秋になると、好きな行事とキライな行事の両方が巡ってきます。
 好きなのは、文化祭。あのお祭っぽい感覚が、たまらない。
 ぼくはイベント大好き少年だったんです。あちこち見て回るのも楽しかったけれど、自分で企画するのが面白くて、芝居や展示会、スライド上映など、いろいろやりました。
 一方、苦手だったのは運動会。
 なにしろ、スポーツ大キライでした。
 普段でも体育の授業はおっくうで、前の日から気が重かった。成績も体育がサイテー。それが運動会って、全校で一日中体育をやらされるようなモノでしょ。風邪でもひいて休めたらいいのにっていつも思ってましたね。
 チビで身体が弱かったって理由もあるけど、それより勝ち負けがあるのがイヤなんです。 ぼくは人と争うのがキライ。
 人とケンカしない。夫婦げんかだってしたことないもの。
 スポーツって、球技でも競技でも、だいたい競い合いじゃないですか。競うぐらいなら相手に譲っちゃう。たかがゲーム、と思うかもしれないけれど、そのゲームってヤツがダメなんです。(だからコンピューター・ゲームもまったくやらない!)
 力の競い合いって、どうして人間に必要なのかよく分かりません。どっちが強いか、どちらが勝って相手が負けて、そんなことでどんな豊かさが生まれるのか。
 人間同士の心の絆なら、争わなくても得られるのに。
 健康のための運動とはいえ、争いはやっぱり争い。闘いのための闘い。
 ヒトに闘争本能があるのは自然の理としても、それを育くむ努力をなぜするのか?
 結局のところ「戦争」っていうでっかい運動会に繋がるだけじゃないの? ってひねくれてました。でも、ずっとそう思ってます。「戦争反対」って言うのはたやすいけど、誰ともケンカしない、争わないでいられる?
 今も、スポーツは苦手。見るのもやるのも。自分ひとりで運動する −たとえば水泳とかマラソンとか −なら平気なんですが、相手がいたり勝ち負けが関係してくると、もうダメ。イチ抜けた。
 きっと手塚治虫もスポーツ苦手だったのでしょう。だから友達が少なくて、だから漫画を描くしかなかったのかも。ということは、漫画家・手塚治虫が生まれたのはスポーツができなかったから、とも言える。もっともぼくと違って、父はスポーツ観戦は好きだったようですけどね。
 ヴィジュアリストとしていろんな仕事をやってきましたが、さすがにスポーツの仕事はしないだろう、とタカを括っていたら、なんと競技大会の演出をやらされた。今年(2001年)5月に開かれた、東アジア競技大会大阪大会の開会式。大阪ドームで、たくさんの選手たちに囲まれて、なんだかヘンな気分。

ヴィジュアリストとしての手塚眞の活動やエッセイが読めるのはこちらです。
よかったらどうぞ。
http://www.neontetra.co.jp

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