鉄腕アトム 火星から帰ってきた男

解説:

 初出は雑誌『少年』昭和43年1月号から3月号に連載されました。『少年』に連載されたアトムとしては、最終回に当たる作品です。

読みどころ:



 18人もの殺人を冒し、2億円を強盗したあげくにロケットで火星に逃げた悪魔のような犯罪者ユダ・ペーター。時効を迎える15年を見越して、18年目の雪の降りしきるクリスマスの晩、彼は悠々と地球に戻ってきました。


 警察隊がものものしく見張り、タワシ警部を始め多くの辣腕刑事らが歯噛みをする中、ユダは堂々とロケットから降り立ちます。下田氏演じる刑事もまた、彼の帰還を苦々しく思う一人でした。かつてユダの捜査を担当しながら、まんまと逃げられたのです。かの大悪党を目の前にしているのに、何一つできない。悔しがる刑事がユダに、「次に何かしでかしたら、死刑台送りだ」とすごんだ瞬間、突然はじかれたように倒れます。駆け寄った人々が調べると、なんと刑事はすでに死んでしまっているのでした。


 当然殺人容疑で連行されるユダ。しかし、いくら調べてみても、凶器一つ見つからないのです。証拠をつかめないために、ユダは無罪放免となってしまいました。


 明らかにユダが殺したとしか思えないのに、どうやって殺したのかが分からない——不気味な刑事の死に加え、かつてユダの召使だった女性ロボット・井之頭が惨殺されるに至り、アトムが立ち上がります。


 世界中の要人が次々と不可解な死を遂げるサスペンス、ついにはアトムやお茶の水博士までが危機にさらされるスリル。中にはちょっとショッキングなシーンもあり、ホラーやミステリーの要素もふんだんに取り入れた、まさに「大人の鑑賞に耐えうる」質の高い一編です。『少年』版『アトム』はどれをとっても、それぞれに子供向け以上の要素が少しずつ盛り込まれていますが、その中でもひときわ大人向けなのが、この「火星から帰ってきた男」なのです。
百物語

解説:

 「百物語」は 1971年7月26日号〜10月25日号 『少年ジャンプ』に連載された作品です。

読みどころ:


 ゲーテの名作「ファウスト」をこよなく愛する手塚治虫は、生涯に三度、「ファウスト」の漫画化を試みています。一番初めが、そのものずばり「ファウスト」という作品。こちらはメフィストフィレスがかわいい黒い犬に描かれるなど、少年向け。一方、晩年に描かれ、まさに絶筆となった「ネオ・ファウスト」は大人向けのハードな作品。セクシーな女性のメフィストに、学生運動、新興の総合商社などがドイツ古典の素材を見事に現代劇に味付けしています。
 以上の二作品もいずれも読み応えのある作品ですが、やはり一番読みやすく、マンガらしくもあるのはこの「百物語」であろうかと思います。
 題名こそ「百物語」とありますが、こちらも「ファウスト」を翻案にした作品。ただし、舞台は戦国時代の日本。重要キャラクターのメフィストも、妖怪(?)の少女「スダマ」として登場します。


 読んでみればすぐに分かると思いますが、日本の乱世と「ファウスト」の世界観というのは、意外なほどに親和性が高く、それぞれのキャラクターがぴったり、その役どころにはまって生き生きと動いています。それのみならずもとの重々しい各キャラクターを皮肉にひねくって、いかにも日本風にコミカルに描き変えていているところも魅力のひとつ。ファウストが恋焦がれる「究極の美女」はなんと妖怪狐の玉藻の前、ワルプルギスの夜はそのまま手塚版百鬼夜行絵巻となり、人生に絶望して毒を仰ごうとする偉いファウスト博士は、上役の汚職に巻き込まれて詰め腹を切らされるあわれな勘定方・一塁半里と姿を変えます。 


 思うに「百物語」は、舞台を日本に持ってくると同時にファウストの哲学的な悩みや苦しみをもっと形而下的な問題に——要するに卑近で生々しい姿に描きかえることで、元ネタを愛するがゆえに面白くパロディして、おちょくってやろう、という意図が一番よく出た、それゆえにマンガの魅力が最大限に引き出されたマンガ版「ファウスト」なのではないでしょうか。
ぼくの孫悟空

解説:

『ぼくの孫悟空』は、1952年の2月より、秋田書店の「漫画王」にて連載が開始された(連載時のタイトルは『ぼくのそんごくう』と、すべてひらがな)。手塚治虫自身も、東京の雑誌に連載を始めたこともあり、この年に東京・四谷に下宿をする。そして、『ジャングル大帝』『サボテン君』『アトム大使』ほか、数多くの連載を抱える作家となった。そんな中、『ぼくの孫悟空』の連載は人気を集め、1959年3月まで続く長期連載となる。連載は毎回4色刷りの巻頭カラーで、手塚治虫が色鉛筆で色指定をしていた。なおこの作品は、手塚治虫本人も認めている通り、アジア最初の長編アニメ『鉄扇公主』から大きな影響を受けている。
  また『ぼくの孫悟空』は、過去に何度もアニメ化された。まずは1960年に東映動画によって長編アニメ『西遊記』として封切られる。ここでスタッフとして参加した手塚治虫は、この経験を生かし、のちに虫プロを設立することになる。また同年、秋田書店の『ひとみ』で、悟空の恋人・リンリンを主役にした『リンリンちゃん』を連載した。
そして1969年、虫プロダクションにてTVアニメシリーズ『悟空の大冒険』がスタート。大人気作『鉄腕アトム』の後番組というだけでも、原作の人気とそのアニメ化に対する期待度がわかる(しかし、この番組は放映当時それほど人気を獲得できずに終了した)。
  また、1989年には手塚治虫の自伝的アニメ『ぼくは孫悟空』が手塚プロダクションによって製作され、スペシャルアニメとして日本TVで放映された。そして2003年7月12日、新作劇場アニメとして『ぼくの孫悟空』が封切られた。

読みどころ:



 もう21世紀も明けて3年がたちましたが、子供から大人まで、孫悟空という猿を知らない人はまずいないでしょう。天竺へ旅する三蔵法師のお供で、道中に次々に顔を出す妖怪をほとんど万能とも思われる術の力でやっつける強い猿。もともとはご存じ『西遊記』という中国の四大奇書といわれる物語の主人公ですが、この強烈なキャラクターはその『西遊記』の中だけに納まらず、それこそ例のお尻の毛から何匹もの分身を出す「身外身の術」めいて、この合理主義の現代の社会にさえ、子供向けの絵本から、ちょっとしたお店の看板や広告、時にはキャラクターグッズまで、いたるところにその姿を見かけることができます。そして、他にも数多くの漫画家や作家が、さまざまな形で『西遊記』に挑戦してもいます。

  『ファウスト』や『罪と罰』など、世界の名作の翻案を数多く手がけていた手塚治虫が、まさにありとある物語の楽しみが詰まっている『西遊記』に目を留めないわけはありません。アニメ『鉄扇公主』に魅せられ、孫悟空という猿にほれ込んだ手塚治虫が、「ぼくの」とまで銘打って描いたのが、この『ぼくの孫悟空』なのです。原作の豪快さを充分生かしたまま、それでもどこか手塚的なかわいさを持った孫悟空が大活躍するこの作品ですが、あまりにハチャメチャすぎる、ケシカラン、とお思いの方、ところがどっこい、原作もおんなじぐらいの破天荒ぶりをして「奇書」などと言われるほどですので、時に現代社会や作品の外にまで飛び出してしまう悟空たちの暴れっぷりもどうか大目に見ていただきたいものです。


 さてこの作品の見どころといえばやはり、おなじみ悟空、食いしん坊の猪八戒、末弟子でちょっともっさりした沙悟浄の3人が、次々に登場する妖怪たちをやっつける痛快な大活躍、めまぐるしいアクションシーンや化けくらべもそうですが、端々に出てくるいかにも手塚マンガらしいモダンなセンスに満ちたユーモアも見逃せません。三蔵法師のキャラクターを、力はないがいかにもえらいお坊さん、という従来のイメージから、なんとも頼りない、怖がりでちょっと情けないが人だけは良い優男にしてしまったのもグッドアイディアで、三蔵がこんなキャラクターのために、原作どおりに物語が進んでもなんとなく笑えるという効果を生み出しています。


  それからしばしば登場する、時代考証をまったく無視した小ネタの数々。「貸別荘・ガス・水道アリ」の水蓮洞に、「ドラゴンズよりジャイアンツのほうが勝つにきまってるわい」と吼える二郎真君、パイプをこっそりたしなむ三蔵にジッポライターで煙草に火をつけるお釈迦様! 雷様に至ってはまるきりジャズバンド、地獄のファッションショーを鑑賞する閻魔様など、上げればきりのないこれらのスパイスは、読者の少年少女たちに、作品世界を身近に感じてもらうためのちょっとした策なのかもしれませんが、これがなんともかわいらしく、ほのぼのしていて良い感じなのです。

  とまあこのように、語っても語りきれない魅力溢れる『ぼくの孫悟空』、初期の手塚治虫の翻案マンガの中でも出色の名作であることは間違いありません。
冒険狂時代

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『冒険狂時代』あとがき より) この支離滅裂な漫画の原案は、じつはぼくが中学生のときかいた一千ページ近くにおよぶ習作です。
 題名を『おやじの宝島』というこの習作は、主人公の少年武士のかわりに、例のヒゲオヤジが役をつとめていたのです(もちろん現代の服装でした)。そしてこのガムシャラな私立探偵と、フランスのガニマール警部とシャーロック・ホームズが、宝島の地図をめぐって、怪盗アルセーヌ・ルパンとあらそうという大筋だったのです。
…(中略)…
 ところが『おやじの宝島』は、どちらかというと劇画にちかいリアルな物語の上、恋愛までからんでいたので、かなり大幅に内容を変えないわけにはいきませんでした。
 そして、なぜか主人公を西部へむかう日本の少年武士にしてしまったのです。
 その名も、嵐風之助という、かっこいい名にきめました。ところが秋田書店の人が、これもなぜか“風”という字を“凧(タコ)”にまちがえて活字を組んでしまったのです。仕方なく、とんだまちがいのまま、嵐タコの助でとおすことにしました。
…(後略)…


