虫ん坊6月号は、皆様からいただいた、「読者レポート」を2本、ご紹介いたします! まずは、手塚治虫ファンクラブの会員でもある田浦紀子さんからいただきました、手塚先生の母校・北野高校で開かれた手塚先生のお友達による講演会のレポートをご紹介いたします。 (以下文/田浦紀子さん) |
4月9日(土)、手塚先生の母校・北野高校で、「六稜トークリレー」が開催されました。今回は「鉄腕アトム」の誕生日に合わせて、手塚先生と同期の岡原進さんが講演されるとのこと。虫プロ第1作『ある街角の物語』の同時上映もあるということで、早くから楽しみにしておりました。事前に新聞やラジオ等で講演に関するニュースがあったためか、私達が会場に着いた時は100人を超す聴衆でにぎわっていました。 |
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岡原さんが手塚先生に再会したのは1961年の同窓会。「どうも、どうも、元気?」 と声をかけてきた手塚先生は北野時代からは想像もつかないくらい背が高くなっていて、岡原さんはびっくりされたそうです。翌年、岡原さんは奥様とご一緒に富士見台の虫プロを訪問。そこでちょうど制作中だったのが『ある街角の物語』。作品の後半で100枚以上の独裁者のポスターが行進するシーンがありますが、手塚先生は「これが出来ればこの作品は完成するんだ!」と熱をこめて語っていらっしゃったそうです。その独裁者の顔が陸軍少将だった岡原さんのお父様に似ている、と岡原さんが手塚先生に言うと、 「ああ、岡原閣下もハゲてたなぁ」と二人で笑いあったとか。 『ある街角の物語』ですが、改めて見るととてもいい作品ですね。テレビがモノクロだった時代にフルカラーで、ここまで綺麗な色合いのアニメ表現が出来たことは素晴らしいと思いました。そして、随所に手塚先生のアニメーションへのこだわりと手塚的ペシミズムを感じました。最後に1枚だけ独裁者のポスターが残っているのはどういう意味なのか? しかし、残念ながらこれを見ながら手塚先生とこの作品について語り合うことは無かったと言います。 |
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『教育大阪』の取材の折、話の中で手塚先生はこう言われたそうです。「耕されていない荒地を歩くのが好き」と。戦後ストーリーマンガとアニメの先駆者として常に 第一線を走ってこられた手塚先生のスピリットを強く感じさせられる一言でしょう。 |
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