ニュース

虫ん坊

TezukaOsamu.net/jp > ニュース > 記念館企画展 > 1996/05/02〜1996/09/03 手塚治虫のメタ・・・

記念館企画展

  • 1996/05/02〜1996/09/03
    手塚治虫のメタモルフォーゼ展

  • (1996/05/02)

  •  手塚治虫は幼い頃よりディズニーに憧れ、「バンビ」を80回、 「白雪姫」を 120回も見てアニメーションや観客の反応を研究したといいます。
     しかし、手塚が昭和38年、日本で最初の連続テレビアニメーション「鉄腕アトム」を放送したとき、 そのアニメーションは「リミッドアニメーション」と呼ばれる、 ディズニーのように“動き”を中心として制作されたアニメーションではなく、 “動き”はあくまで制限されながらも“ストーリー”に重点をおいたアニメーションでした。 当時ディズニーのアニメーションなら、30分の作品で1万5千枚ぐらいの動画枚数が必要であったでしょう。
     しかし、手塚が始めた「鉄腕アトム」は2千枚ぐらいの動画枚数で制作されたのです。 そのことが1週間に1回の放送を可能にする必要条件でありました。 こうしてディズニーのアニメーションに憧れながらも、手塚によって始められた日本のテレビアニメーションは、 その黎明期より、制作的に動画枚数の制約を受けながらディズニーとは違った方向へ歩みだすのであります。 しかし、手塚は生前「アニメーションとはメタモルフォーゼがすべてであり、 これのないアニメーションはまったく魅力を感じない。」と述べております。 メタモルフォーゼとは、あるものが次々に形の変わっていく変形や変身のことで、 ストーリーを重視したリミッドアニメーションでは制作上、動画枚数を使うために敬遠される手法であります。 なぜ、手塚は自ら“ストーリー”を重視し、“動き(枚数)”を制限したアニメーションを開発しながら、 “動き”を要求するメタモルフォーゼの手法に固執したのでしょうか。
     本展では、500本からの手塚アニメーションや漫画原稿から、数々あるメタモルフォーゼの種類を6つのパターンに分類し、 その特徴を映像とパネル展示により来館者にわかりやすく展開し、手塚作品におけるメタモルフォーゼの意味を探る展覧会とします。




    A 「動き」の強調
    B 「動き」の滑らかさ
    C 「動き」の華やかさ
    D 「動き」の突然性
    E 「動き」での恐さ
    F 精神的な意味「動き」の華やかさ



    A 「動き」の強調としてのメタモルフォーゼ

    単純な動きの繰り返しカットを多用し、その結果今までとは違ったものができるというようなメタモルフォーゼのことです。

    メタモルフォーゼ概論

    「メタモルフォーゼ」を直訳すると「変容」です。 「変容」とは全体の様子がすっかり変わることで、姿を他のものに変えるという意味の「変身」とほぼ同じものとして考えてよいでしょう。よく映画雑誌などで俳優さんに「演技をやっていて何が楽しいですか?」という質問に対して、彼らはこう答えています。「普通の人は1回の人生しかないが、我々は役の上で何十人もの(つまり何十、何百人分もの)人生を演ずることができる。これが我々の仕事の最も楽しいところだ」と・・・その楽しいことを日々繰り返しながら生活しているのですから、それはよいものに違いないでしょう。(毎回「変容」しているのですから)これをもし、実写映画の世界ではなくアニメーション映画の世界に置き換えると、絵の上で自由自在な造物主の感覚を味わえるということになります。さらに実写の世界では出来ないキャラクターの自在な変身。あるときは、全く異質な物体に変身させることも思うままなのです。この点に興味をもち、こだわり、様々な「メタモルフォーゼ」の世界を実現させたことが、手塚治虫のアニメーションの他の追随を許さない特徴となっているのです。何十人分もの人生を生きる役者の楽しさに通じるもの、さらにそれを上回る創造をアニメーションは楽々やってのけるのです。勿論、アニメーションをつくる上での苦労・苦難はついてまわりますが・・・。





    B.「動き」の滑らかさとしてのメタモルフォーゼ

    AからBへ形が変化することがメタモルフォーゼの本質ですが、単に形が変わるというだけでなく、いかに滑らかに、躍動的に、生々しくあたかも命を感じさせるように変化させるかということに主眼がおかれたメタモルフォーゼのことです。手塚はこのタイプのメタモルフォーゼに一種のエロティシズムを感じていました。


