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記念館企画展

  • 1997/09/04〜1997/12/21
    第1回 手塚治虫文化賞 受賞記念

  • (1997/09/04)

  • マンガ大賞 藤子・F・不二雄『ドラえもん』展

    同時開催

    マンガ優秀賞 萩尾望都『残酷な神が支配する』展

     特別賞    内記稔夫『現代マンガ図書館の設立と運営に対して』


     1997年6月第1回「手塚治虫文化賞」(朝日新聞社主催)の受賞作品が発表されました。この「手塚治虫文化賞」は昨年中に発売された全てのマンガ単行本を対象に、 25人の選考委員による持ち点制による投票で決定されました。
     受賞作はマンガ大賞に藤子・F・不二雄氏の「ドラえもん」、マンガ優秀賞に萩尾望都氏の「残酷な神が支配する」が選ばれました。またマンガ文化の発展に貢献した事業や功績に贈られる特別賞は東京の早稲田で現代マンガ図書館を運営する内記稔夫氏に贈られました 。

     手塚治虫は戦後、デビュー以来ずっとストーリーマンガを描き続けてきました。このストーリーマンガによって、日常の滑稽や政治の風刺を描くものという従来のマンガの考えを変え、マンガに心理描写や哲学的思想、SF、ギャグを盛り込み多くの人々の支持を獲得しました。今日、日本マンガが国際的にも日本を代表する文化の一つにまで発展したのは、この手塚によるストーリーマンガによる部分が多いと言われております。
     「手塚治虫文化賞」はマンガ文化が手塚の志を引き継ぎ、二十一世紀に向けさらに発展することを願って設けられました。従って第1回の今回1951年デビュー以来一貫して少年マンガを描き続けてきた藤子・F・不二雄氏と少女マンガは良き花嫁、良き妻になるための読み物であるという考えに革命をもたらし、より人間心理の内部、細部に光をあてその底にあるものを描くことによりマンガを純文学のカテゴリーまで広めた萩尾望都氏が選ばれたのはまさに本賞の主旨に沿った結果であると思われます。またともすれば散逸しがちなマンガ本やマンガに関わる資料を広く収集し、公開することにより日本マンガの歴史や軌跡が万人に共有される場を提供し続けてきた内記稔夫氏の功績も、まさに二十一世紀へ向かうマンガ文化の発展の礎になるものと考えられます。
     本展では藤子・F・不二雄氏と萩尾望都氏の受賞作が登場してくる状況や時代背景を作家の活動やその時代の代表作による年表により展開し、受賞作「ドラえもん」、「残酷な神が支配する」の直筆原稿展示や解説パネルによりその魅力に迫りたいと考えております。また現代マンガ図書館のユニークな活動はビデオ映像で紹介いたします。


    ・マンガ大賞   藤子・F・不二雄 「ドラえもん」展
    ・マンガ優秀賞  萩尾望都     「残酷な神が支配する」展
    ・特別賞     内記稔夫     「現代マンガ図書館の設立と運営に対して」



    マンガ大賞 藤子・F・不二雄 『ドラえもん』展

    「ドラえもん」は1970(昭和45)年、小学館の『小学一年生』から『小学六年生』までという対象学年別に同時連載で開始されました。当時の漫画業界は劇画隆盛の時期でベビーブーム世代の成長と共に、青年漫画の台頭が始まり、児童漫画の輝きは次第に薄れていきつつある中で「ドラえもん」は誕生しました。今では単行本(てんとう虫コミックス)の売上が八千万部以上、二度のテレビアニメ化、劇場用長編十八作など、国民的ヒーローともいえる「ドラえもん」ですが、それまでにはもうしばらくの時間が必要でした。また、「ドラえもん」が国民的ヒーローになったのは時間のみではなく、藤子・F・不二雄氏が執筆活動の基軸を児童漫画から少しも動かすことなく、自分が本当に描きたい夢を、信念を持って黙々と描き続けてきた不断の努力の結果なのです。











    (C)藤子・小学館・テレビ朝日
    第一部 作家 藤子・F・不二雄

     「ドラえもん」をはじめ「オバケのQ太郎」や「パーマン」、「21エモン」など、数多くの国民的ヒーローを誕生させた藤子・F・不二雄氏(本名 藤本弘)。 1933(昭和8)年12月1日、富山県高岡市に生まれた藤子F氏は1944(昭和19)年、小学校で安孫子素雄氏に出会ってから共に長い漫画道を歩き続けることになります。 1951(昭和26)年にデビューしてから1996(平成8)年に絶筆するまで、45年にわたって描き続けた作品は、児童漫画中心に歩み続け、数多くの読者に夢や希望を与え続けました。第一部では藤子・F・不二雄の生涯を代表作品の原稿や、複写パネル、ご本人の写真などを交え、年表として展示いたします。また、ショーケース内にはデビュー前の藤子氏が作った肉筆回覧誌「少太陽」や、藤子氏初の単行本「UTOPIA 最後の世界大戦」など貴重な品を展示いたします。

