W3

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『ユニコ』第2巻 あとがきより) 「W3」とかいて、「ワンダースリー」とよませるのがそもそも無理で、この作品はもともとテレビアニメシリーズ向きに企画されたものです。だから、タイトルもやや奇をてらったのでした。
(中略)
 このシリーズのキャラクターは、スタッフ全員で考えて、ひねりだしました。背景もわざと大きなセット的な絵をかいて、そのあちこちを写真にとってぼかしてつかうという新手法を用いました。トレス線を、りんかくだけを少し太めにアクセントをつけてかいたのもユニークでした。
(中略)
 「W3」もアメリカのローカル局に売れました。アメリカでは「アメージング=スリー」ともうしますが、「鉄腕アトム」ほど知られてはいません。
 アニメそのものも、やや中途半端でした。しかし、漫画のほうは、ラストのタイム=パラドックスの手法など、当時のぼくとしては、どんなもんだ、といってみたいのですが、どうでしょうか。


読みどころ:




 手塚治虫のみならず、SF作家のような人々は、一度はどこか醒めた視点で地球を見るもののようで、いくら各国が驚異的な軍事力を持っていても、無力にひれ伏すしかない地球外文明が絶対に宇宙のどこかにある、と考えるようです。
 どこかにもっと文明の発達した世界があって、くだらない事に向きになっている地球人達を冷ややかに見下ろしているに違いない、あまり馬鹿な事ばかりをやっているといつか、——異次元からか宇宙の彼方からか、使者がやってきて、一瞬のうちに地球丸ごと、消し去ってしまう…という想像は、手塚作品によく登場する設定で、この『W3』のみならず、さまざまな短編・長編で繰り返し扱われてきたテーマもあります。  『W3』のボッコ・プッコ・ノッコもまた、地球上の動物達に身をやつした宇宙屈指の優秀な調査員で、水爆実験や紛争に明け暮れる1960年代の地球の実態を調査するため、はるか彼方の宇宙から地球にやってきたのでした。

 ところがW3がはじめに降り立ったのは、日本ののどかな田舎の村。行きずりのトラックにひどい目にあわされた三人は、即座に地球を爆破する決心を固めます。そのまま地球が爆破されず、何とかながらえているのにはわけがあり、三人がたまたま居合わせた少年、星真一に命を救われていたく感激し、もう少し調査をしてからでも爆破は遅くない、と思い直してくれたからで、今後何度も地球の危機を救う事になるその真一少年こそが全人類の命の恩人というわけです。 物語はあくまでSFで、W3ら宇宙人と少年の心の交流が主軸かと思いきや、当時大流行していたスパイ映画『007』の影響か、国際的スパイ組織「フェニックス」の一員・星光一の活躍を描いた部分は、別のスパイ漫画として独立させても、と思わせる異質さで、さまざまに異なる要素を放り込みながら丸く収まっているのはさすが手塚治虫というところです。そもそもがSFと日本の田舎ほどミスマッチなものはないので、ありふれたのどかな村で、言葉を話す不思議なウサギと少年が反陽子爆弾の話をし、いかにも田舎くさい雑木林の中で声を潜めて、秘密組織フェニックスの話をするという場面にこそ、この作品のSFとしての妙味があるのだと思うのです。



 『W3』というと、ラストの意外なオチがやはり秀逸で、注目されがちですが、壮大なSFと日本の片田舎、星光一のような颯爽とした青年スパイと、馬場先生のような飄々とした田舎教師が同じく生き生きと活かされている懐の深さもまた、この作品の魅力の一つなのです。
そよ風さん

解説:

 そよ風さんが連れ去られるシーンに出てくる、「本数が変わる煙突」は東京都北千住に当時実在した。『リボンの騎士』に登場したナイロン卿がそよ風さんが上京する電車の中のシーンでエキストラ出演している。


読みどころ:

 緑豊かな山の奥にある源町に住む少女、千代子ことそよ風さんは、八百年来の犬猿の仲の平町の少年、三太と友達になるのですが、回りの人々はそんな彼らを引き離そうとします(『そよ風さん』)。
  東京に出て、日由子ことひまわりさんと同じ学校へ行くことになったそよ風さんは、悪人の計略にはまり、連れ去られてしまいます。進学のために上京していた三太は、ひまわりさんと一緒に連れ去られたそよ風さんを探します(『ひまわりさん』)。 