    メタモルフォーゼの技術的なことについて

    実際に紙の上でメタモルフォーゼのアニメーションを描いてみると技術的に大別して2通りに分けることが出来ます。例えばAというキャラクターからBというキャラクターに変わる場合、タイミング的なものや大きさを別として素直にそのまま中の絵をつくって、次々に中の絵をつくるというように、間を埋めてゆく作画法でメタモルフォーゼしてゆくことを「中割り」と言い、最も基本的な絵の動かし方です。もう一つのやり方は、Aという形とBという形と、全く違った形を真ん中に持ってきて、見ている人が次はどのような形になるのか予想がつかないうちに、Bというキャラクターに変容します。こちらのメタモルフォーゼは、動きにアクセントがつくので、見ていて断然面白いものです。しかし、どちらが良いかという問題ではなく、動かし方はその演出方法によって変わるものなのです。勿論、両方のやり方を併用する場合もあり、アクションの時間によって中間の絵の描き方も変わってきます。メタモルフォーゼとは、大変面白い効果なのです。かつての日本のアニメーション作品は、ドラマの面白さ+キャラクター+メタモルフォーゼがとてもうまくかみ合っていたものですが、近来はメタモルフォーゼの要素はほとんど使われなくなってしまいました。これは、アニメーターの責任というより、商業的に制作枚数の制限を受けざるえない演出法の問題かも知れません。また深刻テーマの作品にも劇中にアニメスティックなシーンを取り入れ、見事なメタモルフォーゼをいかしているディズニー作品は、やはり無視できないものがあります。意味のないメタモルフォーゼの濫用は避けるべきではありますが、メタモルフォーゼは、効果的に使われれば、今のところはCGより暖かく描き手のイメージを生き生きと表現できる有効な手段になると考える次第です。「メタモルフォーゼの復権を!」と声を大にして言いたい。





    C 「動き」での華やかさとしてのメタモルフォーゼ

    これは手法的にはBに近いのですが、図形的な模様の変化などからエロティシズムや生命感というより主人公や場面を盛り上げるための華やかさを感じられるものです。

    手塚治虫とメタモルフォーゼについて

    手塚治虫はアニメーション及びメタモルフォーゼについて次のように語っています。『アニメーションとは、生命の無い物に生命を与える芸術です。自分の描いた絵が動き、色がつき、声を出す、一種の造物主の優越感を感じ、生命を与えたということがすごく楽しいのです。特にその中でもアニメーションをつくっていて、メタモルフォーゼを描いていると楽しくて仕方がない。自分にとってメタモルフォーゼの無いアニメーションは全く魅力を感じないのです。』"ジャンピング"よりメタモルフォーゼとは、ある形のものが似ているもの、あるいは全く違う形に変化していくことで、それは人間から動物のこともあるし機械(非生物)同士のこともあります。また、全く異なる人格に変化し、変化したキャラクターにその前のキャラクターとは異なる動きを与えるものも、広い意味でのメタモルフォーゼといえるでしょう。それは、『リボンの騎士』のサファイアと、亜麻色の髪の乙女(男役と女役)を代表とする「精神的または心理的なメタモルフォーゼ」で手塚作品にしばしば表現されています。



    D 「動き」の突然性としてのメタモルフォーゼ

    これは非常に一般的な手法でAが突然Bに変化するというものです。よくギャグに使われます。

    メタモルフォーゼの現在

    手塚治虫が愛したメタモルフォーゼは、制約の多いTVアニメーション(商業アニメーション)の作家としてのひとつの表現であり、またアニメーションをつくる上での必然的要素でもあったと思われます。意味のあるメタモルフォーゼにするため、ストーリー上にドラマの中へそのようなキャラクターを必然的に登場させているくらいなのですから、手塚治虫にとってそれは、アニメ的遊び以上の表現形式だったのです。異なるキャラクター同士をなめらかに、またアクティブに面白くつなぐために手描きのアニメーションは、その想像力をフルに活かせる技術(芸術)です。 しかし、現在ディズニーなどを除くとほとんど使われていないのは、どういうことなのでしょうか。特に日本のストーリー主義のアニメーションには全くといってよいほどメタモルフォーゼを見かける事はありません。むしろその伝説は、特撮やSFXのハリウッド大作に引き継がれているように見えます。『ターミネーター2』やピーター・タイアムズの『タイムコップ』などの部分的あるいは全身にわたるメタモルフォーゼは、かつての手塚アニメを連想させます。生物が金属などに変型するのですから、勿論手描きのアニメーションではなくコンピューターグラフィックス(CG)を使ったSFXなのですが、その精神はメタモルフォーゼのアニメーションそのものではないでしょうか。





    E 「動き」での恐さとしてのメタモルフォーゼ

    未知なる生物を作り出したり、得体の知れぬ怪物を登場させるときにメタモルフォーゼの手法は利用しやすいのです。煙が変化して幽霊になったり、岩が変化して怪物になってゆくなどまさにアニメーションならではの手法であります。
    ―手塚アニメはやはりメタモルフォーゼである―
    (手塚アニメの中のメタモルフォーゼ)


