火の鳥 少女クラブ版

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『火の鳥 少女クラブ版』あとがき より)
 少女クラブに連載していた「リボンの騎士」が終わったころ、ぼくはアメリカ映画の「トロイのヘレン」とか「ピラミッド」とかいった史劇をたてつづけに見ていました。
 そして、そういったスペクタクル=ロマンを、ぜひ少女ものにかきたいと思っていました。「火の鳥」を連載しないかという話があったとき、とっさに思いついたのは、ヨーロッパの歴史を大河ものにすることでした。そして、アイディアは、そういったアメリカ映画のスペクタクル=ロマンとむすびついていきました。
 それで、エジプト編がはじまったわけです。
 漫画少年の「火の鳥」とちがって、やたらと甘く、やたらと恋や愛が出てくるのは、はじめから「リボンの騎士」のファンを意識していたからです。
 かいていていちばんつらかったのは、やはりトロイ戦争の場面でした。ところが、この別冊ふろくのとき、ぼくは九州の宿へカンヅメになっていました。群衆シーンがつづくのに、しめきりにまにあわず、やむをえず代筆になってしまったりしました。その代筆はおもに内野澄緒(うちのすみお)さんでしたが、九州のときは、高井研一郎さんとか、松本零士さんたちに手伝ってもらいました。もちろん、まだお二人とも高校生のころのことです。
 松本さんがせっせとかいた群衆シーンが、あまりにギャグっぽかったので、少女クラブの編集部でボツにしてしまったりしたのも、今では思い出話です。


読みどころ:


 「火の鳥 少女クラブ版」は、月刊誌『少女クラブ』の昭和31年5月号から昭和32年12月号にかけて連載されました。作品全体は「エジプト編」「ギリシャ編」「ローマ編」の3編から構成されており、「火の鳥」シリーズの中では「ギリシャ・ローマ編」という別名でも呼ばれています。
 物語は、エジプトの王子・クラブと、女奴隷・ダイアの2人の恋物語と冒険が軸となり、それと並行して、火の鳥の子供・チロルの成長物語が描かれています。
 最初の舞台は、今から3000年前のエジプト。クラブとダイアは、洪水に流されそうになっている火の鳥の卵を偶然助けたことから、そのお礼として火の鳥の血を飲ませてもらい、3000年の間死なない体になります。しかし、エジプト王暗殺の陰謀に巻き込まれた2人は国を追われ、スパルタからトロヤへと、運命に流されるままに彷徨(さまよ)うこととなりました。

 この「少女クラブ版」の特徴は、他の「火の鳥」シリーズに比べて圧倒的にファンタジー色が強いことです。これはやはり「リボンの騎士」のイメージを引き継いでいるためで、特に天界から下界へと舞台を移動するプロローグの部分は、非常に「リボンの騎士」と世界観が共通しています。また、シリーズの狂言回し的なイメージの強い火の鳥が、この「少女クラブ版」では、チロルの誕生・成長物語を通して、たびたび人間的な一面を見せるのも、珍しい趣向です。
 そして、なんといってもこの作品は、絵の魅力が実に大きいのです。チロルの可愛らしさ、鳥達のダンスシーンの見事さ、ウサギ・キツネ・亀その他、動物たちのいきいきとした姿…。そしてもちろん、小物からキャラクターの衣装、背景にいたるまで、外国映画を「手塚流スペクタクル=ロマン」として消化し、再構築したその手腕。「火の鳥」シリーズのなかでは異色作であるものの、少女ものとしても、ファンタジーものとしても、間違いなく代表作の1つだといえるでしょう。


ブラック・ジャック 〜ブラック・クイーン〜

解説:

 初出は「週刊少年チャンピオン」 1975年1月13日号に掲載されました。

読みどころ:


 無免許の医者ながら、手術の天才・ブラック・ジャック。 その風貌や立ち振る舞いから、硬派なイメージを持たれがちな彼ですが、時には女性に好意を持つこともあります。この『ブラック・クイーン』というエピソードは、そんなブラック・ジャックの数少ない恋愛話の一つです。 
  女医の桑田このみは、手術でためらいなく患者の体を切りきざむことから、悪名高いブラック・ジャックにたとえて「ブラック・クイーン」と呼ばれていました。

