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記念館企画展

  • 1998/01/01〜1998/04/21
    手塚治虫 実験アニメーション展

  • (1998/01/01)

  • 手塚治虫の代表アニメーション作品というと、誰もが「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」などのテレビアニメーションを思い浮かべることでしょう。事実、日本のテレビアニメーションシリーズは手塚の「鉄腕アトム」の放送によって始まり、現在では「ジャパニメーション」と呼ばれるほどの日本のパワフルな文化のひとつにまで成長しました。
    しかし手塚が一番最初に制作したアニメーションは「ある街角の物語」という38分の中編の映画です。この作品はテレビ放送や劇場上映を目的として制作されたものではなく、純粋にアニメーションを研究するために作られました。
     特に「ある街角の物語」は音楽が先に作曲され、その音楽に合わせて絵があとからつくられました。現在このように音楽を先に作って制作しているテレビアニメはほとんどありません。またこの映画の最終の場面は、「5段密着マルチ撮影」という5種類の背景を少しずつ違う速さで動かす手法によって、立体感を非常に感じさせる仕上がりになりました。この効果を出すために手塚は何メートルもある背景を作画したり、撮影カメラや撮影台の改良を行いました。
     このように「実験アニメーション」とは放送や上映等の商業的な目的で制作されるアニメーションではなく表現の可能性を追求するために制作されるアニメーションのことを言います。手塚治虫の実験アニメーションはその生涯において14本制作されました。その全てに特定のスポンサーはなく、手塚の個人負担で制作されております。
    本展では、手塚が制作した実験アニメーションについて、その特徴や手塚の実験内容にスポットをあて、手塚のアニメーションにおける実験アニメーションの意味を明らかにしたいと思います。

    <Introduction> ある街角の物語 「手塚治虫初の、アニメーション作品」
    <第一部>    手塚治虫実験アニメーションの手法論1
    <Intermission> 空白の16年
    <第二部>    手塚治虫実験アニメーションの手法論 2



    Introduction <実験アニメーションってなに>

     手塚治虫の代表アニメーション作品というと、誰もが「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」などのテレビアニメーションを思い浮かべることでしょう。事実、日本のテレビアニメーションシリーズは手塚の「鉄腕アトム」の放送によって始まり、現在では「ジャパニメーション」と呼ばれるほどの日本のパワフルな文化のひとつにまで成長しました。
     しかし手塚が一番最初に制作したアニメーションは「ある街角の物語」という38分の中編の映画です。この作品はテレビ放送や劇場上映を目的として制作されたものではなく、純粋にアニメーションを研究するために作られました。特に「ある街角の物語」は音楽が先に作曲され、その音楽に合わせて絵があとからつくられました。現在このように音楽を先に作って制作しているテレビアニメはほとんどありません。またこの映画の最終の場面は、「5段密着マルチ撮影」という5種類の背景を少しずつ違う速さで動かす手法によって、立体感を非常に感じさせる仕上がりになりました。この効果を出すために手塚は何メートルもある背景を作画したり、撮影カメラや撮影台の改良を行いました。
     このように「実験アニメーション」とは放送や上映等の商業的な目的で制作されるアニメーションではなく表現の可能性を追求するために制作されるアニメーションのことを言います。手塚治虫の実験アニメーションはその生涯において14本制作されました。その全てに特定のスポンサーはなく、手塚の個人負担で制作されております。
     本展では、手塚が制作した実験アニメーションについて、その特徴や手塚の実験内容にスポットをあて、手塚のアニメーションにおける実験アニメーションの意味を明らかにしたいと思います。