    第二部 「ドラえもん」の魅力


     1970(昭和45)年から二十数年以上連載されている「ドラえもん」ですが、現在も変わらぬ人気を保っていられる理由"魅力"とは何でしょうか。ひとつは驚異的に持続したそのSFマインドと日常的なギャグの合体。また児童漫画本来の童話性をもって、さりげない知性と品位で描きあげてあり、それゆえに「おとな」ですら楽しめるという作品自体としての魅力でしょう。また他方でドラえもんの四次元ポケットの中から次々と繰り出されるひみつ道具にあります。ドアをひとつ開ければどこへでも行けてしまう「どこでもドア」や、空を自由に飛べるプロペラ「タケコプター」など、夢や希望を与えてくれるひみつ道具は多くの人達を魅了します。第二部は「ドラえもん」の魅力を探るべく、ふたつのカテゴリーに分けて展示していきます。

    カテゴリー1 作品原稿展示による作品としての魅力

     雑誌に連載された「ドラえもん」の原稿の中から数編を選び、額装、原稿展示をします。

    カテゴリー2 ひみつ道具100選


     「ドラえもん」の中で登場した数多くのひみつ道具の中から100選を選考し、パネル展示をします。また、その中のいくつかを立体で製作、展示いたします。



    特別賞 内記稔夫 『現代マンガ図書館の設立と運営に対して』

    「現代マンガ図書館」は、18歳の頃から貸本業を営んでいた館長の内記稔夫氏が自らのコレクション、約二万七千冊と、協力者から集めた約三千冊をもとに1978(昭和53)年11月、東京都新宿区早稲田鶴巻町にオープンした国内初の本格的マンガ資料館。昭和20年代の貴重な作品群をはじめ、マンガ単行本、マンガ論、雑誌などを網羅。蔵書は現在、約十四万タイトルに及び、他に類を見ない貴重な施設となっている。年間利用者約六千人。マンガを庶民文化のひとつとして捉え、資料として収集・分類・整理、保存を目的とする機関が皆無に等しく、これを憂い、マンガ保存の必要性を認識し、使命感に燃えた一部の熱心な人の協力で設立した現代マンガ図書館の必要性はこれからもっと問われていくものと思われます。

    ここでは映像による館の説明と内記氏のインタビュー、パネルによる館の様子や解説を展示をいたします。






    マンガ優秀賞 萩尾望都 『残酷な神が支配する』展

    「残酷な神が支配する」は1992(平成4年)から小学館の隔月刊誌『プチフラワー』に現在も連載中の作品です。作品のタイトルの由来はアイルランドの詩人・劇作家W・B・イェイツが、その自伝の中で言った言葉だそうです。この作品は同性によるセックスによるいじめという現代的なテーマから入り、青年の悩みや悲しみを通し、同時にヒューマンな人間関係を求めつつ苦悩する主人公の心を描いています。

    作家 萩尾望都

    1949(昭和24)年5月12日、福岡県大牟田市に生まれる。高校時代に手塚治虫の「新選組」を読んだ萩尾望都氏はそのストーリーの中にある、主人公の回答のない心の葛藤、作品の緊迫感、緊張感にショックを受け漫画家を目指すことになります。 1969(昭和44)年、「ルルとミミ」で漫画家としてデビューした萩尾氏は当時やはりデビューした竹宮惠子氏、山岸凉子氏等とで"花の24年組"と呼ばれ、少女漫画界に新たな旋風を巻き起こしていきました。

    原稿展示 「残酷な神が支配する」の魅力

    「残酷な神が支配する」には、19世紀後半から20世紀初頭にかけて登場してくるアール・デコの絵画様式が作品中にちりばめられ、ボストンやロンドンという少女漫画固有の外国志向の舞台設定という王道が踏まえられている。それでいて、ストーリーは単に少女の憧れや夢を描くという、ありふれた少女漫画のストーリー展開にはならず、手塚治虫に起源をもつストーリーマンガとしての高度で複雑な展開をしている。 そこで語られるものは、"少年への性への虐待"という、反社会的で重いテーマである。しかし、性を売り物にするのではなく、性はストーリーを支える表現の一部として扱われている。私たちが、このストーリーを読み込むにつれ、主人公ジェルミの心理の奥に入り込み、主人公と一体化してしまうのは、そこに語られているもののリアリティーに心酔し、作家萩尾望都氏の人間観察力の鋭さの虜になってしまう為ではないだろうか。


    (C)萩尾望都
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