運動会というものから縁遠くなってどれほど経つだろう。結婚して子供でもいる身なら、この季節はそれこそハンディカムVのコマーシャルの如く、グランドで一喜一憂の状況もあったかもしれない。けれど実際の生活にいたっては、もはや「運動会」という単語さえも日常的に使わなくなって久しい。ましてや「運動」と呼べることさえ最近は殆どやっちゃいないし…。ちょっと駅の階段を駆け登るってだけでも息が切れてヘロヘロ。 そう考えると、同年代のお父さんお母さん方は、この時期お子さまと同レベルで徒競走やら綱引きやらに駆り出されてて、本当にご苦労なことですね〜ぇ。 さて、私の「初めてのおつかい」ならぬ「初めての運動会」は、まだ私が幼稚園にあがるかあがらぬかの頃、虫プロダクションの大運動会に参加したってことがソレにあたる。 あまり記憶にはないんだけど、アルバムの写真からすれば、それは1969年10月10日の出来事のよう。その頃の虫プロは毎年「体育の日」になると、社内恒例行事として、豊島園のグランドを借り切って大運動会を催していたのだ。参加者は虫プロ社員とその家族。肝心の手塚本人は写真にまったく残ってないんだけど、主催者不在の行事だったとしても父の場合はありがちなコトだったろう。 運動会の中身と言えば、リレーや綱引きや障害物競走といったお決まりの競技メニューをはじめ、虫プロならではのユニークな仮装行列というのもあった。アルバムには「どろろ」の百鬼丸に扮した社員(誰?)が忍者達とチャンバラをやってるシーンがある。まさにコスプレの走りともいえる光景だ。私はといえば、綱引きと「飴玉探し競争(正式にはなんて言うの?)」に出場している。 「飴玉探し〜」はパン食い競争に並ぶメジャーな食い物ゲームで、小麦粉の入った箱の中から手を使わずに飴玉を探し当ててゴールするという、東京フレンドパークの関口さんもご満悦な、観客ウケ狙い一番の徒競走だ。案の定、私は顔半分を白く粉々にしながらも、飴玉を(この時は飴玉じゃなくマシュマロを使ってた)めいっぱい口にほおばりゴールしている。まあ、当時からお転婆だった本人にすれば、これはこれで誇らしい姿ではあったんだろうけど、今にして見ればなんともトホホな姿である。 こんな写真を見るにつけ、自分はやっぱりピノコのモデルだったのかもな〜…と思ってしまう。 運動会というものを思い返してみて、今一番に懐かしくなるのはお弁当の時間だけだ。 秋空の下、グランドの木陰にピクニックシートを広げ、その上に並べられる母の手作り弁当。銀紙に包まれたオニギリやら色んなオカズが詰められていた三段のお重箱やら果物が切って入った容器など。同じお弁当でも遠足や土曜の学校に持ってゆくのとは豪華さが違うだろう。 それだけに運動会のお弁当ってのは子供心にもスゴーく楽しみだったし、何よりピクニック気分を満喫できるってのがワクワク嬉しかった。 このトシになって子供と同レベルで走る云々はカンベンしてくれ!と思う運動会も、あの家族団欒なお弁当タイムだけはあってもいいかもな〜なんて思う。ドロンコのままでオニギリをほおばる。そんな豪快さが懐かしい、この季節でした。 (了) |
ベアを作ったのは、関澤洋子さん。Bear Country Yoko®というご自分の工房をお持ちです。『リボンの騎士』は小さい頃から親しんでいて、一番印象深い作品とのこと。サファイヤの女の子らしくないところに共感があったそうです。 実際にテディベアとして作品化しようと考えられたのも、『リボンの騎士』が一番お好きだから。アトムなどのグッズを見て、いつかは作ってみたい、と考えられていたそうです。 実際にテディをるみ子さんにお渡ししてのご感想をお聞きしたところ、 「喜んでいただけるかどうか不安でしたが、お渡しできてうれしいです」 とのこと。 受け取られたるみ子さんは、「テディベアと聞いていたので、こんなにスタイリッシュなものだとは思わなくて、びっくりしました」とおっしゃっていました。 色なども原作に忠実に再現するため、カラーの本を参考に布を選んで作られたテディベアのサファイヤ。ブラウスやマントの素材など細部にもこだわりが。最も苦労されたのは帽子とリボン。 |