 終戦直後の日本を舞台に、様々な災難に巻き込まれていくそよ風さんのお話もまた、ハラハラドキドキしどうしの大冒険には違いありません。この作品で戦う女の子はもう一人の主人公、柔道の得意なひまわりさんです。主人公のそよ風さんは、ねたまれても憎まれても敵と対決せず、あくまで不抵抗、不服従。挙句どんな悪人でも改心させてしまいます。 


 優しさに勝る武器はなし。この「強さ」は、ある意味無敵かもしれません。とはいえ、この作品の悪人たちは一様に切なく、終戦直後の厳しさゆえに悪人に身を落とした悲哀が感じられます。そよ風さんが彼らを「ほんとはいい人よ」と言うのは、ただ真実を見抜いているだけなのかも知れません。 

 ところでこのそよ風さんが子どもたちや動物を集めてお話を語り聞かせるシーン、なんとも心が癒されます。小さなかえるを手のひらにちょこんと乗せ、「ねえかえるさん、何かいいお話してよ」と話しかけるそよ風さんの優しい横顔は、どんなに心がすさんでいても癒されること間違いなし。この優しさにひまわりさんや三太も惹きつけられるのでしょう。
 ごく短い作品ですが、不幸な境遇にもめげずに強く生き抜く優しく清らかな少女の物語『そよ風さん』は、読めばきっと優しい心になれる、そんな作品です。

  

冒険狂時代

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『冒険狂時代』あとがき より) この支離滅裂な漫画の原案は、じつはぼくが中学生のときかいた一千ページ近くにおよぶ習作です。
 題名を『おやじの宝島』というこの習作は、主人公の少年武士のかわりに、例のヒゲオヤジが役をつとめていたのです(もちろん現代の服装でした)。そしてこのガムシャラな私立探偵と、フランスのガニマール警部とシャーロック・ホームズが、宝島の地図をめぐって、怪盗アルセーヌ・ルパンとあらそうという大筋だったのです。
…(中略)…
 ところが『おやじの宝島』は、どちらかというと劇画にちかいリアルな物語の上、恋愛までからんでいたので、かなり大幅に内容を変えないわけにはいきませんでした。
 そして、なぜか主人公を西部へむかう日本の少年武士にしてしまったのです。
 その名も、嵐風之助という、かっこいい名にきめました。ところが秋田書店の人が、これもなぜか“風”という字を“凧(タコ)”にまちがえて活字を組んでしまったのです。仕方なく、とんだまちがいのまま、嵐タコの助でとおすことにしました。
…(後略)…


読みどころ:




 1940年代のハリウッド映画的世界を舞台に、日本の少年武士が暴れ回る、手塚治虫式奇想天外冒険物語です。舞台をめまぐるしくカリブ海、アメリカ西部、モロッコと変えて縦横無尽に活躍する主人公はなんと日本人。名を嵐タコの助という少年武士です。奇しくもこの少年もまた、幕末日本の開国派幕臣の息子なのですが、二つに破れたナポレオンの宝の地図をめぐり、世界狭しと大冒険します。

 カリブ海の気まぐれな竜巻に運ばれた先のアメリカ西部ではカウボーイになって馬慣らしの特訓、モロッコを訪れ、外人部隊に入隊し、と思えば再び船上で海賊ブラッドと剣をまじえと、ハリウッド華やかなりし頃の映画の心躍る場面の数々を、おもちゃ箱をひっくり返したようにちりばめたハチャメチャさですが、このハチャメチャさが言ってみればこの作品の魅力です。さらにしつこくもあくどく宝の地図を狙い続ける悪役をハムエッグが演じ、最後までタコの助を追い詰めます。



