ミッドナイト ACT.30(第3巻ACT.7)

解説:

(手塚治虫 秋田書店刊 少年チャンピオンコミックス『ミッドナイト』はしがき より)

 10年間、温めてきたタクシー・ドライバーの話です。この仕事は、毎日、色んな人間の色んな人生がのぞけて、うらやましいなと思いながら、ドライバーの気分で描いています。名前も、年齢も、素性もわからない深夜タクシーの一匹オオカミ・ミッドナイト、どうぞごいっしょに同乗してください。

読みどころ:


 「ミッドナイト」はあの「ブラック・ジャック」、「七色いんこ」の活躍の場だった週刊少年チャンピオンに、1986年5月2日号から1987年9月18日号まで連載されました。「ブラック・ジャック」同様、この作品にもしばしばスター・システムが効果的に導入され、ストーリーの巧みさとの相乗効果でよりいっそうの感動を生んでいる佳作がいくつか存在しますが、このACT.30もまたそういった例の一つです。

 ある路地裏でミッドナイトが出会ったみすぼらしい身なりの老人は、手塚漫画にさほど詳しくなくてもなんとなくどこかで見た顔だな? と思わせる風貌の持ち主。大きな鼻と頭の横に残った白髪、おなかが出っ張り気味の丸っこい体つきは、「鉄腕アトム」でお茶の水博士として有名なあの老紳士に間違いありません。ただし、科学省の長官らしくいつもおしゃれな背広姿のお茶の水博士とは似もつかず、顔つきはくたびれ、髪の毛は伸び放題。

 これこそがスター・システムの醍醐味で、特にお茶の水博士のように、もう読者のほとんどがそのキャラクターの人となりをよく知っているのを逆手にとって、わざとそのキャラクターにそぐわない役柄を当てはめるというのは、ただの意外性以上に、思わぬ効果を生み出してくれます。冒頭たったひとコマ、お茶の水博士演じる老紳士が登場しただけで、読者はあの元気で朗らかな「鉄腕アトム」の博士を思い出し、あんなに良い人がどうして…などと胸の痛む感慨をいだくことになるのです。

 このACT.30では、大人になったアトムとウランという、これまた意外で珍しいキャラクターも登場します。「鉄腕アトム」連載開始から30年あまりが過ぎた1986年、ひょんなところで同窓会のように久しぶりに顔をあわせたアトムたちとお茶の水博士。不朽の名作「鉄腕アトム」の永遠の輝きと共に、年齢を重ねることは決してないアトムたちですが、もし二人が人間で、30年後に顔をあわせることがあれば、こんなエピソードもありうるんじゃないか、とふと読者に感慨を抱かせてくれる『ニクイ』仕掛け、ともいえそうです。
勇者ダン

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『勇者ダン』あとがき より)

  ぼくには動物を主人公にした物語がやたらにあります。「ジャングル大帝」のライオンをはじめ、犬、猫、ネズミ、兎、狐、象、イルカ、鳥、魚、虫にいたるまで。トラはこの「勇者ダン」と「タイガーランド」。それにテレビの「プルルくん」。
  トラは陸上の猛獣ではいちばん強いのだそうです。インドにはかつてライオンが群棲していたのが、トラのために絶滅においやられたのだという説があります。トラは大好きですが、あの絵をかくのがやっかいなために、漫画、ことにアニメでは、あまり登場はしておりません。
  「勇者ダン」はまた、アイヌを主人公にした物語です。ぼくはアイヌをきわめてロマンチックに北方の果敢勇壮な民族としてあこがれていたのです。しかし、あとで悲惨な歴史と現状を知り、深く反省をしました。だけどコロポックルをはじめとして、アイヌの神話や伝承は大好きです。
  「勇者ダン」は、「白いパイロット」に続いて、「少年サンデー」に載ったのですが、最初から読者の反響が悪く、しかも締め切りが遅れっぱなしで、ついにこの作品のあと、しばらく干されるハメになりました。
  ぼくは、何度も仕事のうえで好調のときとドン底のときとをくり返していますが、「勇者ダン」の頃はやはり全体に低調で、自分でも方向を模索していた時期です。その原因は、やはりラジカルな劇画の台頭のためでしょう。

読みどころ:


「勇者ダン」は、「週刊少年サンデー」の昭和37年7月15日号から12月23日号まで連載された作品です。両親と生き別れたアイヌの少年・コタンと、動物園に送られる途中、列車事故によりオリから解き放たれたトラ・ダンがコンビを組み、隠されたアイヌの財宝を探して冒険する物語です。
 この作品はやはり"トラ"でしょう。「ジャングル大帝」のレオを例にあげるまでもなく、動物、そして猛獣の描写を得意とする手塚治虫ですが、「勇者ダン」におけるトラのキャラクター・ダンの力強さとボリューム感は、シンプルな線で描かれているとは思えないほど"トラ"のそれであり、体毛の柔らかさまで感じ取れます。ビデオもない当時のこと、当然資料も少なかったかと推測されますが、ここまでいきいきとした描写がどうやってできたのか、不思議です(作品冒頭でオリから放たれたダンの躍動感!)。





 ストーリーの方は、悪の組織との財宝争奪戦がメインで、当時の少年漫画としては良く使われたパターンです。作品後半、財宝の隠し場所を発見したあたりからは、後のヒット作「三つ目がとおる」めいてくるのも興味深いところ。
 設定については、コタンにトラ柄の帽子とマフラーを着けさせたり、ムチを持たせたりと、受ける要素をもりこもうとあがいた後もありますが、煮詰めきれていない感があるのは、やはり「模索していた時期」の作品という事なのでしょう。


初めて読む人も、再読の人も、手塚治虫の作品年譜を片手に読んでみると、新しい発見があるかも…?
鉄腕アトム ホットドッグ兵団

解説:

「鉄腕アトム ホットドッグ兵団の巻」は、月刊誌『少年』昭和36年3月号から10月号にかけて掲載されました。


読みどころ:



 ヒゲオヤジの愛犬ペロが、謎の女に囚われてしまいました。落胆するヒゲオヤジの元に、ある日ロケットに乗って、宇宙人ともロボットとも付かない、真っ青な顔をした怪人がやってきます。ところが、怪人は特にヒゲオヤジに何をするでもないまま、帰ってしまいます。怪しんだアトムは、シクロノメーターを怪人のロケットに仕込み、行く先を調べました。ロケットはベーリング海峡の小島にある、「雪の女王」のお城のような秘密基地に帰っていたのです…。


 この「ホットドッグ兵団の巻」は、『鉄腕アトム』の中でもとくに印象深い一編です。ページ数をふんだんに使った中編で読み応えがあるということもありますが、何よりも北国の雪に閉ざされた秘密基地や、美しくも冷たい心の女王に従う謎の軍団という道具立ては、ちょっと少女漫画のようにロマンチックでありながら、ホットドッグ達はパイロット服にスカーフと言ういでたちでロケットを乗りこなし、少年が喜びそうなかっこよさも備えています。ベーリング海峡の氷の海から、月までを舞台にして繰り広げられる活劇はまたダイナミックで、読み応えがあります。


 敵役のホットドッグ兵団の隊長、「44号」は、中でも特に魅力のあるキャラクターです。2001年の映画『メトロポリス』でも、ロボット刑事として登場しています。彼はロボットのようでありながら実はロボットではなく、そのために悩みを抱えています。その正体が明らかになるシーンが、この作品のクライマックスになっています。実はヒゲオヤジと浅からぬ縁のある44号とはいったい何者なのか、その後どんな運命をたどることになるのか、それは本編をぜひ読んでみてください。


 ちなみに、このお話は同じく『鉄腕アトム』の「イワンのばか」の続編でもあります。あわせて読むと、また違った楽しみ方ができます。
冒険狂時代

解説:

(手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『冒険狂時代』あとがき より) この支離滅裂な漫画の原案は、じつはぼくが中学生のときかいた一千ページ近くにおよぶ習作です。
 題名を『おやじの宝島』というこの習作は、主人公の少年武士のかわりに、例のヒゲオヤジが役をつとめていたのです(もちろん現代の服装でした)。そしてこのガムシャラな私立探偵と、フランスのガニマール警部とシャーロック・ホームズが、宝島の地図をめぐって、怪盗アルセーヌ・ルパンとあらそうという大筋だったのです。
…(中略)…
 ところが『おやじの宝島』は、どちらかというと劇画にちかいリアルな物語の上、恋愛までからんでいたので、かなり大幅に内容を変えないわけにはいきませんでした。
 そして、なぜか主人公を西部へむかう日本の少年武士にしてしまったのです。
 その名も、嵐風之助という、かっこいい名にきめました。ところが秋田書店の人が、これもなぜか“風”という字を“凧(タコ)”にまちがえて活字を組んでしまったのです。仕方なく、とんだまちがいのまま、嵐タコの助でとおすことにしました。
…(後略)…


読みどころ:




 1940年代のハリウッド映画的世界を舞台に、日本の少年武士が暴れ回る、手塚治虫式奇想天外冒険物語です。舞台をめまぐるしくカリブ海、アメリカ西部、モロッコと変えて縦横無尽に活躍する主人公はなんと日本人。名を嵐タコの助という少年武士です。奇しくもこの少年もまた、幕末日本の開国派幕臣の息子なのですが、二つに破れたナポレオンの宝の地図をめぐり、世界狭しと大冒険します。

 カリブ海の気まぐれな竜巻に運ばれた先のアメリカ西部ではカウボーイになって馬慣らしの特訓、モロッコを訪れ、外人部隊に入隊し、と思えば再び船上で海賊ブラッドと剣をまじえと、ハリウッド華やかなりし頃の映画の心躍る場面の数々を、おもちゃ箱をひっくり返したようにちりばめたハチャメチャさですが、このハチャメチャさが言ってみればこの作品の魅力です。さらにしつこくもあくどく宝の地図を狙い続ける悪役をハムエッグが演じ、最後までタコの助を追い詰めます。



 1930〜40年代の外国映画に通じていればなおいっそう楽しめるかもしれません。冒頭の海賊との戦いのシーンでカッコつけるジョン・ウェインとか、魔法使いヤシム博士が唱えた魔法「コリデエフ ニーリエフ カーシデ オリトッピ」云々などのちょっとしたお遊び。他の作品にも、映画の影響が少なからず見られる手塚治虫ですが、これほどに映画ネタをふんだんにちりばめた作品もありません。
 作者自らの元ネタ解説も作品中についておりますので、古い映画がお好きな方なら、お読みになって確かめて、ほくそえむのもまたひとつの楽しみ方かも知れません。
八角形の館

解説:

(以下手塚治虫 講談社刊 手塚治虫漫画全集『ザ・クレーター』3巻 あとがきより)


「少年チャンピオン」は創刊いらいのおつきあいですが、創刊当時は一月に二回(つまり隔週誌)発行でした。それに毎回、ぼくは「ザ・クレーター」を執筆しました。 「あばしり一家」とか「ざんこくベビー」とか、かなりどぎつい作品が揃っていたこの雑誌の中で、とにかく地味でマニア的なこういった作品を載せてくれた編集長に感謝しなければなりません。
 「ザ・クレーター」のタイトルは、別に意味はないのです。連載冒頭に、なんかしかつめらしいナレーションで解説していますが、そのときにはまだ一貫したテーマなんか決めていなかったのです。もちろん最後の「クレーターの男」なんかも、タイトルと関係はありません。
 読み切り連作は、つまり短編の集合なのでどうしても出来不出来があるし、印象も散漫になりがちです。しかしこの「ザ・クレーター」はかいていて楽しく、「空気の底」や「ライオンブックス」「メタモルフォーゼ」などの連作ほど出来の差がはげしくなく、一応のレベルを保っていると思います。
 オクチンという少年を登場させたり、読者に統一感を持たせようと苦心したものです。


読みどころ:


 中高生ぐらいにもなると、誰しも一度は将来について考えたり、悩んだりして、果たして世間や親の言うとおり、高校や大学へ行って、一流企業かなんかに入ってサラリーマンになるのが本当に幸せな人生なのか、疑ってみたくもなるものです。少年誌のページを繰りながら、熱血ボクサーや野球選手に憧れたり、最近ではマンガの影響で囲碁やテニスが流行ったりという世の中ですから、一度はあなたもマンガの主人公や有名なスポーツマン、あるいは手塚治虫のような人気漫画家に憧れて、夢見がちな将来を頭に描いたことがあるでしょう。 しかし現実というのはなかなか厳しくて、少年の頃に描いた夢をそのままかなえて成功するには相当な努力と、多少の運が必要です。夢に向かって突き進んで、もし、成功しなかったら…? あるいはよしんば成功したとしても、ある日突然、この主人公のようにジレンマに陥ったら…? 一度はそんな葛藤(かっとう)に陥ったことがある人なら、八角形の館を訪れた主人公の気持ちがよくわかると思います。


 このマンガの主人公・熊隆一はその点恵まれていて、どちらの道に進んでも表向きは輝かしい成功が待っているのですが、売れっ子漫画家の道を歩んでいた熊隆一もまた、魔女のような老婆の言葉にそそのかされて八角形の館を訪れてしまうのですから、人生は難しいものです。もしあなたがこの物語の主人公だったら、果たして八角形の館を訪れぬまま、人生を全うできるでしょうか?