、しかも締め切りが遅れっぱなしで、ついにこの作品のあと、しばらく干されるハメになりました。
  ぼくは、何度も仕事のうえで好調のときとドン底のときとをくり返していますが、「勇者ダン」の頃はやはり全体に低調で、自分でも方向を模索していた時期です。その原因は、やはりラジカルな劇画の台頭のためでしょう。

読みどころ:


「勇者ダン」は、「週刊少年サンデー」の昭和37年7月15日号から12月23日号まで連載された作品です。両親と生き別れたアイヌの少年・コタンと、動物園に送られる途中、列車事故によりオリから解き放たれたトラ・ダンがコンビを組み、隠されたアイヌの財宝を探して冒険する物語です。
 この作品はやはり"トラ"でしょう。「ジャングル大帝」のレオを例にあげるまでもなく、動物、そして猛獣の描写を得意とする手塚治虫ですが、「勇者ダン」におけるトラのキャラクター・ダンの力強さとボリューム感は、シンプルな線で描かれているとは思えないほど"トラ"のそれであり、体毛の柔らかさまで感じ取れます。ビデオもない当時のこと、当然資料も少なかったかと推測されますが、ここまでいきいきとした描写がどうやってできたのか、不思議です(作品冒頭でオリから放たれたダンの躍動感!)。





 ストーリーの方は、悪の組織との財宝争奪戦がメインで、当時の少年漫画としては良く使われたパターンです。作品後半、財宝の隠し場所を発見したあたりからは、後のヒット作「三つ目がとおる」めいてくるのも興味深いところ。
 設定については、コタンにトラ柄の帽子とマフラーを着けさせたり、ムチを持たせたりと、受ける要素をもりこもうとあがいた後もありますが、煮詰めきれていない感があるのは、やはり「模索していた時期」の作品という事なのでしょう。


初めて読む人も、再読の人も、手塚治虫の作品年譜を片手に読んでみると、新しい発見があるかも…?