「三百坂」は、手塚治虫の曾おじいさんである手塚良庵が登場する作品、『陽だまりの樹』の第一話のタイトルにもなっているところです。
「江戸小石川、伝通院裏に、人呼んで三百坂という路地があった。本来三貊坂(さんみゃくざか)という地名であるのに、なぜ俗にこう呼ぶのかはわけがあった。(手塚治虫『陽だまりの樹』第一巻より)」
なぜ三百坂と呼ばれるようになったのか?『陽だまりの樹』の中では、大名、旗本たちの登城が始まる時、「早駆けぇ」の一言でお供たち(徒侍)はその坂を駆け上り、殿のカゴについて来られなかった者、落伍した者は三百文徴収されていたから、とされています。
桜が咲き始めた暖かい3月某日、私は水道橋から伝通院を目指して歩き始めました。今の街並みは遊園地、オフィスビル、レストランが立ち並び、ほとんど江戸時代の面影は残っていません。
歩くこと30分、伝通院前の交差点を右へ。そこには表通りとは全く別の世界がありました。この裏に目指す「三百坂」があるのだ、と、まず桜が咲き誇る伝通院へ。綺麗に整えられた庭には、きっと江戸時代からここにあるものが沢山あるのでしょう。ここの桜を良庵や万二郎が眺めたのかも知れません。
伝通院の前にあった地図を見て、いざ「三百坂」へ。でも、みつからないんです…。
地元の方と思われる方々にお聞きしても「三百坂?」「この辺は坂が多いから」とご存じではない様子。とても不安に駆られたのですが、地図にあったのだから大丈夫! と歩き回って発見した「三百坂」の案内板。でも、そこは平坦な路地。どこにあるの? 坂は? と、またまた一人混乱。案内板の界隈をさらに歩き回り、小学校を左に曲がったところにようやく坂らしきものを見つけました。当時の「三百坂」とは違う場所なのかも知れませんが、江戸時代当時のロケーションに近い雰囲気の場所でとりあえず記念撮影。『陽だまりの樹』に出てくる絵よりもかなり現在は道幅が狭くなってしまっているようにも思えます。
写真をご覧になっていただくとお分かりになりますが、このコーナーの案内役(出演者?)はスパイダーとヒョウタンツギ。現在は近代的な住宅地といった感じで、ここを本当に当時、大名のお供たちが走っていたのか…良庵はどこで万二郎を見物していたのか、今となってはまったく別の場所にも思えてきます。
現在の「三百坂」界隈は、緑多い住宅地で、学生も行き来する、のどかなところでした。