すでにご覧になった方も多いかと思いますが、6月25日に創刊された雑誌『コミック伝説マガジン』に、手塚プロダクション制作の新作漫画『鉄腕アトム』が掲載されています。今回、この『鉄腕アトム』の作画スタッフであり、手塚先生の元アシスタントである野村正さんに、作品についてのお話やアシスタント時代の思い出などをお聞きしてきました。現在、野村さんは『月刊碁ワールド』(日本棋院)にて「悟空の囲碁修行」を執筆中です。
―まずは野村さんのご紹介もかねて色々とお聞きしたいのですが、手塚プロにアシスタントとして入社したのはいつ頃になるのですか?
野村:
82年です。当時は『陽だまりの樹』の連載中でした。
―では作画に関わった作品は『陽だまりの樹』あたりから…
野村:
そうですね。『陽だまりの樹』とか『アドルフに告ぐ』とか…『アドルフに告ぐ』は入社してから2年目ぐらい。あれは3年ぐらい連載が続いたのかな。だから僕の漫画の技術の成長はそれとともに(笑)。勉強させてもらいましたね。最初は小さいコマや基本的な線の描き方から始まって、だんだん大きなコマをやらされるようになって。
―そもそも入社のきっかけは何だったのですか?
野村:
最初はね、地元で他の仕事をしながら、少しずつ自分の漫画も描いていたんだけど、 それがちょうど出来あがった頃に、偶然喫茶店で読んでいたチャンピオンの『七色いんこ』 の一コマにね、「アシスタント募集」って冗談めかした感じで入ってたの(笑)。 あの頃は、先生が締め切りをちゃんと守った時に…まあ守らないんだけど(笑)、たまに 予想以上に早く原稿が上がったりすると、編集の人が「どうぞ一コマ使って募集をかけて 下さい」っていうのがあったのね。先生ぐらいだよね、そんな事させてもらえるのって。 それで、面接を受ける事になったんだけど、前日になると「延期」の電報が来るの。それが3回ぐらいあったかなあ、繰り返し延期になっちゃって。入社した後でわかったんだけど、それは先生の仕事の都合だったんです。
―じゃあ先生から直接面接を受けたんですか?
野村:
そう。最初は島方さんっていう、当時の手塚プロの社長と面接してたんだけど、始 まって15分ぐらいしたら突然先生が現われたの。僕らは全然知らなかったから、ビックリして。それで、その時は5人面接を受けていて、社長は「採用される人とされない人がいるかもしれないけど、その辺は…」とか言ってたんだけど、先生は既に自分の中で決めちゃっていたらしくて、どうも全員採用するような話をするんだよね(笑)。
―その後ずっとアシスタントとして色んな作品に関わっていくわけですね。『陽だまり』や『アドルフ』以降の作品も。
野村:
いっぱいあるよ。『ミッドナイト』とか『牙人』とか…当時チャンピオンで唯一少年マンガを描いてたけど、あまり人気が無くて、先生も悩んでいたみたい。僕らにも「どういう風にしたら面白くなるだろうね」って真面目に訊いてた。僕らは先生の事を神様みたいに思っていたから、どうしても遠慮して機嫌を損ねないような事を言っちゃうんだけど、思っている事を正直に言えば正直にとってくれる人でしたね。言いにくい事ももちろんあるんだけどね…「面白くない」とか(笑)。でも皆だんだん正直に話すようになって。 『ブッキラによろしく!』の時も、アシスタントの意見を聞いて路線変更をした途端、編集部に「もう終わりましょう」と言われて、ガッカリしてたね。 青年漫画はいいんだよね。ストレートにかけるから。あと一番やりやすいって言ってたのは幼年漫画。『アトムキャット』とか面白かったから続いてほしかったんだけど。
―ではそろそろ今回のアトムの話をお聞きしたいんですが。今回は3名のスタッフで作画されているんですよね。
野村:
そうです。元アシスタントの清水さんと、猪ノ口さんと、僕の3人。おおまかな担当部分は、清水さんがストーリーとキャラクターで、僕が背景の下描きをして、猪ノ口さんにペン入れと色付けを手伝ってもらいました。
―作品の内容的には学年誌向けに近いですね。
野村:
今回の作品は、もともと清水さんが10篇ほど、新作として描きためていたものなんですよ。でもなかなか掲載する媒体が無かったんだけど、編集部からOKが出たという事で『伝説マガジン』に掲載する事になったので、その中から3篇を選んで完成させたんです。
―作画にあたって気を使った点などはありますか?
野村:
一応、絵柄に合うような背景を描くようには気をつけましたね。昔のアトムと、今の漫画の中間ぐらいを狙って描いてみました。あんまり未来未来しているのもダメだし、かといってあんまり古臭いのもダメだし。
清水さんは手塚先生に似せて描くのが上手いんですよ。僕らは「これ以上くずして描くと先生の絵から外れちゃう」って思うから、ついセーブしちゃうんだけど、清水さんはくずして描いても似てるんだよね。勢いで描くタイプですね。
―最後に、先生との思い出話とかあったら聞かせてもらえますか?
野村:
うーんとねえ…疲れがたまりすぎて、僕の眼の血管が切れやすくなっちゃって、充血していた事があったんです。その時の手塚先生の第一声が「どうしたんですか?漫画が描けなくなりますよ!」って。「見えなくなったら困りますよ」とかじゃなくてさあ(笑)。
―(笑)それは先生らしい、というか、先生なりの心配なんですね。
野村:
そう。先生はどんな事をしても漫画を描く、っていう人だったからね。先生が入院していた時も、医者から止められているんだけど夜中の2時3時まで原稿描いていて、僕らは半蔵門病院の裏門から入って原稿待ちしていたなあ。医者に見つかるとうるさいからベッドの下に原稿を隠したりして。病室で原稿を描いている時の姿は鬼気迫るものがありましたね。 それから、アシスタントを集めて漫画教室をしてくれた事もありました。半年か1年に1度、忙しい中でもたまに時間が空くんだけど、そんな時いきなり「やりますから」って。漫画への取り組み方とか、読みやすいセリフの文字数とか、大まかなところから細かいところまですごい熱弁で教えてくれました。最初の1、2回は自分の人生観とか漫画に対する情熱とかを語ったかなあ。「直接は語りませんが、2年か3年私の仕事のやり方を見て学んで下さい」って言ってましたね。 あと、先生はアシスタントが色紙を持っていくとキレイに描いてくれてね。その場で描くんじゃなくて、ちゃんと鉛筆で下描きとって。それでさ、消しゴムは自分でかけなきゃいけないの。「下描きは自分で消して下さいね」って(笑)。
―漫画部ならではのお話ですね(笑)。今日はお忙しい中をどうもありがとうございました。

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