    展示物

    直筆原稿展示「ガチャボイ一代記」
    移動映画館風テント「ある街角の物語」スクリーン上映
    ある街角の物語」に登場するポスター

    ビデオ上映


    販売されていない実験アニメーション1   「めもりい」・「おす」・「創世記」















    第一部
    手塚治虫にとって「実験アニメーション」とは
    「ディズニーアニメーション」の解体であった

     ………1秒間に12枚の絵を使って動かす技術がいかに枚数を無駄にくうかということなんです。いいかえればですね、ディズニーが今のアニメーションをひどいものにしてしまったということで、ひどいものというのはいい意味でありまして、つまりアニメーションは本来からいうと誰でもつくれるもんではないかと思うんです。ところがこれだけの枚数と、これだけの規模と、これだけのお金がかかって、やっとこういうものができるんだぞという見本みたいなものをディズニーはつくってしまって、それが一つの先入観ていうか既成事実になってしまったために、それからのアニメーションはみんなディズニーのまねをして、ものすごくお金をかけて、時間をかけて、人数をたくさん集めてつくらなければアニメーションじゃないというような風潮になってしまった。

     ………私自身はアニメーションというのは本来素人が機会さえあればつくれるもんじゃないかという気がしてました。もっとアニメーションの枚数を減らして、人数も減らして、動きを簡単にしても、やはりアニメーションはできるんじゃないかというんで、徹底的にディズニーを忘れ去って簡単に作る方法を探ろうとして、そして虫プロダクションというものをつくったんです。

     ………そして一番最初につくったのが「ある街角の物語」という、この文字通り街角の話でありまして、街灯が立ってて、樹があって、そこにポスターがいっぱい貼ってある、もう全然動いてないんです。そのかわりに、これは40分近くの映画だったんですけど451カットというカット数を入れたんです。451というカット数になりますと、中には0.5秒というカットもあるわけです。………確かに見てるとボンボンボンボン変わるわけです。………そのおかげで止まっている街灯とかポスターとか、そういったようなものが動いてはいないんですけど、カット変わりで見られる。そういうのがアニメーションだろうと私は思ったんですね。それをこの虫プロダクションの一つの特色にしようというんで「鉄腕アトム」に入ったわけです。


    この手塚の1988年2月13日の朝日賞受賞記念講演の内容からも分かるように、手塚にとって最初のアニメーション作品である「ある街角の物語」は、ディズニーの、時間や人手、費用のかかるアニメーション制作過程へのチャレンジであり、解体作業であった。 この「街角」の成果によって手塚は世界で初めての連続テレビアニメーションシリーズ「鉄腕アトム」の制作に入ってゆくことができたのである。

    展示物 資料映像 手塚治虫実験アニメーションの手法


    A:フルアニメーションとリミテッドアニメーション
    B:合成・半露出(ダブラシ)
    C:密着マルチ・透過光
    D:音楽とのシンクロナイゼーション 「展覧会の絵」イメージパネル 展示ケース1 「5段密着マルチ」再現物















    インターミッション
    手塚治虫の「実験アニメーション」の制作期間には空白の16年が存在する

     この年表からも分かるように、「ある街角の物語」「おす」「めもりい」「人魚」「しずく」「たばこと灰」「展覧会の絵」「創世記」の8本の実験アニメーションが1962年から1968年の6年間で発表されています。 しかし9番目の実験アニメーションになる「ジャンピング」が発表されたのは,1984年であり、その間の16年間には1本も制作されていません。この空白の16年は何を意味するのでしょうか。
     この間にテレビアニメーションは、「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」「W3(ワンダースリー)」「悟空の大冒険」「リボンの騎士」「バンパイヤ」「どろろ」と続き、1969年には初の大人のためのアニメーション映画「千夜一夜物語」「クレオパトラ」と盛んに制作されています。 また手塚が統治する虫プロダクション以外のプロダクションでも、盛んにテレビアニメーションが制作され、第一次のテレビアニメーション全盛時代をむかえるのです。 その後1973年に虫プロダクションの倒産という事態により、テレビアニメーションや劇場アニメーションの制作が行なわれない期間が5年ほどありますが、1978年には日本初の2時間アニメーション「バンダーブック」によって手塚のアニメーションはテレビに復活します。
     このように手塚のテレビや劇場用のアニメーションは手塚の生涯において比較的コンスタントに制作されているのに対して、実験アニメーションの制作には偏りがあります。虫プロ初期の実験アニメーションはその多くがディズニーの解体、つまり、時間と労力と費用をかけないアニメーションの開発、そしてその開発が週に1度の放送を可能にし、テレビアニメーションを産業として確立させたのでありましが、16年後に制作された「ジャンピング」をはじめとし、「おんぼろフィルム」「森の伝説」と続く実験アニメーションの制作は、当初と同じ目的で製作されたのでしょうか。


