そういえば、子供のころはおっきなコイノボリが庭にあったっけ。
五月になると、まず池の隅にコイノボリ用の柱を立てるんですが、これが大仕事。
木の柱で、たぶん5メートルくらいあったんじゃないかな。
もちろん子供のぼくは非力だから、とても扱えない。家族や父のスタッフが何人かでヨイショっと立てるんですね。
ウチの庭は、けっこう大きかったんですよ。野球ができるというと大げさに聞こえるかもしれないけれど、じっさい父親のスタッフたちはそこで野球をやっていた。
昼には隣のスタジオ(虫プロダクション)からスタッフたちが休憩に出てきて、お弁当を食べたり日向ぼっこしていたものです。
一面の芝生と、それを囲むように杉の木がたくさん植わっていて、花壇と、池がふたつ。丸い砂場もありました。
いまとなっては実際の大きさはわからないのだけれど、子供にとってはちょっとした公園ぐらいに見えていた。杉のあったところなんて林のようで、隠れんぼにはちょうどいい。 だからぼくは外には遊びに行かず、ほとんど庭で遊びまわっていましたね。
ひとつの池はかなり大きくて、普段はコイなんかが泳いでいるのだけれど、夏は魚に引越してもらって、プール替わりに使ってました。
ところが、ぼくはよくこの池に落とされていたようなんですね。
当時、父のところに通っていた雑誌の編集者が、今になって何人も告白するんですよ。仕事のことで父に悔しい思いをしたあげく、思い余って子供のぼくをつき落としたって。ひどい話です。それこそ親の因果が…って奴ですね。おかげでぼくはそのあとしばらく、水が苦手になって、プールでも泳げない少年でした。
庭で父と遊んだ記憶はあまりないんです。
正月なんかに、たまに家族で庭に出て、羽根つきをやった程度かな。だからお父さんとキャッチボールとか、スモウを取るとか、ウチではほとんど考えられなかった。
恐らく父親の少年時代も、同じだったんじゃないかな。静かな住宅地に、大きな庭と、スポーツの苦手なやさしい父親。しかもぼくのまわりは父親と祖父を除けば女性ばかり。 するとなんだか女々しい少年に育つのですよ。
でも、家に庭があるのって、子供にとっては大事かも。
まず、土に触れられるでしょう。それから、虫やらトカゲやら、生き物がいる。小さくても、そこは自然を感じ取れるところ。ヒトは子供のうちから、身近に自然を感じていた方が、絶対いいと思いますね。
広さは問題じゃないんです。ちっこいスペースだって、子供には大きな夢の世界だから。
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