 1930〜40年代の外国映画に通じていればなおいっそう楽しめるかもしれません。冒頭の海賊との戦いのシーンでカッコつけるジョン・ウェインとか、魔法使いヤシム博士が唱えた魔法「コリデエフ ニーリエフ カーシデ オリトッピ」云々などのちょっとしたお遊び。他の作品にも、映画の影響が少なからず見られる手塚治虫ですが、これほどに映画ネタをふんだんにちりばめた作品もありません。
 作者自らの元ネタ解説も作品中についておりますので、古い映画がお好きな方なら、お読みになって確かめて、ほくそえむのもまたひとつの楽しみ方かも知れません。
百物語

解説:

 「百物語」は 1971年7月26日号〜10月25日号 『少年ジャンプ』に連載された作品です。

読みどころ:


 ゲーテの名作「ファウスト」をこよなく愛する手塚治虫は、生涯に三度、「ファウスト」の漫画化を試みています。一番初めが、そのものずばり「ファウスト」という作品。こちらはメフィストフィレスがかわいい黒い犬に描かれるなど、少年向け。一方、晩年に描かれ、まさに絶筆となった「ネオ・ファウスト」は大人向けのハードな作品。セクシーな女性のメフィストに、学生運動、新興の総合商社などがドイツ古典の素材を見事に現代劇に味付けしています。
 以上の二作品もいずれも読み応えのある作品ですが、やはり一番読みやすく、マンガらしくもあるのはこの「百物語」であろうかと思います。
 題名こそ「百物語」とありますが、こちらも「ファウスト」を翻案にした作品。ただし、舞台は戦国時代の日本。重要キャラクターのメフィストも、妖怪(?)の少女「スダマ」として登場します。


 読んでみればすぐに分かると思いますが、日本の乱世と「ファウスト」の世界観というのは、意外なほどに親和性が高く、それぞれのキャラクターがぴったり、その役どころにはまって生き生きと動いています。それのみならずもとの重々しい各キャラクターを皮肉にひねくって、いかにも日本風にコミカルに描き変えていているところも魅力のひとつ。ファウストが恋焦がれる「究極の美女」はなんと妖怪狐の玉藻の前、ワルプルギスの夜はそのまま手塚版百鬼夜行絵巻となり、人生に絶望して毒を仰ごうとする偉いファウスト博士は、上役の汚職に巻き込まれて詰め腹を切らされるあわれな勘定方・一塁半里と姿を変えます。 


 思うに「百物語」は、舞台を日本に持ってくると同時にファウストの哲学的な悩みや苦しみをもっと形而下的な問題に——要するに卑近で生々しい姿に描きかえることで、元ネタを愛するがゆえに面白くパロディして、おちょくってやろう、という意図が一番よく出た、それゆえにマンガの魅力が最大限に引き出されたマンガ版「ファウスト」なのではないでしょうか。
奇動館

解説:

『奇動館』は「少年ジャンプ」昭和48年2月19日号に掲載された読み切り作品です。時代劇のスタイルをとりながら、ストーリーは「理想の教育」について描かれており、現在でも十分に通用するテーマを持っています。


読みどころ:



『奇動館』は、「教育」をテーマとした、一風変わった時代劇です。
武士の中浜好太郎は、とある村の私立学校・奇動館へ、教師として江戸から派遣されました。しかし、着いていきなり奇妙な試験を受けさせられた好太郎は、0点を取ってしまったために、なんと“生徒”として奇動館の一員に加わる事となります。奇動館の徹底した放任主義に最初は憤りを感じた好太郎も、自由な校風の中で、生徒達がのびのびと得意分野を伸ばしている姿に、何かを感じ始めますが…

 奇動館に集っているのは、不良やなまけ者など、いわゆる「普通の子供」の枠からはみだした生徒達ばかり。教師と生徒の関係もフランクで、礼儀はあってないようなもの。しかし、生徒達はいきいきと学校生活を送り、教師への尊敬の念を忘れる事はありません。




 そこには、型どおりの教育に対する、手塚治虫の疑念が反映されているのは言うまでもありません。しかしラストシーンで、人間そのものに対する大きな希望のメッセージを掲げる事も忘れないのが、何とも手塚治虫らしいところです。
 不登校児が大きな社会問題となっている昨今ですが、理想的な教育、そして師弟関係とは、果たしてどのようなものなのか。読後にあらためて考えさせられてしまう、テーマ性の高い一作です。