今年も早や12月を迎えました。思い返せば2001年、この晴れがましい21世紀の幕開けを、私はお台場あたりの年越パーティで「ビバ☆21世紀〜!」などと明るく無邪気に踊って迎えたもんでした。そんな2001年も、いまや明るく無邪気に振り返れない状況となってしまいました。
 9月11日のあの出来事をキッカケに様々な問題が頻発して、私ならずとも世界中の人たちが無邪気ではいられない事態を突きつけられたわけです。今年の始めまでは、21世紀になった途端に何かが変わるワケじゃなし、結局は日常の延長上に未来はあるもんだと、何も変わらない2001年を達観していたものでした。けれど今となっては、人類が地球上で文明を重ねてきた延長上には、急激に社会を崩壊させてしまう亀裂が生じていた事も実感することになりました。同時に人間が本質的に持っている残酷さや愚かさを、あらためて突き付けられた気持ちです。今なお「報復」という正義のフラッグのもと、ウサン臭い報道の裏側で数多くの戦争犠牲者を出し続けていて、また「安全宣言」で終結したかのような狂牛病は、実際の病気そのものが未解決のままです。誰かの利害を図るうえに犠牲を払うのはいつも無関係な生命です。
  そういえば今年公開されたスピルバーグの映画『A.I』は、わりと私の中では印象的というか、2001年を象徴する作品だったような気がします。手塚ファンなら誰もが感じたように、やはり映画を観ていて「あ、アトムじゃん」と思う部分はかしこでありましたが、むしろ『A.I』は手塚の描いたアトム以上にアトムの主題であった“人間の本質”を、よりリアルにグロテスクに表出させた作品だったように思います。それだけに観ていて辛くて涙が止まりませんでした。決して「主人公が可哀相!」といった類の涙じゃなく、ただあまりに愚かで残酷な人間の姿に胸が痛んで泣けたのです。果たして人類に救いはあるのか?まさにキューブリックのドープな哲学に魅せられたとも言えますが、その経験はそのままテロや戦争といった出来事にもリンクしてゆきました。
 この2001年を振り返り、「20世紀のツケが回ってきた」と総括するのは簡単です。ツケとは実に都合のいいシステムで、その場しのぎが習慣になった人類は、今まさに長年の請求書を突きつけられオタオタしながらも、それでも2002年をカウントダウンしなければなりませんね。
さて、最後に手塚の『ガラスの地球を救え』からこんな一節を…。
「…ひょっとするとこれまでもいまも、人類はまだ野蛮時代なのかもしれないと思うことがあります。
たとえ月着陸を果たし、宇宙ステーション建造がどんなに進もうと、環境汚染や戦争をやめない限り、“野蛮人”というほかないのではないでしょうか。…」 果たして“野蛮人”に救いはあるのでしょうか? (了)

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