読みどころ:




 1940年代のハリウッド映画的世界を舞台に、日本の少年武士が暴れ回る、手塚治虫式奇想天外冒険物語です。舞台をめまぐるしくカリブ海、アメリカ西部、モロッコと変えて縦横無尽に活躍する主人公はなんと日本人。名を嵐タコの助という少年武士です。奇しくもこの少年もまた、幕末日本の開国派幕臣の息子なのですが、二つに破れたナポレオンの宝の地図をめぐり、世界狭しと大冒険します。

 カリブ海の気まぐれな竜巻に運ばれた先のアメリカ西部ではカウボーイになって馬慣らしの特訓、モロッコを訪れ、外人部隊に入隊し、と思えば再び船上で海賊ブラッドと剣をまじえと、ハリウッド華やかなりし頃の映画の心躍る場面の数々を、おもちゃ箱をひっくり返したようにちりばめたハチャメチャさですが、このハチャメチャさが言ってみればこの作品の魅力です。さらにしつこくもあくどく宝の地図を狙い続ける悪役をハムエッグが演じ、最後までタコの助を追い詰めます。



 1930〜40年代の外国映画に通じていればなおいっそう楽しめるかもしれません。冒頭の海賊との戦いのシーンでカッコつけるジョン・ウェインとか、魔法使いヤシム博士が唱えた魔法「コリデエフ ニーリエフ カーシデ オリトッピ」云々などのちょっとしたお遊び。他の作品にも、映画の影響が少なからず見られる手塚治虫ですが、これほどに映画ネタをふんだんにちりばめた作品もありません。
 作者自らの元ネタ解説も作品中についておりますので、古い映画がお好きな方なら、お読みになって確かめて、ほくそえむのもまたひとつの楽しみ方かも知れません。
鳥人大系

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『鳥人大系』2 あとがき より)
 SF作家クラブが、故福島正実氏のリードで毎月一回例会をひらいていた頃、SFマガジンの副編集長だった森さんも必ずそこに出席していて、
「手塚さん、本誌にまた連載を…。」
 と何度かたのまれ(以前「SFファンシーフリー」をかいてから、もうかなりの時間がたっていた)、一心奮起して、大長編大河SFスペクタクルロマンをかこうと決心したのです。
 ぼくは、ブラッドベリのおなじみ「火星年代記」と、シマックの「都市」の、ご多分にもれず、かなり熱烈な愛好者でした。漫画でひとつ、あのようなエピソードの連作形式で、超人類の歴史をえがきたいと思っていたやさきだったので、
「じゃあ、『鳥人年代記』というタイトルにいたしましょう。」
といってしまって、予告にでてから、「しまった!」と思いました。
 鳥人に関しては、すでにかなり昔「ロック冒険記」で、エプームというキャラクターをだしてしまっているのです。
 あれの二番煎じになったら、SFマガジンにのせる意味がありません。
 そこで、人間と鳥とのかかわりから、さりげなく始めることにしたのです。

読みどころ:



 動物の中でもとりわけ優雅で美しい"鳥"。その鳥たちにもし、人間顔負けに発達した知能がついたら…? そんな「もしも」から発した、鳥人たちの恐ろしくも少し物悲しい歴史大系です。


 この壮大な歴史大系の発端はある「事件」です。小鳥に高タンパク餌を与えて知恵をつけ、高値で売る商売をしていたある農家が全焼、家族全員焼死する、という、新聞の社会面にでも載っていそうなごくありふれて日常的な「事件」が始めに語られます。壮大な『鳥人大系』のプロローグにしては、およそ不釣合いな、ごくさりげないエピソードですが、それゆえにこの後の不気味な展開を効果的に示唆するプロローグとなっています。


 鳥が人間を襲うという話なら、すでに有名なヒッチコックの映画『鳥』がありますが、鳥たちがそのまま進化し、人類から地球を乗っ取り、鳥人として文明を形成してゆくこの物語には、『鳥』以上の不気味さと恐怖があります。人類を滅ぼすのは、宇宙からの侵略者ではなく、あくまで内なる侵略者、進化した鳥たちだと言うのがなんとも恐ろしいではありませんか。


 それはそれとして、この作品のすごいところは、その恐怖のみではありません。人間にとってはまったくの異種族・鳥人たちですが、そのキャラクターがなんとも魅力的に描かれているところも、ぜひ注目していただきたいところです。同じ画面に登場する野蛮な人間たちよりも一回り小さく、ほっそりと優雅な鳥人たち。殺し屋のベグラーやモッズ警部は「男前」だし、「赤嘴党」で登場した名もない上流階級の奥様や「ラップとウィルダのバラード」のウィルダの美しいこと。鳥人におけるイエス・キリスト・聖ポロロの清らかさなど、架空の生物「鳥人」のキャラクターをこうまで魅力的に描き分けた手塚治虫の画力に酔うのも、また楽しみの一つです。