イロイロwiki

虫ん坊

TezukaOsamu.net/jp > イロイロwiki > 対談集 > 手塚治虫対談集第3巻

対談集



手塚治虫対談集第3巻

  • 手塚治虫対談集第3巻
  •  

内容紹介

  • 松本零士 萩尾望都   --おかしな! おかしな! 漫画家の世界--

    人気漫画家三人が、アシスタントやメシスタント(食事担当のアシスタント)のことから、理想の女性像、少女漫画家の恋愛感を含め、漫画家として生きる、ということの実情をあっけらかんと語り合います。「ペンネームが、漫画家の運命に影響する」という話など、思わずドキリとなってしまう若手漫画家も大勢いることでしょう。

    石上三登志  --SF映画が好きなんだ!--

    CMクリエーターにして映画評論家、手塚治虫論を語らせたら天下一品という石上氏と共に、SF映画について大いに語り合う対談です。『スターウォーズ』『未知との遭遇』公開直後という、世を挙げての大SF映画ブーム真っ盛りの時ですから、遥か昔からSF映画をひたすら愛し続けてきた両氏のボルテージも上がりっぱなしです。『超人対火星人』『火星、地球を攻撃す』(共に『フラッシュ・ゴードン・シリーズ』が、いかに『スター・ウォーズ』に影響を与えているか、といった生粋のマニアならではのコアなSF映画談義が楽しめます。

    小野耕世  --アメコミを語る--

    マンガ評論家、小野氏が手塚マンガにおけるアメリカン・コミックの影響について尋ねる、という形で進む対談です。手塚マンガの常連キャラクター、下駄警部とディック・トレーシーとの関係をはじめ、さまざまなアメコミからインスピレーションを受けたという手塚キャラ誕生秘話はもちろん、手塚治虫がまーベル・コミックについて大いに語る、というのもちょっとほかでは聞けない話になっています。

    阿久悠  --ぼくたちは美しい批評家を抱えている。--

    歌謡曲のプロとマンガのプロが、ものを作り、表現して行く、というクリエーターたちは、何を求め、どこを目指すのか、ということを語り合います。大ベテランから見た最近の新人たち、あるいはこれからプロを目指そうと考えている卵たちへと向けた「プロとして生きるための心構えの書」といった趣です。作品は常に、次の時代を作るクリエーターたち、つまり「子供たち」によって監視され、批評され続けている。その視線の重さに耐え続けること。それがプロとして生きる、ということなのだと、ふたりは語っています。

    合田周平  --鉄腕アトムが予言していた夢--

    電通大学の電子情報学の教授が、鉄腕アトムのようなロボットが生まれるだろう未来の世界について、手塚治虫と共に論考します。そしてニューメディア、エコロジーと科学の共存というテーマへと話は発展して行くことになります。最終的に両氏は、どんなテクノロジーも、スキンシップ、人の肌のぬくもり、人間同士のあたたかな関係と共になければ、進化でも発展でもないと結論するのです。

    諸星大二郎 星野宣之  --メジャーとマイナー--

    野球のことではありません。大衆に向けて作品を発表する漫画家と、一部のマニアに向けた作品を発表するマンガ家とをとりあえず便宜的に分けてみただけです。大メジャー手塚が、マイナーの雄、諸星、星野両氏の作品を語り、両氏に山ほどの質問を投げかけながら、ふたりの若く新鮮なエネルギーを吸収しようとしているかのような対談です。そして好奇心旺盛に身を乗り出して才能ある若手から話を聞き出す手塚治虫の「何でも自分の力にしてしまおう」とする大メジャーの底知れぬバイタリティーが、マイナーの雄たちにも確かな「力」を注ぎ込んでいることを感じさせる、そんな対談となっています。

    筑紫哲也  --時代の気分を語る--

    ジャーナリストの筑紫氏は、手塚マンガのテーマ性を論じようとするのですが、「レオが白いのは単に主人公を印象付けたかったからで、ほかの意味はないですよ」と《異分子としてのレオやアトム論》を退けてしまう手塚治虫です。これは本当に「ほかの意味がない」のではなく、筑紫氏の話が「手塚マンガのヒューマニズム」に進んで行きそうなのを警戒しているからでしょう。手塚マンガはヒューマニズムを歌い上げているのではないからです。それは「人間性(ヒューマン・イズム)」ではなく、「命あるものたちすべてへの讃歌(コスミズム)」をこそ描いているのです。

    石ノ森章太郎  --現代マンガに試練の嵐を!--

    『サイボーグ009』の石森氏が大先輩、手塚治虫にマンガの過去と未来について尋ねる、という形の対談です。手塚治虫は過去の話よりも、現在の、そして未来のマンガに重点をおいた会話を進めて行きます。最近の若い漫画家は、今さえ良ければ言い、という姿勢でマンガを描いているが、そうではなく、50年先まで残る作品を作ろうとすべきではないか、と手塚治虫は語ります。ものごとはすべて変転して行くものだから、当然、マンガ隆盛のこの時代の風潮もいずれ変化する。そしていつかマンガなどまともに出版されない冬の時代が再び巡ってくるかもしれない。そしてその時こそ、マンガの本当の再生がはじまるのだと結びます。マンガはさながら火の鳥だと手塚治虫は信じているのですね。そうであって欲しい、というそれは祈りなのかもしれません。

wiki

UP
UP