↑鬼子母神境内に続く並木道。
並木ハウスはこの途中にある。


↑並木ハウス1階の入り口。


↑ 並木ハウス管理人
・砂金シゲさん。

「ゆかりの地見て歩き」第8回・「並木ハウス」

 「ゆかりの地見て歩き」第8回は、手塚治虫が下宿していたアパート「並木ハウス」を訪問し、管理人の砂金(イサゴ)シゲさんにお話をうかがってきました。
 「並木ハウス」は、藤子不二雄と入れかわる形で「トキワ荘」を出た手塚治虫が、1954年10月から1957年4月まで入居していたアパートです。場所は豊島区雑司ヶ谷にあり、都電荒川線の「鬼子母神前」で降りて徒歩2〜3分。砂金さんは手塚治虫の入居当時から管理人をされている方で、貴重な思い出話を聞かせていただきました。

 そもそも、手塚治虫がこの並木ハウスの2階に入居したのは、ここに住んでいた雑誌編集者が仕事場として自分の部屋を使わせたことがキッカケなのだそう。そして入居後、砂金さんと手塚治虫は家族同然のお付き合いになったそうで、毎日朝食を用意したり、歯が痛む時に歯医者を紹介したり、時には自宅を休憩場所として提供したり…と、その創作活動をウラから支えることになったのです。「手塚先生はせっかく歯医者を予約しても、一度薬で痛みをおさえると、もう行かなくなってしまうんです。そのくらい時間がなくて忙しかったんですね」と砂金さん。今回の取材では、一度で書ききれないほど、さまざまなエピソードを聞くことができました。 そのお話の一部をご紹介すると…
 「手塚先生はお母様を大切にする方でしたね。お母様から頼まれて、行灯の絵を描く仕事をした時には、雑誌の編集者に見つからないようにウチの2階で描いたんです」
 「テレビを買った時は本当に嬉しそうで、おもちゃを手に入れた子供のようでした。当時テレビは珍しくて、ウチの子供も『観においで』と誘っていただきました」
 「手塚先生は気分転換のため、夜中によくピアノを弾いていました。ある時、近所の家から苦情が入ったんですが、先生の耳に入れないようにして、何とか許してもらいました。なぜか同じアパートの人達は先生に協力的で、苦情はでませんでしたね」
 「一番残念なのが、先生が出て行く時に置いていかれたたくさんの書き損じ原稿を処分してしまったことです。先生が『処分して下さい』と言ったので、私もその通りにしてしまったんですが…当時は価値がわかってなかったんですね」
 「とにかく手塚先生は銭湯が嫌いで、いつも自分の家でお風呂に入りたいと言ってました(注:並木ハウスは風呂無し・共同トイレ)。並木ハウスを出て代々木初台に引っ越された時に、海外から届いた郵便をお宅まで届けたことがあったんですが、私はまず最初にどんなお風呂なのか気になって見せてもらったくらいです(笑)。結局先生と会ったのはそれが最後になってしまいました」

 テレビや新聞などでも取り上げられ、今でも時々見学者が訪れるという並木ハウス。中に入ると、白塗りの壁やタイル貼りの流し台など、古き良きたたずまいが何だかホッとさせてくれます。手塚治虫が入居していた部屋はすぐ隣が非常階段になっており、手塚治虫はここから降りてきては砂金さんのお宅で休憩していたそうです(部屋には現在でも入居者がいるとのことで、室内の撮影はご遠慮してきました)。「私が生きている間は改築するつもりはありません」と語る砂金さんは、現在80歳になられるそう。健康に気をつけて、いつまでも元気でいて下さい。


←手塚治虫が入居していた部屋のドア。隣はよく利用していたという非常階段。