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このころの手塚先生: ●手塚先生のエッセイより: 「4月22日にフタをあけたニューヨーク世界博に、週刊サンケイの特派員としてとびこんだぼくは、足に五つも豆ができるほど歩いた。 |
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アメリカ館・ソ連館が人気を博したようです。日本館の印象は、「見本市みたいに、商品をずらっと並べただけのところが、オーソドックスすぎて、あっけない」感じだったようです。 |
↑上から、アメリカ館、ソ連館、日本館の図。 |
●手塚先生のエッセイより: 「会場では毎日、世界一流のアトラクションをたえず公開しています。その中で、これは珍しい! と思ったのは、チェコスロバキアからやってきた、このショー(ラテルナ・マジカ)。ひとことにしていえば、映画とマジックと実演の混合ショーなのです。 実在の人物が、ステージで芝居をしているかと思うと、もうスクリーンの中へ入ってしまい、ときにはスクリーンの人物と実物とがやりとりをし、スクリーンの自動車のヘッドライトがほんもののライトを客席へ照らす…といったぐあい。」 |
◆1970年 大阪 このころの手塚先生: 42歳。「やさしいライオン」で毎日映画コンクール第8回大藤信郎賞受賞。 政府出展委員・「万国博への提案」審査委員その他、さまざまな仕事を引き受ける。 日本で始めて開催された万博としても有名です。当時の著名な芸術家や企業なども、多数、協力しています。今も大阪のエキスポランドにそびえる、芸術家・岡本太郎の「太陽の塔」と言えば、皆さんもよくご存知のはず。手塚治虫もまた、この万博には深くかかわり、セイコー館で上映されたアニメ「おかしな一日」や、フジパンロボット館のプロデュースなどを手掛けています。 |
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「子供の夢」をテーマにいろんなロボットを登場させ、「人間と機械とのふれ合い 」を見せたい、という趣旨の元、製作されたフジパンロボット館が、中でも目玉。 館内は「ロボットの森」「ロボットの町」「ロボットの未来」の三つに分けられ、ロボットオーケストラやロボット飛行船など、全部で40体のロボットが展示されていました。このロボット達、最先端の技術を使ったロボットというより、子供たちが思い描く、人間の友達としてのロボット、という路線を目指して作られ、万博後、ロボット館は愛知県の愛知青少年公園に移設されました。 写真は、ロボット館に展示されていたロボットの一部。名まえのとおり、写真を撮影したり、じゃんけんをしたりと、展示されているロボット達と実際に触れ合って楽しむ工夫が見られます。 |
万国博といえば、あなたにはどんな思い出がありますか? 今年の愛知万博では、手塚治虫のメッセージをプラネタリウムに絡めてご紹介する「手塚治虫のCOSMO ZONE THEATER」他、さまざまな催しを予定しています。お近くにお立ち寄りの際には、ぜひ覗いてみてください。 |