    展示物

    手塚治虫と音楽 ジュークボックス型展示物 実験アニメーションと商業アニメーションの対比年表








    第二部
    手塚治虫の晩年の「実験アニメーション」は
    再び「ディズニーアニメーション」に象徴される「動き」への回帰であった

     私のアニメーションをつくる目的として、やはりなんか一つの開拓というか、実験的な試みをしてみたいという気持ちがあって、実験的なアニメーションをつくることが私の信条だったわけです。 しかし、そのためにお金をつくらなきゃならない、お金を集めなきゃならない。それだったらやっぱりちょっと打算的にいろいろ割り切ってしまって、テレビアニメーションも劇場用アニメーションもしようがないなあと思って、そして劇場用アニメーション、テレビアニメーションに手を染めてたわけです。 だからそれが猫も杓子もみんなどのプロダクションもテレビアニメーションを始めてしまうと、こっちはバカバカしくなって、テレビアニメーションやめてしまったんだけど、少なくとも私の気持ちの上で、私のつくるのはテレビアニメーションじゃないんだと、実験的なアニメーションでその中に一つでも自分の開拓精神みたいなものを満足させてくれる要素があればいいんだ、という気持ちでつくってるんです。

     ………こういうふうにテレビアニメーションがワーッと盛んになってしまった。しかし盛んになったテレビアニメが一種の飽和状態になって、ちょっとアトム形式のアニメーションのつくり方に一つのジレンマみたいなものが来てる今日この頃なんで、そういう中でもう一度ディズニーとかフルアニメーションを見直して、とにかく動いてるというものをつくって見て楽しもうじゃないか、ということでつくったんです。

     ………とにかくアニメーションは動いてるということが最大の骨子であって、つまりアニメーションが動いてるということに私は惹かれるわけです。動いてるということは少なくても形が変わるということなんです。例えば猫なら猫が歩いている時、これはただ足が動いているだけじゃなくて、体の筋肉から、腹の具合から、首の振り方から、あるいは表情まで全部動いてるんです。動いてるということでその動きにすごく何か、なまめかしさというか、エロティシズムを感じるんです。と手塚は前出と同じ朝日賞の講演で述べております。 手塚は、時間、労力、費用を節約したテレビアニメーションを開発し産業として確立させた後は、今度は逆にアニメーションの「動き」の中に一種の美学を見い出すようになります。それは最初の実験アニメーション「ある街角の物語」で解体したはずのディズニーアニメーションへの回帰でありました。巨大なロボットアニメーションやリアルな人物の恋愛ものといったテレビアニメーションが増加し、アニメーション本来の動きの面白さを忘れた作品が主流を為してゆくなかで、動いているということが生きているという、あるいは生命があるという感動に結びついてゆく実験アニメーションが手塚によって制作されたのです。


    展示物 資料映像 手塚治虫実験アニメーションの手法2

    「ジャンピング」(線画との対比)
    「森の伝説」 (使用手法の説明)
    セル画展示(アクリル額装)
    「自画像」スロットマシーン 展示ケース2
    手塚治虫直筆のアニメーション資料(原画・コンテ等)
    ビデオ上映
    販売されていない実験アニメーション 2        
    「村正」「プッシュ」










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