ある日、恋人とケンカしてヤケ酒を飲んでいたこのみは、酒場で偶然ブラック・ジャックに出会いました。そしてブラック・ジャックは、少し言葉を交わしただけの彼女が、なぜか心に焼き付いてしまったのです。




 「めぐり会い」というエピソードでは、好きな女性になかなか告白できなかったブラック・ジャックですが、ここでは自ら、このみの所へクリスマス・プレゼントを届けにくるなど、妙に積極的。はじめての読者は、ブラック・ジャックにこんな一面もあるのかと、きっと驚くことでしょう。しかしここから、ストーリーは恋愛ものと全く別の方向へ進みはじめます。

 はたして、ブラック・ジャックの恋のゆくえは? そして彼がクイーンへ贈った最大のクリスマス・プレゼントとは?

 クリスマスイブを舞台に、ブラック・ジャックの粋な計らいが心にしみる、ちょっと大人のラブストーリーです。

上を下へのジレッタ

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『上を下へのジレッタ』2 あとがき より) 「上を下へのジレッタ」は、「人間ども集まれ!」の次に「漫画サンデー」に長期連載したものです。"ジレッタ"という語意は別になにもありません。しいていえばディレッタントの略でしょうか。とにかく語呂があんまりよくなく、受けそうにもないタイトルです。
 事実、この話は「人間ども集まれ!」にくらべて反響はさほどでもありませんでした。後半でジレッタの登場になる、というのもまどろっこしいし、主人公の門前市郎が悪役というのもマイナスでした。しかしぼくのよくかく変身ものでも、腹がへったら美人になる、というアイディアは、自分ながらまあ上出来だと思います。女性が美人になるため減食したり、カロリーをとらない、という涙ぐましい努力をパロッたものです。
 それにしても、ジレッタのようなメディアを国家権力が利用した場合、いかなる恐るべき事態が発生するか、そしてそれはごくひとにぎりの側近のエゴイズムでおこるのだという寓意を読みとっていただければ幸いです。
 …後略…

読みどころ:

 題名の「ジレッタ」というのは、登場人物の一人、山辺音彦のあやつる妄想世界の名前です。


 「ジレッタ」は特殊な超音波と、山辺音彦の脳髄が感応して生まれた妄想で、電波のようにどんどん増幅されて、レシーバー等を使えば他人にも体験することができる、という不思議なシロモノです。それに目をつけた悪魔のようなやり手ディレクター、門前市郎と、彼のプロデュースした、お腹が空っぽの時にだけ絶世の美女に変身するというへんてこな歌手・小百合チエこと越後君子が入り乱れ、ついには国家をも巻き込んだ大騒ぎを引き起こす、というかなり風刺の効いたストーリーとなっています。


 「人間ども集まれ!」や「フースケ」など、わざと単純で荒削りな線で描かれ、テーマもブラックでエロティックなものが多く扱われた作品群は、大人向けを意識したもので、このようなテイストの作品については、上の「人間ども集まれ!」の解説に詳しく語られています。この「上を下へのジレッタ」もその仲間で、遠慮会釈なく飛び出す皮肉でナンセンス、エロティックなギャグの奔流には、少年向けの漫画を読みなれた方には、少し刺激が強すぎるかもしれません。



 それでも、この漫画は確かに手塚漫画です。政治やメディアのあり方を皮肉った風刺的なストーリーもそうですが、普段は不細工で、空腹時に美人に「変身」する越後君子、絶え間なく様々な物に形を変える事物がこれでもかというほど登場する妄想世界「ジレッタ」の描写などもまた、「メタモルフォーゼ」というテーマを追い続けた作家、手塚治虫の真骨頂と言えるでしょう。ぜひ手塚流実験アニメで見てみたい、鮮やかなものばかりです。
雨ふり小僧

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『タイガーブックス』8巻あとがき より)

(前略)
 この短編集にふくまれたものは、主に集英社の「少年ジャンプ」を中心にした読み切りですが、小学館や旺文社その他のものも雑然とはいっています。主として人情劇というか、センチメンタルな内容のものが多く、動物を扱ったファンタスティックな作品が主体になりました。また、一連の民話のバリエーションもありますが、これは、あまりにSFものがつづいたための肩ほぐしにかいて、けっこうたのしかったのでつづけているのです。そして、手塚にもこんな一面があったのかと評価してくだされば幸いです。(中略)
 「雨ふり小僧」(第3巻)「はなたれ浄土」(第8巻)「てんてけマーチ」(第5巻)「いないいないばあ」(第7巻)は、柳田国男氏や、そのほかの著者の民話から変形させた作品で、もとの話をご存知のかたは、その手塚流味つけをご賞味ください。
(後略)