    今回、手塚治虫記念館企画展ということで、ほとんどの手塚アニメを見ました。 『ある街角の物語』のような実験アニメ、『鉄腕アトム』のようなTVシリーズ、『火の鳥2772』のような劇場長編アニメ、『バンダーブック』に代表される「24時間テレビ・スペシャルアニメ」など、これら500本近いアニメーションを見て、手塚本人が関わっている作品に、より多く効果的なメタモルフォーゼが使われていることが解りました。これほどまでに、つづけて手塚アニメを見た人はいなく(休み休み見ていたら、おそらく1年以上かかるものと思われますが、今回の企画展のために約50日で見終わることができました。)推測でしか無かったことがはっきりと解ったのは、手塚アニメ研究としては1つの発見かも知れません。『鉄腕アトム』を例にとってみましょう。初期の白黒版の『鉄腕アトム』の中でも前半にはメタモルフォーゼが多いのですが、後半はあまりありません。また、1980年につくられたカラー版新『鉄腕アトム』は、いくつかの例外を除くと前回ほどのメタモルフォーゼはありません。新『鉄腕アトム』では手塚は雑誌執筆の仕事量の増加のため、シナリオや絵コンテ、演出などを他人にまかせる話数もありました。不思議なことに手塚以外の演出による作品はメタモルフォーゼの表現も少ないことがわかりました。やはり手塚が考えているほど、他の人はメタモルフォーゼを重視してはいないか、またはメタモルフォーゼをうまく使ったアイデアを考え出せなかったといえそうです。手塚はヨーロッパなどで「エロチックなアニメ作家」言われたそうです。(ここでいう「エロチック」は、「エログロ」の「エロ」では勿論ありません)蛇が体をうねるらせて女性になったり(『千夜一夜物語』)、植物人の女がその体を地に沈め、みずみずしい樹木に変身していく(『バンダーブック』)。そういった動きが丁寧なフル・アニメーションで描写されていく時、不思議な躍動感、生々しさ、生命を感じます。その"生命を感じさせる動き"は言葉ではなく、世界の人々に認識できます。その辺が「エロチックなアニメーション」と言われた由縁ではないでしょうか。





    F 精神的な意味においてのメタモルフォーゼ

    代表的な例として『リボンの騎士』において「サファイヤ→亜麻色の髪の乙女」があります。単なる変装というよりは、それぞれの性になりきるという、手塚治虫だけが意識して用いたモチーフで、メタモルフォーゼ表現の中でも特殊な例といえるでしょう。
    手塚治虫 講談社全集『メタモルフォーゼ』より

    『ぼくは"変身もの"が大好きです。なぜ好きかというと、ぼくは、つねに動いているものが好きなのです。物体は、動くと形が変わります。いつまでも、静かだったり、止まっているものを見ると、ぼくは、イライラしてきます。動いて、どんどん形が変わっていくと、ああ、生きているんだな、とぼくは認め、安心するのです。ぼくはちいさいころ、よく、こんな夢を見ました。なんだかわからないグニャグニャしたものが、ぼくのペットなのです。ぼくは、そのペットを連れて町を歩いています。そのグニャグニャしたものは、人間のようになったり、ウサギや犬や鳥になったり、奇妙な怪物に変わったりします。ぼくはそれを、すごくかわいがって友だちのように仲よくしているのです。ぼくは、アニメーションにこり出したのもアニメだと、変身―メタモルフォーシスが自由に、奔放にできるから夢中になってしまったのでしょう。こういうわけで"変身"は、ぼくのマンガの大きなひとつの要素です。調べてごらんになるとおわかりですが、どのマンガにも、どこかに、変身―姿を変えたもの―のテーマがかくれています。リボンの騎士も、アトムも、0マンも、マグマも、ビッグXも、もちろんW3や三つ目や悟空など、変身ものの典型でしょう。そこで、この「メタモルフォーゼ・シリーズ」も、そのつもりで、いちばん出しやすいテーマのシリーズのつもりで連載を始めたのです。』この文からもわるように、手塚治虫はなにより変容=メタモルフォーゼが、体質的に好きでした。ストーリーを進めていくうちに、たまたまメタモルフォーゼの要素が出てきたということも勿論あったでしょうが、メタモルフォーゼをひとつのテーマとして、物語をつくっていたことも多かったのではないかと推察されます。それが、コマ割りの印刷漫画より、本当に動いてみえるアニメーションにメタモルフォーゼの魅力=アニミズム(ものにはどんなものにも生命が宿るという原始思想)を感じ、自身の作品に投影していったと考えるのが自然でしょう。また、自身が幼少の頃から昆虫少年であったことも一つの要素としてみのがすことはできないと思われます。昆虫の完全変態は御存知のように、もし全く知らない人間が見たら想像のできないような不可思議な変容をやってのけます。特に幼虫から蛹に至る過程は短時間(ほとんど60分おきくらいで形が変わっていくのが肉眼でわかりメタモルフォーゼそのものの様子を示します)のうちに、本物の生命が変化していきます。そんな光景を手塚少年は何度も観たに違いなく、これをもっと短時間のうちに自分の絵でつくれたら、さぞ楽しいだろうと無意識のうちに感じたこともあったかもしれません。こういった影響力も大人になって漫画――アニメーションを制作するようになって現実化したわけです。


  •  

  • コメント一覧

  • コメントを入れる ネーム
    コメント

最新ニュース