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三汐 さん
【虫ん坊投稿】手塚大人漫画ドキドキ編 ばるぼら
2011-08-02 19:32:25

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ばるぼらは女神である。彼女が求めるのは、人の才能なのである。才能というと別漫画を思い出させるが、ばるぼらはその人間に擬態する=才能を取り込む、訳ではなく、ただ才能を開花させようとする人間が大好物なのである。だから人間が芸術に盲目的に打ち込んでいる時には、その人間を結果的に助ける事=現実的な雑事から解放する、という様な事をやらかす。入れ込んだ人間が才能を花開かせると、彼女は小汚いフーテンから美しい女に変貌する。これは、芸術家=作家の美倉、の作り出す芸術という栄養をせっせとばるぼらに送り続けた結果なのだろう。だから、美倉が芸術を忘れ現実的になると、ばるぼらは元の姿に戻るのだ。(ちょっとこの辺は漫画の神様の描写の行を彷彿とさせる)ゆえに、彼女が見放したから才能が無くなるのではなく、実は才能が枯渇して来たから見放されるのだと思う。神とはそもそも人間に永遠=後世に残る芸術、を与える代償としてその後の個人としての幸せを奪うのである。これは、月の女神がエンディミオンを愛した時、彼に永遠(の美)を約束する代償として、永遠の眠りに就かせた、と言うのと同じ図式だ。神話の類いを例に取るまでもなく、現代でもオリンピック選手に金メダルの代償として寿命を縮めても構わないか?との質問に、大多数がOKするのを見ても人間とは永遠=栄光、を手に入れる為には、破滅も厭わない生き物なのだと改めて考えさせられる。ゆえに彼女=女神、に対する人間の信仰はこれからも決して衰える事は無いに違いない。しかし、現実的に考えると単に彼女は天才気質を持つ者達に共通する、ある種の反応を引き出す行動様式を無意識に取っていただけなのかも知れない。だから、天才には彼女は手放せない存在であるが、凡人にとっては彼女はただのやさぐれたフーテン女で厄介者でしかないのである、とも言える。彼女にとっては才能のある人間から才能を引き出す、のが彼女の才能なのであろう。と解釈すると、彼女はやはりその存在意義からしても芸術の女神そのものなのである。

コメント
この絵ギリギリ引っ掛からないですよね?w

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