虫ん坊

第69回企画展 マルチクリエイター 松本かつぢの世界展

2016/09/21

マルチクリエイター 松本かつぢの世界展

「リボンの騎士」が発表されるもっと前に、ストーリーのある少女漫画があったのはご存知ですか?手塚治虫よりも前に、締切りが迫り、編集者が泊まり込んで、当の本人は捻り鉢巻きで徹夜をしながら漫画を描いていました。

松本かつぢ----1904(明治37)年、神戸市に生まれた彼は、抒情画家としてデビューしたのち、雑誌に漫画の連載も始めました。またその一方では、童画の絵本を描いていたという、戦前から昭和にかけて活躍したマルチクリエイターでした。彼の描いた作品を目にしたことは多々あるのに名前を知らないのは、マルチ過ぎた故にどの分野にも属さなかったからかもしれません。

今年は松本かつぢが亡くなって30年になります。これを機会に、兵庫県出身の偉大な作家の活躍をぜひ知ってください。


○主催:宝塚市・宝塚市教育委員会
○後援:Kiss FM KOBE/エフエム宝塚
○協力:松本かつぢアート・プロモーション/弥生美術館


○会 期:2016(平成28)年10月28日(金)〜2017(平成29)年2月20日(月)
○休館日:毎週水曜(2016年11月23日と2017年1月4日は開館),12月29日〜31日


<松本かつぢ プロフィール>
本名 松本 勝治。
1904(明治37)年7月25日、神戸市相生町生まれ。

父親の仕事の都合で小学校4年生の終わり、1914(大正3)年に一家で上京し、神田猿楽町に住むようになる。
立教中学在学中、家計を助けるためのアルバイトとして雑誌のカットを描いたのがきっかけとなり、立教中学を中退して川端画学校へ入りデッサンを学んだ。
1928(昭和3)年頃から本格的に挿絵画家として活躍。少女雑誌で圧倒的な支持を集め、中原淳一と人気を二分した。

1938(昭和13)年には少女漫画の先駆けである「くるくるクルミちゃん」を発表。掲載媒体を換えながら35年に渡って描き続けられた。またクルミちゃんは次々とグッズ化され、キャラクターグッズの元祖ともなった(ニセモノが出回るほどの人気ぶりだった)。
戦後はマルチな画才を生かして童画や絵本の分野にも幅を広げる一方、ベビーグッズの企画・制作にも本格的に取り組むようになった。
1970年代前半に静岡県中伊豆へ移住、晩年をそこで過ごした。1986(昭和61)年5月13日、永眠。

なお、弟子には上田トシコ、田村セツコがいる。


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