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記念館企画展

  • 1995/09/07〜1995/12/19
    手塚治虫と少女漫画展

  • (1995/09/07)

  •  戦前から少女向けの雑誌は存在していた。しかし、それらは少女たちに良き母、良き妻の心得を得させるものであり、内容的には装飾的な挿絵が添えられた"少女小説"だった。
     また少女雑誌の中のマンガは日常における人々の滑稽をシンプルな線で表現したものが主で、ストーリーを重視してはいなかった。
     昭和28年、手塚が雑誌「少女クラブ」に「リボンの騎士」を発表する。すでに「ジャングル大帝」や「鉄腕アトム」でその名を不動のものにしていた手塚は、この作品で少女雑誌にもストーリーマンガを導入することになる。ストーリーマンガの特徴は、文学的に裏付けされた高度なストーリーと映画的手法を用い、大胆な構図や動きを感じさせる絵をもつことである。手塚がこれに伝統的な装飾的絵画の要素を加えたことで、少年誌とは別物の、少女マンガという新たなジャンルが誕生する。しかし、少女マンガが発展したのは手塚の力だけではない。この時期、意欲的な男性作家は少女向けマンガを次々と発表していく。一方、女性作家たちは、装飾絵画の流れを継承しながらも、ストーリー性や新手法により魅力的なマンガを発表する。女性の感性が描き出す作品は少女読者により深く受け入れられ、後の多くの少女マンガ家たちにも影響を与えた。
     昭和50年代"24年組"と呼ばれる一連の作家たちによって少女マンガの世界に一種の変革が起こる。彼女たちの視点は憧れという非日常よりも人間個人のもつ、生と死、孤独や運命などに向けられていくのである。彼女たちはマンガのストーリー性を当然のものとして受けとめ、独自のスタイルや表現を求めた。彼女たちにより少女マンガは高い文学性を備えた芸術へと昇華していく。
     本展では、少女マンガの歴史を振り返り、発展過程を知り、マンガが文化として確立した現代の中で、少女マンガというジャンルがもつ意味を探る展覧会とする。



    第1部 戦前の少女雑誌
    第2部 少女漫画の黎明
    第3部 内面へ、芸術への昇華



    第1部 戦前の少女雑誌
    --アール・デコ、装飾絵画--

     戦前の少女雑誌は、1910年頃からフランスで盛んになったアール・デコの運動に影響を受けた作家たちによる、装飾絵画の挿し絵に文章が添付された読み物であった。この挿し絵の特徴は、背景にデザイン化された幾何学模様や誇張された花柄を扱い、洗練さ、清潔感、どことなく西洋を感じさせるようなバタ臭さを持った美少女が描かれるというもので、当時の少女読者が誰でも夢見るような状況をテーマとしていた。しかしストーリーとの連動や、絵そのものがコマに沿って流れるといったような、いわゆる漫画としての要素はなかった。
     勿論少女向けの漫画が存在しない訳ではなかった。これらは誰にでも共通な日常の体験などからユーモラスな軽妙・滑稽を表現したり、ペーソスのきいた風刺を表現することに主眼がおかれていて、高度なストーリー性を持ち合わせているものではなかった。









    第2部 少女漫画の黎明
    --手塚治虫の役割--

     昭和28年、手塚は雑誌「少女クラブ」に『リボンの騎士』を発表する。すでに手塚は、戦後すぐの赤本マンガで売れっ子作家になっており、昭和25年には「漫画少年」に『ジャングル大帝』を、昭和27年には「少年」に『鉄腕アトム』を発表して、その名は全国区になっていた。手塚は『リボンの騎士』で少女漫画の世界にもストーリーマンガを導入する。それは高度で文学的に裏付けされたストーリーと、クローズ・アップや変化する視点、擬音や陰影の効果などの映画に使われる手法を用いてコマ割をつくり、大胆な構図や動きを感じさせる絵を取り入れたのである。これだけでは少年漫画と同じだが、手塚はアール・デコの運動より少女漫画に受け継がれていた装飾絵画の要素を作品中にちりばめることによって少年漫画とはひと味違うものを完成させた。
     この少女雑誌における手塚のストーリーマンガ導入は当時の作家たちにも影響を与えた。昭和32年にわたなべまさこは『やまびこ少女』という長編連載を開始し、昭和35年には牧美也子が『マキの口笛』で少女漫画の装飾絵画性に新風を吹き込んだ。水野英子は昭和31年から昭和34年にかけて連載した『銀の花びら』で大胆な構図やコマ割で映画的な手法の導入を推し進めてゆく。つまり、少女漫画の黎明期は装飾絵画的挿し絵画を持つ漫画の中に、高度なストーリー性や大胆な構図、映画的な手法による表現が導入された萌芽期であった。












    第3部 内面へ、芸術への昇華
    --「24年組」の活躍--

     昭和50年代に入ると少女漫画の世界に一種の変革が起こる。それまでの少女漫画家たちは、ギリシャやローマの神話、外国、バレエなどを扱ったものが多いことでもわかるように、読者があこがれるような非日常をテーマに描いていた。しかし、いわゆる「24年組」と言われる一連の少女漫画家の登場によって世界は変化する。それまでの非日常への憧れは結局、日常への強い意識となり、個人の再認識へと向かった。個人の存在という問題に少女漫画は入っていったのである。 手塚や手塚周辺の少女漫画を読んで育った「24年組」の作家たちは特にこの傾向が強かった。そして彼女たちの視点は人間個人が持つ複雑な生と死、孤独や運命などに向かっていったのである。「24年組」が育った時代は貧しい戦後を抜け出し、高度成長に突入した時代でもあった。
     この時期に少女漫画のテーマが個人の内面に向かった動機は、マンネリから脱出して新しい作品(もの)を創ろうとするルネッサンスなのか、それとも拡大する経済による社会の歪みへの反省なのだろうか。いずれにせよストーリーマンガは「24年組」には当然のものとして受けとめられていた。そしてより深く、より彼女たちの人生と結びつき得るものを求める心と、独特のスタイルの確立を模索すること、真実の表現を強く求める個人の要求が合致し、少女漫画は高度な文学性を持ち、表現として確立し芸術へと昇華してゆくのである。






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