読みどころ:



 「雨ふり小僧」は、「月刊少年ジャンプ」の昭和50年9月号に掲載された、民話調の短編作品です。山奥の分教場の少年と、小さな妖怪との心の交流をノスタルジックにえがき、数ある短編の中でも、特に人気の高い作品となっています。
 分教場に通う主人公のモウ太には、同級生がいません。そのモウ太の前に突然、ボロボロの傘をかぶった小さな妖怪があらわれます。「雨ふり小僧」と名乗るその妖怪は、モウ太のゴムのブーツとひきかえに、3つの願いをかなえると言います。モウ太は雨ふり小僧にブーツをあげる事を約束して、3つの願いをかなえてもらうのですが…。

  この作品の人気の高さを語る上で、ノスタルジックな雰囲気や、キャラクターの魅力に加え、読者の胸を打つ感動的なクライマックスを外すことはできません。ずっしりと心に残るその読後感は、あの「ブラック・ジャック」の傑作エピソードを読み終えた感覚に似ています。「約束を守ることの大切さ」というシンプルなテーマが、シンプルであるがゆえに力強く、読者の心を揺さぶるのです。

 余談ながら、この「雨ふり小僧」は1983年に手塚プロダクションによってアニメ化されています。

 手塚ファンを自認する方にはぜひ読んでおいてほしいこの作品、1度読めばきっとあなたも、無邪気な"雨降り小僧"のとりこになることでしょう。
ゴッドファーザーの息子

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集 別巻1 『手塚治虫エッセイ集1』より)
 …(前略)…
  もう国のために一身を捧げる意欲を全く失ったので、それ以来、ほとんど自宅へひき籠って漫画を描いていた。たまに工場へ顔を出しても原料の攪拌機のうしろへ隠れていて、配給のパンを一週間分食べてしまったり、蛮唐が持ってきたタバコをふかしたりする。蛮唐というのは国粋主義の番長のようなもので、誰かが女学生と話をしたり、世界文学全集など読んだり、ズボンに寝押しの条でもつけていようものなら、プラットフォームなどへひっぱり出してひどいリンチを加えるのだ。—当然ぼくなど漫画を描いていればなぐり倒されて、帽子を電車に轢断されるところなのだが、どういうわけか、ぼくの漫画がお気に召して、なかなか可愛がってくれるのである。ぼくのほうも時折美人画などを描いてかれに進呈すると、かれは相好を崩して喜び、長生きしろよ、などと言ってくれた。そのかれが、あるとき、せっかく描いた漫画なのだから、もっと堂々と発表しろ、とぼくに勧めた。
  …(後略)…

読みどころ



学校一の乱暴者にしてヤクザの大親分の息子・バンカラこと明石はひどい暴君。学生は誰一人として頭が上がりません。試合を控えたラグビー部を集めて目の前に真剣を突き立て、「負けたら承知せんぞ、腹切れよ」などとすごむ始末。軟弱な生徒を見つけたら服をひっぺがすなどのひどい仕打ちを加えます。
 腕力で皆の上に君臨していたゴッドファーザーの息子ですが、マンガが大好き。「ペンは剣よりも強し」などと言いますが、まさにその至言どおり、ペンの力は偉大なもので、乱暴者のバンカラさえも、手塚少年には一目置くようになります。


 解説にも「国粋主義の番長のようなもの」と書かれているこのバンカラ、乱暴者ですがなかなかに侠気もあり、手塚少年の書いた美少女「クミコちゃん」におみやげを買ってきてしまうような可愛いところもあり、印象的なキャラクターです。戦時中の規制の激しい学校で、禁じられているマンガを描き続けた手塚少年と、彼を励まし、勇気付けたバンカラの姿は、夢を実現させる勇気を読者に与えてくれます。



「長いきせえよ、おまえ大モノになるで」と言ったバンカラはしかし、特攻隊に入り、手塚少年のその後の活躍を見ることはありませんでした。
  思い出話のように淡々と語られる自伝的作品ながらも、強く印象に残る短編です。